008.『ゲームスタート(2)』


 ハンデをなくすためだと言ってランダムに支給された武器を、迷彩柄のデイパックから探り当てて右手に握り締める。そして、ずっしりと引っ張られるように重いデイパックと私物の旅行バックを肩に下げ校舎を駆け出した時、すでに、そこは戦場と化していた。
 周囲を把握するのも困難なくらいに夜は深く真っ暗だったが、晩秋の長い桜並木が待ち構えているのはわかった。そして、その中央付近。キャーっと甲高いカラスのような絶叫を上げるのは、一つ前に出発した香草塔子だ。塔子の華奢な身体に、それより一回りも小柄な身体付きの少女が馬乗りになり、なにか、尖ったものを、頻りに振り下ろしている。

「よ、よせ!」

 如月仁(男子五番)は先ほど手探りで取り出していた支給武器――黒く威圧感を放つ自動式拳銃、M1911コルト・ガバメントを構え、二つの折り重なる影に走り寄る。
 香草塔子を襲っていた刃は仁の怒声に弾かれたように、その動きを止めた。

「そいつから離れろ、こっちには銃がある、離れなければ撃つ!」

 じりじりとコルト・ガバメントを構えながら、仁は徐々に距離を詰めていく。塔子に馬乗りになっていた影がゆっくりと立ち上がり、緩慢な動作で確かめるようにその顔を上げた。ほとんど闇に溶けた漆黒色の艶やかな短いポニーテールが、流れるように頬に纏わり付いている。

「……榎本、か?」

 暗闇にぼんやりと浮かび上がる、尖った輪郭。その小柄な影は見紛おうなく、榎本留姫えのもとるき(女子三番)であった。あの、保健室に入り浸ってて読書ばかりしている、大人しく覇気がない感じの少女。もっともその冷淡な顔立ちや、なんの工夫も施していないシンプルな制服は、生々しく浴びた返り血によって妙な異彩を放っている。
 独特な学校制度によって三学年目から宍銀中へ転入した仁は、彼自身の寡黙で不愛嬌な人柄も影響しているのだが、あまりクラスに溶け込んでいるとは言い難く、故にクラスメイトとはそれほど深い交友関係を築いてはいなかった。榎本留姫とは今日まで、一度も言葉を交わしたことがない。けれど半年間、同じ場所で席を並べて来て、その人柄はおおよそ理解していた。
 目立つことを嫌う、自己主張の少ない本当に大人しい生徒だ。普段は同じように保健室に入り浸っている朝比奈深雪や、都丸弥重とまるやえ(女子十番)と一緒にいることが多いが、休憩時間等で雑談に花を咲かせているのはもっぱらこの二人で、留姫は気紛れに輪から外れ、一人、黙々と席で本を読んでいるような少女だった。しかし気が弱いのかと思えばクラスの行事等で発言をする際は、むしろいつも毅然としており、芯の強さを窺わせるような面も確かにあった。
 だから普段から彼女は、強気な姿勢を取っていたと言っても過言ではないかも知れない。しかし、かと言って――あの華奢で地味な少女が、同性のクラスメイトを襲っていたと言う事実は俄かに信じがたく、あまりの衝撃に仁は唖然と立ち尽くしてしまう。
 足首に草のつるが絡み付いたみたいに動けない仁を見返し、留姫は一歩、まるで嘲笑うかのように軽やかに爪先を踏み出した。

「撃たないの?」

 冷や水を浴びたように驚き目を張る仁を、ぞっとするような冷笑を唇の端に浮かべ、見せ付けるかの如くまた一瞥すると留姫は踵を返した。近場に転がっていた自らのデイパックと塔子のデイパックを引ったくり、一目散に校門へ駆けて行く。彼女の動きに合わせて仁も反射的に身動ぎしたが、絡み付いた見えないつるは、ことごとく仁の邪魔をするのだった。結局唖然としたまま、その背中が消えるまで彼は動けなかった。
 拳銃を握り締めた右手に熱が籠もり、汗を滲ませている。――撃てなかったのには、他にも理由がある。校舎を出て間もない戦場、まだ銃弾を装幀できていなかったのだ。
 仁は脱力したようにコルト・ガバメントを下げると、横たわっている香草塔子に急いで駆け寄る。塔子が日頃から愛用していた水色のスクールベストは、もはや本来の淡い色彩とはかけ離れていた。見るからに、重症だ。身体の至る箇所を自らの鮮血で赤黒く染め上げ、荒く呼吸を繰り返している。

「香草!」
 俯せに倒れている塔子を抱え上げ、その真っ青な顔色を覗き込む。
「待ってろ、今から手当をするからな」

「あ、あ、……あ、あり、が、と」

 仁は慌てて首を振る。だらりと力の抜け落ちた身体は小刻みに震え、夥しい量の血液が後から後から、どくどくと溢れ出していた。仁はあまりの痛々しさに下唇を噛み締め、ショックで痙攣する瞼を伏せる。なんて、惨い。――頭の片隅で思った。これはもう、明らかな致命傷だった。

「いいんだ、いいんだ、礼なんて、香草、もう平気だからな」
「あ、あ、あ、か、金、見、くん、は……?」

「金見?」
 震える塔子の身体をゆっくりと仰向けに横たえ、立ち上がる。
「待ってろ」

 少し離れた場所の枯れ葉の上で、金見雄大が身体中を滅多刺しにされてすでに事切れていた。襲われた塔子の怪我の様子から見ても、雄大を殺した人物は間違いなく榎本留姫だろう。それに、横殴りにされたみたいにくの字に折り曲がった身体は、ざっくりと抉られた首筋を天に向けていた。
 仁は首を何度も振り、開いたままになっていた雄大の瞼に恐る恐る触れ、閉じてやる。途端に胃の奥から熱いものがせり上がって来たが、歯を食いしばって耐え、塔子の元へ戻った。

「首をやられてるよ、多分、即死だ」
「あ……や、っぱり、る、留姫が?」
「……そうだろうな」

 言いにくそうに肯定しながら、仁はデイパックから支給された飲料水を取り出す。真新しいペットボトルの口に触れると、塔子の血が染み付いた。軽く手の平の血液を濯ぎ、私物の旅行バッグからハンドタオルを取り出すと、塔子の顔に付着した赤黒い血を拭ってやる。――非道かも知れないが、もはや塔子は、生きているのが不思議なくらいであった。手当は施さなかった。

「如月く、ん……て、優し、かった、ん、だね」
「……そんなことはないさ」

 現に手に負えないと決めつけて見殺しにしようとしているのに、そんな言葉を掛けないでくれ――悲痛な面持ちでかぶりを振る仁を見て、重症であるにも拘わらず塔子は少しだけ、笑んでみせた。

「香草、寒くないか?」
「うん……」

 塔子は大きく息を吸い込み、焦点が定まっていないような虚ろな瞳だったが、真っ直ぐに仁を見詰めた。

「あのね」
 いやにはっきりとした口調だった。

「学校を出たらね、外で、ちち千恵梨が待ってるって、あたし、あああたし、信じ、てた、の」
「……ああ」
「でも、ででも、千恵梨、いな、いなかっ、た……」

 血を拭って綺麗になった頬に一筋の雫が流れる。くすんだ瞳から、じわりじわりと涙が溢れ出していた。

「あ、たし、千、恵梨のこ、と、ひどいって、おおおも思、って、でででも」

 小刻みだった身体の震えが、音が鳴りそうなほど激しくなっていく。明らかに血の気の足りていない身体は相当に寒いはずだ。綺麗になったはずの顔が、段々と浅黒く変貌していった。
 ――遠くからローファーを叩く音が近付いて来る。誰かが仁の背後を勢い良く駆け抜けて行くのを感じた。けれど、仁は振り返らなかった。涙を止め処なく流す塔子の最後を看取るべく、紡がれる言葉にただ、耳を傾けた。

「千恵梨に、謝り、たい……知佳、子にも、み、んな、に、も……あたし、も、だめ……」
「香草……」
「あああ」

 塔子はそこで、再び大きく息を吸い込んだ。そして、これまでで一番、はっきりした声で、告げた。



「ごめんなさい」



 その言葉が、彼女の最期だった。





10/19 PM22:16
女子四番 香草塔子――死亡

【残り:40名】

PREV * NEXT



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -