025.『好きな人』


 テーブルに置いてあったはずの武器がない。それは勿論、武器と呼ぶにはあまりに殺傷力がなく、どちらかと言えば防具の部類ではあったのだが、とにかく小桃の猫耳と手袋がない。
 それもそのはずだ。何故か美海がそれを被って、はにかんだように微笑んでいるのだから。

「にゃんにゃん」

 目を丸くする小桃に追い打ちをかけるように、美海がすっとんきょんな声を上げている。なにが起こっているのかよくわからない。

「小桃ちゃん」
 甘ったるい声で美海が小桃にじゃれついてくる。繰り返すがなにが起こっているのかよくわからない。
「小桃ちゃんが元気ないとミミも悲しいにゃん」

 はっとする小桃に、美海が困ったような照れたような複雑な笑みを浮かべて続けた。

「落ち込まないで、って言うのは無理かも知れないけど、小桃ちゃんは一人じゃないにゃん、ミミがいるにゃん! ……なんちゃって」



「あは、はははは、白百合さん、おかし……」

 ようやく笑みを浮かべる小桃に、安堵したように美海は息を吐く。美海もそれで我に返ったかのように猫耳と手袋を外して、赤面しながらちろっと舌を出した。クラスの男の子たちが見たら、卒倒するだろうなと、また可笑しくなる。
 ああ、やっぱりこの人は凄いな――と小桃は目を細める。可愛いだけじゃない、不思議な魅力がある人だ。一緒にいるだけでなんだが元気が出る。この人を悲しませたくないと思う。自分を好きになってもらいたいと思う。

 少しお話しようか――小桃を布団に促しながら、美海がまた微笑む。こんな状況でもこんなに優しい笑顔を浮かべられる人だ、なんて心強いのだろう。小桃は静かに頷いた。

「小桃ちゃんは、会いたいって思う人、いる?」

 さっきのあれ以降、小桃の呼び方が変わっているが、あまり気にならない。美海にはこちらの呼び方の方が自然に思えるし、少し嬉しいとさえ思うのだ。
 美海の問いに、小桃は頭にある人物を思い描く。実のところ、プログラムが開始してからその人のことは、一度だって忘れたことがない。今どうしてるのだろう、無事だろうかと、ずっと気に掛かっていた。美海は多分、気付いていただろう。何故ならその人は、美海と非常に親しいのだから。

「いるわ。白百合さん、気付いてたよね」

 美海がこくりと頷く。

「朔也でしょ? 朝になったら、探しに行こう。あたしも会いたい」

 ぴしゃりと美海が放った一言に、少しだけ胸が痛くなる。会いたい――美海は、乃木坂朔也(男子十三番)を本当のところどう思っているのだろう。朔也の方は、間違いなく美海が好きだと言うのに。

「あのね、白百合さんは、乃木坂くんのことって……」
「え?」

 美海が小首を傾げて、それからはっとしたように手を振るう。

「朔也は友達よ。あたし好きな人、いるもの」
「そうなの?」
「うん」

 少しだけ悲しそうに、美海が爪先の方を見つめた。

「誰にも内緒ね。……あたし、如月くんが、好きなの」

 思わず小桃は目を見開いた。気づかず、美海は言葉を続ける。

「でも、仕方ないわ。見たことが全てとは思わないけど、こんな状況だもの」
「白百合さん……」

 血塗れの香草塔子の遺体の脇にしゃがみ込んでいた如月仁。大量の返り血を浴びた仁がゆっくりと小桃を振り返った時、変わり果てたその風貌と、大きく見開かれた瞳に殺気が宿っていると思って、恐ろしかった。美海に促されてようやくその場から動けたけれど、けれどもし、小桃があの場にいなかったら。もしも美海が一人だったならば。美海は逃げただろうか。小桃だったらどうだろう、もしも仁が朔也だったなら。ああ、逃げるわけがない。事情を聞くだろう、最後まで信じようとするだろう。美海だってきっと同じだったはずだ。その証拠に、美海はまだ好きなのだ、仁のことが。
 あたしがあの場にいたから、彼女は、あたしのために――小桃の目頭が、熱く滲んだ。

「小桃ちゃん、朔也って、モテるでしょ? でもね、あたしはずっと小桃ちゃんと朔也がくっつけばいいのにな、って思ってたのよ」

 努めて明るく、美海が小桃を見る。小桃もなるべく涙に気付かれないように、微笑んで見せた。

「やだ、どうして? 乃木坂くんみたいな人には、あたしなんて釣り合わないのに」
「なんで? 小桃ちゃんは可愛いし、いい子だし、なによりすごく――芯が強くて、正義感があって、何事にも真剣な、素敵な女の子じゃない。朔也に勿体ないくらいよ? ……なんて、朔也が聞いたら、怒るかしら」

 えへへ、と美海がすくみ笑いをして、内緒ね、と唇に人差し指を立てるのを眺める。そんなこと初めて言われた。美海が語った小桃の人物像は、小桃からすればむしろ美海そのものだ。それに加えて思い遣りがあって、優しくて、明るくて。太陽のような人だ、美海は。
 小桃の脳裏に、また別の人物が浮かぶ。――適うわけがない、こんなに素敵な人に、あたしたちが。ねえ、そうでしょ?

 美海がもう一度小桃を、休むように促す。小桃は今度こそ頷きながら、ゆっくり布団に横になる。

「ねえ、小桃ちゃん。あたしね、信じてるの。アキラと朔也が揃えば、こんな酷いゲームなんて、どうにでもなるんだから。……みんなにも会いたいな。果帆、由絵、サキ、花菜、直斗……みんな、どうしてるの?」

 後半はほとんど独り言のようなものだった。美海の声を聞きながら、小桃も思いを馳せていく。千恵梨、みんな、どうしてるの? 和華と塔子がいないのに。大丈夫だろうか? そして、――弥重、ああ、あなたにも会いたい。会って、謝らなきゃいけないことが、あたしにはあるのだ。
 思ったよりも疲れていたらしい。美海に見送られながら、小桃はゆっくりと微睡みの世界へ、落ちていくのだった。





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