078.『オリオンと道化師(1)』
――お前はいいよな、女にモテるし、彼女いるし、童貞じゃねえし。俺にもお前の女運、分けやがれ!
――バーカ、お前はがっつきすぎるからモテねえんだよ。肉食系丸出しは女引くぜ?
――だってよー、可愛いとか言っとけば喜ぶじゃん? 満更でもなさそうなくせに、いざとなるとごめんなさいとか、女ってわかんねえよ。僕には女心がわかりません!
――誰にでも言うからダメなんだろ。
――えー、でも道明寺とかそれでモテてんじゃん。
――あいつとお前は持って産まれたものが違えんだよ! ったく、めんどくせえやつー。
――勝平くんひどい! 俺は真剣に悩んでるのに!
――うるせえな。まあ、無理すんなってことだよ。お前、チャラそうだけど、本当にチャラいわけじゃねえんだから、お前のことちゃんと見てくれる女だって現れるよ、その内。
――その内っていつよ? 明日?
――うぜえ。気長に待てってことだよ! どーとんと構えてりゃいいんだよ。つーか、まずは本気で好きな女作れ、話はそれからだ。
――ちぇー、いいよなあ、勝平は、なんか、余裕ってゆーかさあ、オトナって感じでさあ。俺もそんな風になれるんかね?
――どうだろうな? お前じゃ無理じゃねえか? ……ま、気長に、気楽に考えろよ。何事もさ。お前、たまには、骨休みも必要だと思うぜ?
――どう言う意味でしょう?
――さあなー、自分で考えろ?
――なんかよくわかんないけど、勝平がいいやつなのはわかりました。僕ちょっと感動しました。ねえねえ、なんかほしいものない? 俺、お礼代わりにちょっくら買い物行ってくるよ。
――あー、じゃあ、煙草。
――オッケー、マルボロだよね? ラジャー!
* * *
同じ頃、急激な日の傾きですっかり薄暗くなった住宅街の一角にて、
なんて、馬鹿だったのだろう。あの時は掠めもしなかった思念だが、今はそれに押し潰されそうだった。クラスメイトを、友達の恋人を、この手で殺した。
朝方の戦闘で激昂し、つい手に掛けてしまった少女――
なんて、馬鹿なことをしたのだろう。鷹之は心の中で繰り返す。初めは本当に殺すつもりはなかった。猥褻目的で近付いたのは事実だか、それにしたってあんな風に抵抗されるとは思いも寄らなかったのだ。だって――アダルトビデオで強姦される女の子は、ほとんど抵抗しないし、やめてと口にするだけで、結局最後は感じているじゃないか。男の好きなようにされて、悦ぶじゃないか。――残念ながら中学三年生の鷹之は、娯楽と現実の境界を理解してはいなかった。あれ≠ヘ、視聴者が楽しめるように作られているのだ。だがそれを、鷹之は理解してはいなかった。
それに、八木沼由絵と言う少女は、鷹之の目から見て、――悪い話、男好きのビッチと同じだった。鷹之が可愛い可愛いと持て囃せば、「そんなことないよー」と否定しながらも、とろとろと頬を緩めて、ほいほいすり寄って来た。実際、そんなところが可愛らしい少女でもあったのだが、心のどこかで見下してる部分があったのかも知れない。第一に、鷹之は、彼女が友人の
思えば、クラスの女子は、そう言う意味で尻軽そうなのが何人もいた。鷹之と同じような、常識から少し逸脱した崩れた感じの彼女たち――
とは言え――このような偏見が芽生えたのは、そんなに昔ではなかった。性への関心が強くなった所為もあろうが、たぶん、昔、ほんの少しだけ、――八木沼由絵のことが好きだったから、ショックだったのだ。あの、ロールキャベツ男子(見た目は草食、中身は肉食)みたいな、千景勝平と交際を始めたことが。結局彼女も、勝平みたいな、男前が好きなのかとがっかりした。まあ、そりゃそうだ。自分だって顔がタイプじゃなきゃ、そもそも話にならない。人は顔ではないとよく言うが、女は顔だろ、どう考えても。
何故、ほんのちょっぴり、好意を寄せていたかと言うと、自分の話を愉快そうに聞いてくれるのが嬉しかった。学校で鷹之のような生徒と分け隔てなく接してくれると女子と言うのは、あまりいなかった。例えば
その意味で、由絵のグループはみんないい女だった。垢抜けていたし、程よくナチュラルで下品ではなかった。だが皆、高嶺の花だった。白百合美海も人懐っこい女の子だったが、あの美貌に手を伸ばせる度胸はなかった。間宮果帆も綺麗な女の子だったが、気の強さが苦手だった。
その中で、八木沼由絵と言うのは、それでも十分可愛らしい容姿だったが、まずまずに平凡であった。隙があった、と言えばいいだろうか。あ、この子ならイケるかも、と有頂天になったことがあった。ちょっかいを出せば相手をしてくれたし、褒めれば上機嫌になってくれた。鷹之の下らない自慢話や冗談も笑って聞いてくれた。手に入りそう、と思ったら、ますますに可愛らしく見えた。徐々に距離を詰めて――と、試行錯誤しながら、淡い恋心に少し浮かれていたのだ。
と思ったのに、いつの間にか勝平と付き合っていた。がっかりすると同時に、さーっと気持ちが引いて行った。一気に由絵に対する興味はなくなったが、それよりも勝平にムカついた。何故よりにもよって彼女なのかと。勝平なら、他にいくらでも女がいるだろうに、よりにもよって八木沼由絵。やってらんねえ、が一時期口癖になった。だが勝平に対する怒りや、やり切れなさは、時間が経つにつれ徐々に薄らいで行ったのだ。勝平は――鷹之にとって、いい奴だった。
――あんたなんか、勝平がいなきゃ、なんにも出来ない、ただの、パシりじゃない。
鋭利な言葉だ。悪夢のようだ。その通りすぎて、怖くて悲しくて、苦しい。
喧嘩が出来るわけでもなく、悪さに参加出来るでもなく、女にモテるでもなく、度胸が据わってるでもない自分は、虚勢を張るみたいにして無駄にハイテンションで、罪滅ぼしみたいに言いなりに、なにかと使い走りにされることが多かった。命令されるのは嫌なので、自分から率先して動いたりもした。屈辱だったがそうやって、自分の立場を守っていた。子供には子供の世界があるし、その場所で生きてくために必要なことだった。決していじめではない。使い走りをやめたところで、多分なにもされない。でも、きっと居場所はなくなる。それがわかっていたから、嫌だと思ってもやめなかった。
勝平は、そんな鷹之をさり気なく気遣ってくれたし、時には庇ってくれた。初めは余計なお世話だと思ったが、勝平がさり気なく制止を掛けてくれなければ、もっとエスカレートしてたのは明白だ。だから、由絵の言ったように、自分は、勝平の存在に助けられていた。勝平がいなきゃなんにも出来ないただのパシりだった。
それでも、勝平はいい奴だが、どこか面白くなかったのかも知れない。
眠れなくて、どうしても落ち着かなくて、心細くて、誰でも良いから会えたら良いのになと、逸る気持ちを抑えきれず夜の島をさ迷った。そして、由絵を見つけた。あの時鷹之は、以前ちょっぴり好きだった女の子と再会出来たことに、喜びと安堵を抱くと同時に、なんとなく、気に入らない気持ちになった。恩もあるが、一矢を報いたい気分になった。自分の方が始めに目を付けていたのだから、少しくらい味見させてくれても良いではないか。童貞のまま死に逝くのは悔しかったし、あのおっとりした由絵のことだから、気持ちを話せばわかってくれるだろう。それに、どうせ、非処女なんだ。何度も勝平に抱かれてんだ。ならば減るものじゃないし、良いではないか。駄目だと言うかも知れないが、どうせ建前だ。押し倒せばその気になるだろう。良いじゃないか、最後くらい、いい思いをしたって――。
だが思いの外、由絵は強情だった。さっさと逃げようとしたのも、いきなり攻撃して来たのも予想外だった。そんなことをされるとは、夢にも思わなかった。腹が立った、怒りで我を忘れた。意地でも犯してやると言う気になった。だが、本当に、本当に――殺したかったわけじゃないのだ。あの言葉を聞かなければ、多分、殺さずに済んだのに。
どっちにしろ、もう後戻りは出来ないのだ。犯した過ちを帳消しになど出来ないのだ。有栖川直斗と羽村唯央の二人は、鷹之の行いを出会ったクラスメイトに言い触らすだろう。自分は絶対に信用されない、それどころか、出会った瞬間に殺されるに違いない。唯央のあの様子から、鷹之が由絵を殺害するのを、間違いなく見ていたはずだ。それが勝平の耳に入れば、勝平は鷹之を殺しにやってくるだろう。きっとそうだ。勝平は怒ると怖い。――明確に、命を狙われている。それは、こんなにも恐ろしいことなのだ。
コンバットナイフを握った両手で膝を抱える。膝と腹の間には、由絵の支給武器だった催涙スプレーが、決して身体から転がり落ちないように、深く腹筋に食い込んでいた。
昨夜は一睡もしていないのに、不思議と眠気は襲って来なかった。だが、睡眠不足のせいで、目がひどく乾いている。こんな気持ちでいるくらいなら、いっそ、眠りに落ちてしまいたかった。目覚めなくても良いから、もう、なにも考えなくて良い世界に行きたかった。だが、いざ目を閉じると恐ろしいのだ。
瞼の裏に、生気の失った由絵の、血に塗れた顔面が蘇ってくる。半分開いた無機質な瞳が、鷹之の脳裏で、途端にかっと見開かれる。めらめらと赤く血走った瞳がぎょろりと鷹之を睨んで、三日月のように過多につり上がった唇から、甲高い声が爆発した――死ね!!
鷹之は声にならない悲鳴を上げて、目を見開いた。脈打つ胸を押さえ込む。そんなことを、何度も繰り返していたのだ。