033.『だからなに?(1)』


「――!」

 畑道の脇に駐車されていた軽トラックの中で、うつらうつらと微睡みを漂っていた八木沼由絵(女子十九番)は唐突にドアが開いたことに驚いて飛び上がった。大陸とは打って変わって空気の澄んだ島では、暗いとは言え満天の星空や月明かりでそれなりによく見える。
 だから、ドアを開けた人物が恋人の友人の譲原鷹之(男子二十番)であると確認出来た時、由絵は安堵ではなくむしろ苛立ちを覚えて、苦汁を飲んだような顰めっ面をしてしまい、すぐにしまったと気付いて笑顔を浮かべた。愛想笑いだ、当然。

「びっくりしたー、譲原くんかー」
「よっ、八木沼さん」

 人にはよく、平べったい感じだとか、甘ったるい感じだとか、滑舌が悪いだとか言われる悠長な口調で声を掛けると、鷹之の男性にしては高めの呑気な声がそれに答える。――軽い感じは相変わらずのようで、なによりだと皮肉を言いたくもなったが、もちろん口にはしない。

「どうしたのー、こんな時間に?」
「んー、ちょっと島の巡回をと思いまして」
 朝方とは言えまだまだ日も登らない時間に、そんなわけないだろ、とますます逆立つ気分を落ち着かせる由絵に構いもなく、鷹之は続けた。

「可愛い女の子が一人で寝てるの見つけたら、危なくてほっとけないでしょ?」

 ほら出た、と由絵は湧き上がる嫌悪を実感しながらも、唇だけは三日月型を繕って頷いてみせる。恐らく目は全然笑っていないはずだ、この男が気付くとも思えないが。
 軽く笑い返しながら、割と露骨に由絵は整頓を済ませていたデイパックを掴み上げ肩に掛ける。鷹之がおや、と焦ったよう瞳を瞬かせたが、構うもんか。由絵は出来るだけ心情を悟られないように微笑んでから、片腕をひらひらと左右に動かしてさよならの意を表し、軽トラックを降り立とうとドアノブを引っ張った。



 がっつりと二の腕に圧迫感を覚えて由絵は振り返る。見ると鷹之が、か細い由絵のそこを焦げ茶色のカーディガン越しに力強く鷲掴んでいた。少し罰が悪そうな表情を浮かべてはいるものの、解放する気はないらしい。――ああ、苛々する。由絵は、黒い渦のような模様を辿るようにくるくると円を描く胸に、そっと手を重ねて服を握った。

「譲原くん、腕、痛いよー?」
「ああ、ごめん、でも、どこ行くんだよ?」

 鷹之が眉の端を釣り上げて怪訝な表情をしている。普段の軽さを取り繕ったような、けども困惑し切ったような、なんとも言えない引きつった表情。それを見ると多少罪悪感も浮かんだが、それよりも鷹之に対しての苛立ちの方が大きかった。
 由絵は別に短気と言うわけではないし、実際に自分でもそう思っている。人にはその口調に似つかわしくも、おっとりしてるやら、ほわほわしてるやら言われるし、あまり細かいことにはこだわらない。面倒だからだ。物事は成るようにしか成らないと思うし、あまりそう言ったメカニズムには関心がない、考えても仕方がないと思うからだ。だから普段はクラスの誰それが好きだとか嫌いだとか、感覚で思うことはあっても尾を引かないし、それが自分の良いところでもあると思っている。
 それでも、ことこの男に関しては特別だった。鷹之が仲間の高津政秀(男子八番)福地旬(男子十五番)と話してる会話を以前、偶然聞いてしまったことがある。

 ――昨日見た動画、超凄かった、ガチのレイプ物ってやつ? 三人の女の子を十人くらいでマワすんだけど、マジ興奮。あー、俺もやってみてえ!

 よりにもよってあのバカ男子たち、放課後だから誰もいないと思って教室でそんな卑猥な話題で盛り上がっていた。しかも鬼畜なジャンルの。
 由絵は入るタイミングを無くした教室の外で、壁に身を押し当ててその話題に聞き入った。盗み聞きは汚い? だからなに? こいつらの方がよっぽど汚らわしい生物だ。
 廊下で由絵が会話を聞いてるのも気付かず、三人の下品な話題は多少色を変えつつ脱線していく。ここまでなら由絵も、次の日辺りにはいつもの如くけろっとしたもので、後を引かなかったかも知れない。けれど次に鷹之が言い放った言葉は、由絵の心の奥深くに末恐ろしい感覚を植え付けた。

 ――勝平のやつ、最近彼女できて調子に乗ってるよな。しかも相手が八木沼とかなんなの? 腹立つよな? あんまり調子乗ってるようだったら、あいつの前で八木沼犯すけどいい? 俺、やっちゃっていい?

 今振り返れば、軽い口調とおどけた様子から、最低最悪な冗談の一種だったのだろうとは思う。鷹之は仲間内では福地旬と並んでムードメーカー的な存在だったし、実際由絵は、それまでは多少好感も持っていたのだ。面白いしちやほやしてくれるし、それらは悪い気にはさせなかったから。
 けれど、その時の由絵の衝撃と言ったら、彼氏がいると言っても多感な時期の少女にとっては、言葉に形容できないくらい凄まじかった。最愛の人を馬鹿にされた怒りも、貞操を脅かす恐怖も、その全てが一瞬で鷹之を生理的に受け付けない対象に切り替えた。おっとりしていると言われる由絵のことだから、これまでそれを本人に出したことはなかったが。
 あの日は、やれやれと囃し立てる政秀と、さすがにドン引きしてる様子の旬も含めて心底気持ちが悪いと身震いさえした。後に二人に関しては由絵らしくもけろりと忘れたけれど、恐らくそれも鷹之の放った言動だけが由絵の中で悪目立ちし、巡りに巡って、どろどろの液体と化して流れ続けたからだ。
 だから、こんな状況で鷹之に感じる恐怖は、命の危険よりも貞操観念の方であった。

 由絵は二の腕を掴むその掌を心底嫌そうに眺めると、困惑気味の鷹之に出来るだけ心情を悟られように気を付けながら、腕を引いた。

「ごめんね。あたし、勝平を探したいから、もう行くね」

 振り切りたくて引いた腕を、鷹之が更に力一杯握り締めるのを感じた。





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