005.『最初の犠牲者(2)』


「なんだよお前ら、シケた面してんなァ」

 女はそう言って真っ赤な唇を嘲笑するように釣り上げた。下賤な眼差しでぞろりと生徒たちを見渡すと、優雅に身を翻して軽やかに教卓に腰掛ける。教室の誰よりも高い位置で見せ付けるように足を組み、呆気に取られるクラスメイトたちを見下している。
 女の背後に連なっている兵士たちの一人がくすんだ色の黒板に熊取チエ≠ニ書き込むのを横目に確認し、女は機関銃のような姦しさで捲し立てた。

「良いか? そなたらは今年度プログラムの対象クラスに見事当選したのだ、これは非常に名誉なことであるぞォ? きひひひひひひひひひ、申し遅れたな、妾は――熊取チエ、クマトリチエと読む。しかし妾を熊取などと品のない呼び方をする者はおらぬでなァ、そなたらにも特別に許可しようぞ、妾の名は――ベアトリーチェである!」

 兵士の一人が黒板の立て付けの部分に大きな肖像画を乗せ、生徒たちに見えるよう掲げる。優美な赤茶色のドレスを身に纏い妖艶に微笑む絵の中の人物と、目の前に実物として存在する女は同じ顔をしていた。指先に持つ煙管の柄も、やはり一緒であった。

「紹介が遅れたな、こやつらは今回プログラムの補佐を務めることになった専守防衛兵士にして別名、妾の家具≠ナある呂ノ上ロノウェ惡霧明ワルギルア駕布ガァプ、そしてその後ろが昼寝シエスタ姉妹兵である、妾に相応しくも中々に愉快な家具共でなァ――なんだァ、お前はァ?」

 呆然と事の成り行きを眺めていた本堂空太の思考を引き戻したのは、男子学級委員長の筒井惣子朗つついそうしろう(男子十番)が、険しげに表情を歪ませて席を立った時だった。惣子朗が穏やかな彼からは想像も付かない、見たこともないような厳めしい顔をして、熊取チエベアトリーチェに一歩、一歩と震える足を踏み出していた。

「殺し合いなんて、認めるわけにはいかない」
「はァあああ? お前なァ、自分の立場わかってねえのかよォ? 貴様らに拒否権などそもそも存在せぬわ!」

 憎々しげにベアトリーチェと名乗る女が吐き捨てる。愚かしいにもほどがあると言うように、凍て付きそうな嘲笑を浮かべ、真っ赤なルージュで染め上げた艶やかな唇に煙管を運ぶと、面と向かい合う惣子朗に、けしかけるように煙を吹いた。

「二年と半年だ」
 惣子朗が極度の緊張で冷や汗を滲ませながら、苦汁を噛んだような表情で負けじとベアトリーチェを睨み返す。
「俺たちは毎日同じ学校に通って、毎日同じ教室で肩を並べて、一緒に過ごしてきたんだ。殺し合いなんか、できるわけがない!」

「だから言ってんだろォ??? お前らは政府が! 総統が! 我が共和国が誇る! 今年度の戦闘実験第六十八番プログラムに当選しちまったんだよォ、わかってんだろ逃げらんねえんだよォ、お前らはこれからド汚ぇ欲望を以てして上っ面だけの関係を築いて来た薄っぺらなクラスメイトと醜い殺し合いを繰り広げる他ねえんだよォ、んー? アーユーオーケイ? ぶちまける中身はどんな色? 妾にお前の内蔵を見せておくれよ、てめえの口元から零れ落ちるその小綺麗で薄っぺらな欺瞞をどう処理すんのか教えてくれよォ、なァ筒井惣子朗おおお!?」

 奇声とも呼ぶべき金切り声で高々と笑いながら、ベアトリーチェが惣子朗の首筋の辺りを指差し、真横に空気を引き裂いた。空太は凄みを効かせる女の、醜く歪む口角に言葉に表せない戦慄を覚える。頭の中でけたたましい警告音が轟々と鳴り響いた。――人として、なにかが狂っているのだ、この女は、危険すぎる、と。

「ベアトリーチェ様、少し品がないかと思いますが」
「やかましいわ家具が! 無口であれ家具が! ほらほらほらほら惣子朗ォ、早くみせてくれよテメエの綺麗事の落とし前をよォおおお?」

 誰もが、はいそうですかと受け入れられるわけもないのだ。
 惣子朗はクラスの委員長として、誰もが訴えたいことを代弁してくれたのだと空太は思った。多分、ここで彼自身が保身のために身を引いたところで、誰も彼を責めたりなどしないだろう。もしも彼を薄情なとど罵る者が現れたとしても、そいつは間違いなくにクラスメイトのために、彼のように身を削るような真似ができるはずもないのだから。

 惣子朗は、ただただベアトリーチェを見ていた。一寸の迷いも狂いもないような、なにかを決心したような鋭い眼差しで、しっかりと、明らかな敵意を以てして女を見据えていた。

「俺は、こんな理不尽な法律には、絶対に従わない」



「ならばここで死ね! 筒井惣子朗ぉおおおおお!!」

 獲物を射る鷹のような血走った瞳で、ベアトリーチェは鼻をふんと鳴らすと、その顔面を憎々しげに歪め叫んだ。

「シエスタ姉妹、ぶっ放せええええ!」
「よんじゅうご了解、射撃っ!」
「にひっ、よんいちまる射撃!」

 最後尾に連なっていた兵士の二人が待ってましたと謂わんばかりに身を踏み出し、それぞれが銃器を構えると、その鉾先がなんの躊躇もなく火花を散らした。撃ち抜かれた惣子朗の身体が衝撃で後ろに倒れるのと、赤黒い血液が室内を飛び交うのと、生徒たちが悲鳴を上げるのはほぼ同時だった。
 誰かが、踊るように傾いて行く惣子朗の身体を受け止めるように、遠くで腕を差し出した。手を伸ばして駆け寄ろうとしたその女子生徒は、新たに狙われた銃器の威嚇で動けないクラスメイトたちの恐怖を物ともせず、ひとり、ただただ必死に手を差し伸べようとしていた。悲鳴を帯びた痛々しい涙声が、騒然とする教室の空気を揺らした。

「筒井くん!」



「そやつもくれてやろうぞ!」
「だぶるおー了解、射撃であります!」

 また新たな火花を散らし、七瀬和華ななせのどか(女子十一番)の身体が呆気なく弾け飛んだ。
 空太はそれを切り取られた映像の一部のように眺める。モノクロで、スローモーションみたいな、現実味のない感覚だった。なにが起きているのかよくわからない。目の前で二人のクラスメイトが、自分によくしてくれた優しい二人のクラスメイトが、鮮血で付近を染め上げ物言わぬ亡骸となって、倒れていた。
 それでようやく、自分たち宍銀学園三年B組が、国の戦闘シュミレーションと称した残酷な死のゲームに参加させられる現実を、認めたのだった。





男子十番 筒井惣子朗――死亡
女子十一番 七瀬和華――死亡

【残り:42名】

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