072.『透明な罪にしなだれて(7)』


 M4カービンのスコープを覗き込み、しっかり榎本留姫の額辺りをポイントしたまま、如月仁は長いこと押し黙っていた。ずっとスコープを覗いていたので、本堂空太と間宮果帆の二人がどの方向に逃げ、どのくらいで消えたのか、おおよそしかわからない。けれど、とにかく二人が近くにいない、と確信出来るくらいの長い時間を、仁は身動ぎ一つやめ、黙っていた。
 対する榎本留姫も、仁がなんのアクションも起こさないことを訝しむこともなく、ただ、黙って仁を眺めていた。適わないと思ったのか、トカレフはすでに留姫の右腰辺りで、だらしなく銃口を下にしている。
 先ほどは少し苛立ちを見せていた留姫は、こちらを振り返った時、火花を散らすように瞳を煌々とさせていたのだが、すでにビー玉のような無気力な感じの丸い瞳に戻っていた。なにを考えているのか、伺い知る余地もないほどに、果てしない虚無が広がっているのでは、と仁は思った。当然、留姫は留姫の思惑と理想があっての行動なのだから、虚心自在の心、と言うわけではないはずだ。けれど仁は、なんとなく虚しさを感じたのだ。よくわからなかった。
 なのに、留姫は、相変わらず口元は笑みの形を繕ったままだった。まだまだ大人には程遠い、幼い顔立ち。留姫は、それなりにパーツは整ってはいるが、まずまず平凡な顔立ちだ。人目を惹くような、特別に秀でた部分はあまりない、普通の、中学三年生の女の子。けれど、あの分校で香草塔子を殺害した直後、振り向いた留姫は。今、こうして身の危険を省みず、堂々と微笑している留姫は。どこか神秘的で美しささえ醸し出しているのだ。プログラムと言う名の椅子取りゲームで、殺戮の中でこそ、どんなときよりも彼女は美しかった。

「撃たないの?」
 ようやく、沈黙を留姫が破った。あの時と同じ言葉を紡いだ留姫の唇に、八重歯が少し覗いた。
「そうよね、撃てないわよね、あなただって、命は惜しいはずだもの」

「俺はお前と差し違えても構わないんだ」

 果帆が言っていた。留姫がプラスチック爆弾を所有していると。――プラスチック爆弾。映画なんかでは、銃で撃ち抜くと一気に大爆発を起こしたりするが、実際のところどうなのだろう。残念ながら、仁にはその知識はなかった。だが、それはどうでも良かったのだ。彼女の命も道連れに死ねるなら、それも本望と言う気がした。極端な話、英雄になれると言うか、英雄と呼ばれたいわけではなかったが、どう転んでも、生かしておいては駄目なのだ、榎本留姫は。
 留姫があの惨劇の後、何人のクラスメイトを惨殺したのか、仁は知らない。だが目の前で間宮果帆と本堂空太の二人を、殺害しようと目論んでいた。それで十分だった。

「勇敢なのね、如月くんは。間宮さんと同じこと言ってる」
 留姫が言った。軽やかな口調でさえあった。
「そして、優しいのね、とても。それほど仲良くもないのに、助けてあげるなんて。私には無理だな。それとも、なにか特別な思い入れでもあるの? 香草さんやあの二人に」

「思い入れ? それは、お前の方じゃないのか、榎本」

 留姫が実に不思議そうに小首を傾げる。仁は続けた。

「金見や香草の時は、有無を言わさず殺したんだろ? なのにあの二人には、ずいぶん饒舌だったみたいじゃないか」
「そう? 単なる気まぐれよ?」

 ふふ、と留姫の口元から少女らしい笑みが零れる。仁は瞼をすっと細め、顔をしかめた。何故、この少女は、こんなにも余裕でいられるのだろう。相撃ち覚悟で戦って来る相手ほど、恐ろしいものはないじゃないか。戦時中の、まだ大東亜共和国が大日本帝国≠ニ呼ばれていた頃、連合軍は日本軍の献身的な自己犠牲精神に畏怖の感情すら抱いていたと言う。それと同じじゃないか、今の自分は。

「それより如月くん、私を殺すの、少し待ってくれないかしら」

 言いながら、留姫がトカレフを持つ腕を少し持ち上げた。それで仁は身動ぎしたが、留姫はもう戦う意思はない、と言うように、それをジャージのズボンの後ろに差し入れた。
 仁はいよいよ本格的に訳がわからなくなっていた。相変わらず、笑みを讃えたまま、留姫は続けた。

「少し、話を聞いてほしいの」





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