056.『こんなこと、やめよう(2)』


 朔也は勢い良く振り向きながら、腰に差し込まれたブローニング・ハイパワーに手を掛ける。しかし添えた手を引き抜くことはなかった。身動きも出来ないくらいの眼力を、狂気を、その肌で感じることとなった。縦長の青白い顔、普段はあまり生気のない眼鏡を掛けた瞳が、ぎらぎらと輝きながら朔也を見つめている。骨ばった細長い指先には、巨大なナタが――戦闘態勢に入ったまま、両手に掲げられていた。
 与町智治(男子二十一番)だった。ゲームが好きな、あの大人しい少年。真っ直ぐに人の目を見詰めるところは変わらないが、普段は無表情な顔は引きつって、唇の端がわなわなと震えていた。

「与町……」



「やあ、乃木坂くん、だよね、ははは、なんで、はは、僕の居場所が、わかったのかなあ、あれ、なんで、ねえ、殺さないよね、ね、ね、殺さないよねえ、あれ、死んで、あれ、ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえねえねえ」



 大きく、弧を描きながら、智治のナタが振り下ろされる。朔也は後ろに跳んで攻撃を交わした。もう一方で運んでいたポリタンクが派手に落下して鈍い音を鳴らす。

「やめろ、落ち着け!」
「おかしいよね、僕おかしいよね、おかしいよね、乃木坂くん」
「与町!」

 再び、空気を駆け抜ける音を上げながら、朔也めがけてナタが横切る。間一髪それを避けた朔也の膝から力が抜けた。躓いたような感触があったのだ。朔也が尻餅を付いたのと、勢いのあまり身体のバランスを崩した智治が、反転して同じように膝を付くのはほとんど同時だった。
 地面に打ち付けた尻の端に、固い感覚が触れて痛い。乾いた笑みを浮かべながら、智治がナタを手にふらふらと立ち上がろうとしていた。今しかない。朔也は必死になって、ひょろりとした背中に声を掛けた。

「聞いてくれ、与町、脱出できるかも知れない、だから」
「落ち着いてるよ? 僕は正常だよ?」

 まるで話が噛み合わない。教室から分校を発つまでに少なくとも四人のクラスメイトの死体を目撃しているのだ(正確には智治が目撃したのは桧山洋祐(男子十四番)を含め五人だったが、朔也は知らない)。銃声だって何度も聞いた。放送ではクラスメイトの名が着々に読み上げられ、間違いなく殺し合いが始まっているのだ、智治は耐えられなかったのかも知れない。それに、彼の友人――洋祐もすでに死んでいるのだ。智治は他に誰と仲が良かったっけ? わからない、わからない、わからない。
 与町、お前、誰も信用できなくて、狂ったのか?
 朔也は唇を噛みしめた。普段から、もっと彼に歩み寄ってみるべきだったのだ。なんとなく、話が合わないだろうなと決め付けていたから、特別親交を深めたりもしなかった。ただのクラスメイト、同じ空間にいるだけの存在。それがこんな形で後悔することになるなんて――。

 のろりと智治が振り返る。血管が滲むくらいに飛び出した智治の瞳が、真っ直ぐに朔也を射抜く。

「やめてくれ、やめよう、こんなこと」
「脱出??? 僕を殺して??? 君が脱出???」

 もう一度、振り上げたナタが、足元を掬われた朔也の頭上にぎらぎらと聳えていた。
 意を決して、朔也は腰から引き抜いたブローニング・ハイパワーの引き金を引いた。がら空きになった智治の上半身へ、一発、二発、三発と飛び出した全ての銃弾が食い込んで行く。腹や胸から溢れ出した血痕を朔也に注ぎながら、智治は衝撃と同時によろよろと後退り、後ろへ倒れ込んで、そのまま起き上がることはなかった。



 智治が倒れた後も、ブローニング・ハイパワーを構えたまま朔也は暫く動けなかった。疲労と緊張と衝撃を受けて、わなわなと震える腕を真っ直ぐに、智治がそれまでナタを振り上げていた場所に向けられたまま、凍り付いたように動けなかった。人を殺した、それも、クラスメイトを。そのショックが思考を停止させる。
 しかしやがて思考力が回復してくると、思い出したように朔也の胸はショックに波打った。それと共に、乱れだした呼吸を整えて、朔也はようやく銃を下げる。胃の中からなにかがせり上がる感覚があったが、なんとか堪えた。
 ふらふらと立ち上がりながら智治の容態を確認しようとして、朔也はすぐに目を背ける。夥しい量の血を流して、その中心部に仰向けに倒れた智治は、すでに絶命しているのに、その瞳は変わらずにぎらぎらと輝いていた。飛び出しそうなほどに大きく見開いて、真っ直ぐに一点を見据えたまま、一寸も動かなかった。

 朔也は急いで投げ出したポリタンクを拾う。早くこの場から立ち去りたかった。上手く力の入らない手でなんとかポリタンクを掴むと、もう一度だけ、智治の亡骸を見やった。

「与町……、ごめん」

 助けてやれなくてごめん、殺してしまってごめん。

 不意に泣きたくなった。人はこんなに簡単に死んでしまうんだ。こんなに簡単に人が殺せてしまうんだ。
 両親が離婚した時も、報われない恋に悩んだ時も、泣きたいほどに苦しかったのに涙なんて流れなかった。けれど、今は朔也の頬を熱いものがひたひたと伝うのだ。ごめん、与町、ごめん、許してくれ。
 朔也の脳裏に、愛しい少女の微笑みが浮かんだ。彼女に会いたい。けれど、会わせる顔なんて、人殺しの自分にはもはやない。

 ――ごめん、美海。





10/20 PM15:34
男子二十一番 与町智治――死亡

【残り:31名】

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