082.『オリオンと道化師(5)』


 ――勝平、彼女出来たんだって? おめ!

 ――うっせえハゲ、黙れ。

 ――ハゲてねーし! で? アイちゃんとかリカちゃんはどうなったの? 八木沼さんは勝平くんのスケコマシっぷりにどこまで関わってるの?

 ――おめえそれあいつの前で言ったらぶっ殺すかんな!

 ――こわっ、言いません言いませんとも! あ、じゃあ、本気なんだ? いいなあ勝平は、春が来たのね、羨ましいー。

 ――もう冬だけどな。

 ――まーたそうやってー。ま、お幸せにな〜?

 ――はいはい、サンキュ。





   * * *



「覚悟はいいか、譲原」

 腰の脇で静止していた刀が、ゆっくりと鷹之の頭上で揺れている。あんなにも躊躇のなかった勝平だが、今はほんの少しだけ、迷いが見えた。鷹之自身を殺す決意は揺るがないのに、今頃になって、良心の呵責に苛んでいるのだ。

「な、勝平、最後に、も、もう一つ」

 勝平は訝しげに眉を寄せたが、すぐに顎を少し、引いた。「なんだ」と、続けた。



「あ、あのさ、煙草、吸いたい、最後に、一本だけ」



 拍子抜けした、と言うように今度こそ勝平は、目を丸くした。この期に及んで、そんなことを?、と訝しむのが伝わって来たが、なにせ勝平も喫煙者なので、ニコチンの有り難みはよく知っているのだ。よく、百害あって一利無しだとか、お金が勿体ないと言われるけれど、確かにそうなのだけど、喫煙者にしかわからない娯楽がここにある。煙草で交友関係が広がったりもするのだ。鷹之にとっては、金を賭けるだけの価値が、これにはあった。そして例外なく鷹之はニコチン中毒者であった。
 暫し考え込んでいた勝平だったが、諦めたように、仕方なさそうに何度も首を縦に振った。最後の情けだと言うように、刀を降ろし、ベランダのある障子と窓を開け放つ。すっかり、日が落ちた。雪崩れ込む冷たい風が、傷に沁みる。
 鷹之はのそのそと立ち上がった。身体に力が上手く入らずかなりの苦戦を用いたが、さすがに手は貸してくれなかった。べっとりと制服のズボンも血を吸っていたが、ポケットを弄って煙草を――水色のパッケージの、マイルドセブンを取り出した。ソフトタイプなので、こちらもぐっしょりと血塗られていたが、奥をまさぐるとそれほどでもなかった。一本指に取って、残りは投げ捨てた。
 ゆらりゆらりと踊りながら、ベランダへと足を踏み出す。煙草を加えて、左手で愛用のジッポライターを取った。ああ、この時間でも、オリオン座が見える。右手は、下っ腹の辺り、斬られた腹筋よりも下、ほとんど半ケツ状態で履いているズボンの口へ、伸びていた。――催涙スプレー。ここに、隠し持っていたのだ。厚着をしていて良かった。
 左肩の痛みはほとんど麻痺していた。背中を勝平に向けた形で、右手でスプレーをこっそり取り出しつつ、煙草に火を点けた。ジッポライターの蓋は閉じない。火が、ゆらゆらと蠢いている。煙を美味そうに吸い込みながら、背後でも煙草を点火する音がする。

 ――鷹之は大きく振り返って、催涙スプレーを勝平に向けた。スプレーの先に、炎の揺らめくジッポーを翳す。油断しきっていた勝平は少し目を見開いたが、事態を把握するより先に、物凄い勢いで襲い掛かる紅蓮の炎に絶叫することとなった。

「ぐうううあああああ!」

 火炙りだ。これはきっと相当に辛い。勝平の黒いカーディガンが、パチパチと音を上げて火に包まれた。緩やかなパーマの掛かった洒落っ気のある短髪にも、炎が襲い掛かる。左指に乗っかったジッポーが火傷しそうなほどに熱い。だが、鷹之は決して投げ捨てなかった。

「勝平! ごめん! ごめん!」

 本当に申し訳ないとは思っているのだ。いつの間にか、障子にも火が燃え移っていた。障子はよく燃えた。火柱を上げながら、轟々と音を立てて、倒れ込むように勝平に襲い掛かった。

「ゆゆゆゆ譲原らああああああ!」
「あああああ、ごめん! ごめんごめんごめん!」

 炎に包まれた障子が、ぼろぼろに崩れ落ちた。燃え尽きたかと思ったが、違ったようだ。火を身体に纏った勝平が、刀をめちゃくちゃに振り乱していた。肉の焼ける、芳ばしい感じの悪臭が鼻を捻った。鬼のような形相で、勝平が鷹之をねめつける。限界を感じていた左指のジッポーが足下に落下した。
 鷹之も、絶叫する。――なんで! なんで動けるんだ! 未だ炎に包まれているのに!

 鷹之はベランダの手摺りにすがりつくように、腕を伸ばした。建物に火が乗り移っている。だがそれより、灼熱を纏う勝平の、なんと恐ろしいこと! 八木沼由絵を殺害したあの瞬間、千景勝平は鷹之にとって死神と同類だった。問答無用で鷹之を刺したときは、悪魔に見えた。今は、鬼だ。外へ逃げるしかない、この高さなら、きっと、きっときっときっと!

 最後に、なにを思ったのか自分でもよくわからなかったが、もう一度勝平を振り返った。その瞬間、頭部全体に、骨を引っかいたような、軋んだような音が反響した。刃の先が、額を横に抉って骨に傷を付けた。この一撃で、鷹之の意識は朦朧とした世界へ飛んで行ったのだが、鷹之はくるりと踊るように身体を反転させた。
 再び勝平に背を向けた形になった鷹之の、右斜め上の肩から左下に掛けて、熱を帯びた刀が背中に大きく切り口を開けた。ぱちぱちと木を燃やす音の狭間から、肉が斬り裂ける不気味な音まで木霊したのだった。鷹之は口から泡を噴いていたが、もう意識はほとんどなかった。
 ずるり、とだらしなく力の失った上半身が、ベランダの手摺りから身を投げ出している。重力に引き寄せられて、鷹之の身体は、そのまま落下して行った。一秒にも満たず、肉の塊をコンクリートに叩きつける音がした。

 鷹之は、尻を天へ突き出すような格好をしていた。それよりも、首の位置がおかしかった。切り刻まれた背中は夜空を仰いでいるのに、脇の下から、しっかりと鷹之の顔が空を睨んでいるのだった。





10/20 PM17:29
男子二十番 譲原鷹之──死亡

【残り:28名】

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