028.『ほしいのは』


 殺風景な田舎道の商店街はどこもシャッターが下ろされて中には入れない状態だった。荒らされては困るのだから当然だとは思う。そんなわけで森下太一(男子十九番)はスーパーの駐車場の奥に聳える自販機の裏に、仕方なくその身を隠していた。三台ほど連なった自販機の影は死角を作るには申し分ないように思えたし、裏手は意外にも広々としている。だがゴミや虫の死骸などで汚れているそこは、決して居心地の良い場所ではなかったが。
 朝までの辛抱だと太一は自分に力強く言い聞かせる。日が登れば行動する生徒もそれなりに増えるだろうが、視界の悪い夜道を八雲に歩くよりはよっぽど安全に思えた。数時間前、銃声のようなものが聞こえた。夜中に見えない敵から襲われる方がよっぽど分が悪い。
 銃声と言えば――太一は頑なに握り締めていたトカレフTT−33を見つめる。正真正銘、本物の拳銃。まさか一生の内に、こんなものを手にする時が来るだなんて夢にも思わなかった。引き金に指を少し掛けただけで、人一人あっと言う間に殺せてしまう代物。こんなものを見てると、命の尊さなんて幻想に過ぎないのではないかとさえ、思えてしまう。
 けれど、護身のためと思って握っているだけで、太一はこれで殺人を犯す気にはなれなかった。

 何故なら思う。人は皆、その幻想を育んで慈しむのだ。綺麗事と馬鹿にする者もいるけれど、太一は思う。人の命は皆、等しく対等なはずなのだ。誰かにとっての不幸は、間違いなく誰かを傷つけるのだから、命は尊いのだ。

 だから、こんなものは使いたくないと切に思う。使う機会が訪れないことを願う。



 足音が近付いてくる。時刻は何時だろう、少しうたた寝をしてしまったらしい。太一が気付いた時にはすでに、足音はかなり近い場所をうろうろとしていた。
 身体が緊張で強ばるのを感じながら、太一は寝ている間も手放さなかったトカレフを改めて握り締める。使いたくない、使わなくて済むようにその足音が通り過ぎることを願いながら、僅かに自分の呼吸が乱れているのを感じる。こんな時間に電灯もない島を徘徊するなんて、やる気がある奴の行動としか思えないからだ。
 そしてついに、自動販売機の影をのぞき込むように、懐中電灯の光が照らされた。

「誰だ!」

 逆光でその人物の顔は見えない。けれど暗闇にぼんやりと浮かぶ体格は随分小柄で、一目で女子生徒だとわかった。

「この拳銃が見えるだろ? 誰でも別に構わないから、ここから立ち去ってくれ!」
「……森下くん、私よ」

 脅すように構えたトカレフの銃口が真っ直ぐに女子生徒に向けられている。あまり動じた風でもなく、その少女はひっそりと名乗りを上げた。――榎本留姫(女子三番)だ。

「榎本?」
「そうよ、森下くん。そっちに行ってもいい? 一人で不安だったの」

 太一は少し迷って、ゆっくりとトカレフを下げる。榎本留姫はなまじ自分と同じで大人しいタイプだ。小柄だし、女の子だし、この生徒に限ってまさかやる気と言うこともないだろう。太一は微笑んで頷く。

「いいよ。汚いけどな」
「平気よ、ありがとう」

 ぼんやりとしかわからなかった影が歩み寄るに連れて明確に見えてくる。留姫は制服ではなく、学校指定のジャージを着ていた。肩に掛けられたらデイパックのベルトには、ポーチのような物がブラブラと前後している。
 太一は隣に腰掛ける留姫に訊ねた。

「榎本、着替えたんだな」
「ええ。制服って、動きにくいじゃない? 寝間着にしようと思って持っていたから、着替えたの」
「そっか、確かにな。俺も持ってくれば良かったかも」
「ふふ、そうね。……ところで森下くん、それって?」

 留姫が太一の握り締められたトカレフを指差すので、太一は先ほどこれを留姫に向けたことを思うと少し罰が悪くなって、はぐらかすように頭を掻いた。

「ああ、俺の支給武器だったんだ。すごいよな、本物の拳銃なんて」
「ええ、本当に」
「その……さっきはごめんな、こんなもの向けて」

 留姫はゆっくり首を振る。

「いいのよ、気にしないで。こんな状況じゃ仕方がないわ」
「……ありがとう。」

 優しげな心遣いに感謝して、太一は留姫の姿を眺める。見たところ、留姫は武器のような物を持ち合わせてないように思えた。

「榎本の武器は?」
「ああ、私のは」
 そう言って、留姫はデイパックに吊されたポーチを開き、中から黒々とした丸っこい物体を取り出す。映画などで見たことがある、
手榴弾
だ。
「これだったの。こんなもの、持つのも怖いけど、捨てることもできなくて」

「なんかわかるよ、それ。俺も拳銃なんて怖いけど、いつ襲われるかって思ったら、できないよな。護身用だと思って持ってるけど、使いたくないよ、こんなもの」

「そうね」

 頷く留姫から視線を外し、太一はペットボトルを取り出そうとデイパックを探る。少し話したら喉が乾いた。あれ。中々見つからず、両手を突っ込む。

「榎本、ずっと一人だったのか?」
「ええ、ずっと、誰にも会わずに」
「そうか、俺も、会えなかったな、誰にも。分校じゃ金見たちがもう死んでるし」
 やっと指先が、柔らかいペットボトルに触れた。
「怖くなって逃げてから、ずっとここで――」



 ギャッと、短い悲鳴がカラカラの喉を吐いて漏れる。背中が熱い、物凄く熱い。恐る恐る熱くうねる箇所に手を伸ばすと、固く細長いなにかが背中から生えていた。熱い、熱い、なんだこれは、熱い、熱い――どさりと、力を失った太一の身体が前のめりに崩れ落ちる。それでようやく、自分の置かれた状態を理解した。刺されたのだ、後ろから、誰かに。誰かってなんだよ、一人しかいないじゃないか!

「榎、本……」
「ごめんなさいね、森下くん。これが欲しかったの」

 そう言って立ち上がる留姫をなんとか見上げると、その手には、太一に支給されたはずのトカレフがしっかりと握られていた。ああ、中々水が見つからなくて、うっかり離してしまったのだ。あれだけ力強く、開始してからずっと、握り締めていたと言うのに!

「待ってね、すぐに楽にしてあげるわ。……でもその前に、一つ教えてあげる」

 もはや睨む気力もない太一に向かって、留姫が語りかける。

「金見くんと香草さんを殺したのは、私よ。あなたの背中に刺さっている、そのナイフでね」

 さようなら――これが太一が耳にした最後の言葉だった。元々は太一の物だったはずのトカレフが、留姫によってその銃口が火花を散らす。至近距離で撃ち抜かれた頭部は爆破されたように飛び上がって、ゼリー状の肉片がどろどろと溢れ出した。
 留姫は太一のデイパックから弾丸とまだ開いていないペットボトルを持ち出して、自分のそれに仕舞うと踵を返す。太一の背中に刺しっぱなしにしているサバイバルナイフは回収しないことにした。元々は香草塔子に支給されたはずの手榴弾と、拳銃を手に入れた留姫には、もはや必要のないものだったからだ。

 ああ、それにしても、せっかく着替えたと言うのにまた汚れてしまった。もっとも、雄大と塔子を滅多刺しした時のような夥しい量の返り血は、浴びなかったから良かったけれど。それよりもこの銃、思った以上の衝撃があった。今回は至近距離だったから良かったものの、練習くらい、しておいた方がいいかも知れない。





10/20 AM01:13
男子十九番 森下太一――死亡

【残り:35名】

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