080.『オリオンと道化師(3)』


 鷹之の予想は、見事に的中したようだ。左肩に、軽やかな衝撃と、凄まじい激痛が突き抜ける。急展開に思考がまるで追い付かない。
 ほんの、今、襖が開いて、勝平の姿を確認したばかりなのだ。千景勝平だと、ようやく認識したばかりなのだ。なのにこの痛みはなんだ? ――恐る恐る、視線だけを左肩に寄せていく。銀色の平べったい、細長いものが、肩の、奥の奥まで、ぐさりと突き刺さっていた。刃と肉の間が僅かに赤く滲んでいる。――ああ、刀だ、本物の、大昔に侍が使っていた、本物の刀だ。
 勝平が日本刀を持つ手を後ろへ引き抜いた。再び鋭い痛みが駆け巡って、鮮血がシャワーのように鷹之と、勝平の二人に降り注いだ。それでようやく、鷹之は悲鳴を上げた。

「ああ、ああああああ!」

 咄嗟に鷹之は、押入の襖を勢い良く締めに掛かった。勝平は唐突のことに反応出来なかったようで、呆気なく閉ざされた空間が再び真っ暗に染まる。痛む左肩を確認したかったが、生憎まったく見えない。いや、それよりも――いきなり、一言も声も掛けず、本当にいきなり、いきなり、刺しやがった! 間違いなく、勝平は由絵とのことを知っている。知っていて、自分を殺しに来たのだ。
 逃走出来ないのはわかりきっていた。襖の向こうで、余裕綽々とした、悠長な口調の勝平の声が聞こえた。

「譲原、出て来いよ」

 鷹之は、ひゃあっと掠れた声を上げた。コンバットナイフをほとんど抱き寄せるように胸に引いて、震える喉を生唾で潤し、言葉を紡ぎ出した。

「しししょうししょ勝平、ご、こっ、ごごめ、ごめん、ごめんごめんごめん!」
「ああ?」

 苛立たしげな勝平の相槌に、破裂しそうなくらいの鼓動がよりいっそう大きく脈打って痛い。ショック死しそうなくらい、痛い。

「わざとじゃないんだ! ほほ本当に、殺したくてこここ殺そうと思ったんじゃななくて殺したくなかった、んだよほ本当に殺すつもりなんか俺、おお俺これっぽっちも――」

 ばりっ、となにかが破れる音と、耳のすぐ脇にひんやりとした感覚が触れた。勝平の刀が、襖を突き破って、右の耳朶を掠めて壁に突き刺さっていた。鷹之は、今度は声が出なかった。変わりに、愕然と見開いた瞳から、涙がしとしとと濡れていた。
 刀が引き抜かれ、襖の開いた穴から光が流れ込んだ。喉が熱い。肩も熱い。耳も熱い。穴の隙間から、怒りを押し留めたような、冷酷な口調が飛び込んでくる。

「死んだか? 生きてたら続きをどうぞ」



「ああああ……悪かったよ……、勝平……、殺さないでくれよ……」



「――殺す」

 再び、襖を突き破る音が響いて刀が押入に何度も突きつけられる。ばりばりと、けたたましい音を鳴らしながら、何度も、何度も。鷹之は身体を伏せて、背中の上を行き来する刀をやり過ごした。勝平の行動は、ほとんど自棄だった。怒りをぶつけるように、破壊だけを目的としたように、滅茶苦茶に襖を突き刺していた。
 鷹之は、コンバットナイフの刃の先を、沈痛な面持ちで眺める。暗闇にいるのに、刃はぎらぎらと輝いているように見えた。
 一通り破壊し尽くした襖への攻撃が、止んだ。ぼろぼろの大雑把な穴が、至る箇所で口を大きく開いている。膝立ちをした勝平の制服のズボンが見える。グレーの部分はところどころ赤塗れていた。あれは――紛れもなく、左肩から噴き出した鷹之の血液だ。俺の、血だ。
 鷹之は決死の思いで襖を引いた。刃の部分を下に、右手に力強く握り締めたコンバットナイフを、勝平へ向かって大きく振りかざした。

 しゅん、と空気が横に裂ける。多分、そう、切れ味が良いのだ。熱い、とは思ったが、痛い、とは思わなかった。痛みがやって来たのは、横に裂かれた腹筋から、またしてもシャワーのように鮮血が舞い散ったときであった。数秒遅れて瞬間的な激痛を感じたが、そのときは前のめりに倒れていた。鈍い音を立ててコンバットナイフが転げ落ちるが、鷹之にはそれを拾い上げる余裕はもはやない。
 もう、全身血塗れだった。今は肩よりも腹筋が痛い。両腕で腹を押さえ込みながら、鷹之は、ゆっくりと、ギクシャクした動作で首を持ち上げる。う、う、と嗚咽のような呻き声を漏らす鷹之を、氷のように冷たい、感情のない瞳が射止めていた。

 唐突に鷹之は、幼い頃、近所の年の離れたお姉さんに聞かせてもらった、メデューサ≠ニ言う哀れな怪物の話を思い出した。元々は人間だったと言うその怪物は、女だったのだが、自身の美しい容姿を戦の女神・アテネにも劣らぬと傲慢に自慢したことで女神の怒りを買い、醜い化け物に変えられてしまう。メデューサには特殊な能力があった。彼女の瞳を見た者は、あまりの恐怖に皆、例外なく石に変えられた。宝石のように輝く、冷酷な、美しい瞳だったと言う。



 ああ――千景勝平は、毒舌な奴だったけど、暖かみのある男だった。そんな男が、こんな目をするのだ。煌々と輝く、メデューサの瞳は、きっと、こんな感じだったのだ。





【残り:29名】

PREV * NEXT



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -