090.『知っていますか、お星様(5)』


「っつっても、男子は、もう半分か……」
「ああ、……くそったれ。まだ一日も経ってねえのに」

 黒インクのボールペンを指でくるくる回しながら(ほとんど無意識の行動だろう)溜息と共に吐き出した晶の言葉に、圭吾が苦しげに悪態を吐く。現在の時刻は、夜の七時をちょうど回ったところであった。昨晩分校を離れたのが夜の十時前後だったことを思うと、丸一日と経過していないのだ。なのに、すでに十七名もの尊い命が、失われた。

「榎本以外にもやる気の奴がいるのは、ほぼ間違いないよな……」

 そうして俯いたのは夏季であった。晶がそっと、夏季の肩に手を添え、夏季が軽く頷き返して顔を上げるのを確認すると、言葉を続けた。

「直斗は信用してくれていい、俺が保証する」
「ああ、あたしも」

 保証するよ、と果帆もそれに同調する。有栖川直斗(男子一番)は、果帆や晶が普段からかなり親しくしている生徒の一人だ。笑うと糸のようになる瞼と控えめなエクボが愛嬌があり、親しみやすいと評判なのだが、なにかと華やかな晶や女子に絶大な人気を誇る朔也の影に隠れ、やや地味目な少年である。彼が醤油顔と呼ばれる大東亜人らしい顔立ちをしているのも一因であろう。

「バカみたいにお人好しだからな、直斗は」
「そうそう。もしやる気だったとしても、死にたくねえって駄々捏ねる奴前にしたら、同情で逆に助け兼ねないくらいのお人好し」

 そう言って晶は、再び煙草を咥え火を点けると、「ま、奴は根っから殺人とか向いてないな」と煙を吹き出しながら少し笑み、殻になったクール・キングのボックスを握り潰した(晶もかなりのヘビースモーカーのようだ。校内でも隠れて吸っていたことはみんな知っている)。

「へえ、お人好しって言ったら乃木坂のがそれっぽいけどな」
「まあ、あいつも大概だけどねえ」

 夏季の言葉にしみじみと頷く晶を一瞥し、果帆が呆れ顔で言い放つ。

「二人とも人がいいよ、本当に。考えてもみろ? アキラとずっと仲良いんだからな」
「ああ、納得」
「こらこら」

 ここへ来て果帆と夏季の思わぬコンビネーションが発揮されたようだ。そのやりとりに、空太と圭吾と冬司の三人は、くすりと小さく笑みを零す。晶も口では咎めつつも別段気に止める素振りもなく、今度はボールペンの先で生徒名簿の、左上の辺りをつついた。

「あと、如月だ。果帆と空太の話を聞く限りじゃ、俺は信用してもいいと思うが」
「大丈夫かな? 土壇場で裏切られちゃシャレになんねーぞ」

 頭の裏で両手を組みながら、壁に背を預けていた圭吾が曖昧な笑顔でそう言った。次に冬司が小首をやや傾け、穏やかな口調で空太に問うた。

「空太はどう思うの? 如月くん、信用して平気?」
「うん。俺、ほとんど話したこともないし、あの人すげえ苦手だったんだけど」

 一息置いて、空太は瞳を閉じた。

「でも、助けてくれたよ。変わりに自分が死んだかも知れないのに」
「ただ、その榎本共々生きてる≠チてのが、俺は少し引っかかるんだけど」

 圭吾がそう続けるので、空太は彼に振り向きながら不思議そうに口を尖らせた。

「なんで?」
「だってよ――状況的にどうなの? 都合良く現れたってのも、なんか胡散臭いし」
「どう言うこと?」
「だから……最初から繋がってんじゃないかって、そーゆーことだよ」
「いや、それはない」

 そう言って言葉を遮ったのは、晶だった。

「意味がないだろ。如月はともかく、榎本にはなんのメリットもないことだ」
「両手広げて、無条件に受け入れる理由も、ないと思うわ」
「確かに」

 頷き、晶は生徒名簿の『如月仁』の脇に、三角のマークを付けた。

「如月は保留だな、出会えたらその時に十分な対談をして、対応しよう」

 どこぞの政治家のような物言いをしながら、今度はボールペンの先を下にずらし、菫谷昴(男子六番)の名を指し示した。

「あと、菫谷だけど、俺あの人全然よくわかんないんだけど、どうなの?」
「ああ、大丈夫だよ、普段あんな感じだけどあいつは――」
「いや」

 頷き掛けた空太の言葉を、夏季が、遠慮がちに遮る。

「ごめん、いいか。俺はさ、菫谷も信用は出来ねえよ」
「え? 夏季?」
「無理だよ。俺だって、まあ仲良かった方だけど、それでも全然わかんねえもん、あいつのこと」

 意外な面持ちで空太に見据えられた夏季は、居心地が悪そうに僅かに身動ぎした。そして、テーブルに肘を付き、俯こうとする首を支えるようにして手の平に顎を置き、言い難そうに話しを紡いだ。

「自分勝手だし、人のこと小馬鹿にするし、嫌みったらしいし、……って、これじゃただの愚痴だけど、でもほんと、いつだって本心がわかんないんだ、あいつは。俺らと連んでたのだって、ぶっちゃけ意味わかんないだろ? 特に誰かと気が合うわけでもなさそうだったし」

「裏表があるってことか?」
「ん、と言うか」

 あくまでも客観的に物事を見極めようと努める晶の静かな口調とは対照的に、夏季の口調は情緒的であった。夏季は顎を引き、しかしすぐに首を左右に二度振るのだった。

「裏表すらあるのかないのかわかんねえよ。てか、単純に怖いのかな、俺、菫谷が」
「でも、優しいところもあるよ、あいつ」

 そこでふと思い出した空太はテーブルに身を乗り出し、人差し指を掲げて軽く空中を突く真似をして見せた。そうそうそう、と言葉よりも先に逸る気持ちが行動に反映された結果であった。

「そう、例えばさ、――もう死んじゃったけど、渡辺。あの人さ、すごい付き纏ってたでしょ、菫谷に。菫谷はさ、本人から聞いたわけじゃないけどあんまり興味なかったと思うんだよ、彼女に。うん、ってか、女に興味ないのかな? わかんないけど……でもほら、避けたりとか、きつく当たるわけじゃなかったし、いつも相槌打ってあげてたじゃん、あれって優しいから拒絶出来なかったんだって、俺は思ってて」

「空太……、そう言うのはね、本当の優しさとは言わないのよ?」

 言いながら、晶は薄ら笑いを浮かべ、煙草をもみ消した。

「自分が悪者になりたくなかっただけ。いるんだよな、そーゆー奴。興味ないならきっぱりすっぱりお断りしてやんなきゃ、むしろ可哀想だろ、相手が。期待したままじゃ次に行けねえもん、女って」
「女たらしが言うと説得力が違いますねー」

 皮肉げに横槍を入れるのは果帆だ。言葉を失った晶が困ったように果帆を見据えると、果帆は明後日の方向へ顔を逸らした。そんな二人のやりとりは、さておき――空太は頭皮を指の腹で引っかきながら、どのように言えばわかって貰えるのか思案した。

「……ま、アキラはそうかも知れないけど、菫谷の優しさは多分、それなんだって。傷付けたくなかったんだよ、きっと」

 それから思い立って、ぽんと手を打った。

「ああ――あとさ、あいつ、動物好きなんだよね、意外じゃね? 特に猫ね、猫萌えなの、あいつ。ね? 俺の持論なんだけど、動物好きな奴に悪い奴いないよ」
「俺の持論。人間嫌いの反動で動物好きになるパターンもありかと」

 あくまで菫谷昴は信用出来ない、と言う考えは、夏季は変わらないらしい。夏季の物言いを受け、「ああ、菫谷そっちっぽいねえ」「嫌いと言うか、そもそも興味ないんだろ、人に」――と、晶と圭吾がぼやくのが聞こえる。確かに日頃、菫谷昴は素行に問題のある点も間々あったが(協調性がなかったり、ワガママだったり)、それにしたって、他の生徒ならともかく、彼とそれなりに親しい夏季がこれほどまで堅固になるまでのなにがあったのか。

「菫谷に関しても、十分な対談を行った上で対応しよう。ただ、如月よりも警戒レベルは上、かな?」
「うーん、俺はどっちもどっちだけど」

 まとめに入った晶に圭吾と果帆が頷く。

「いいだろ、次に行こう。……御園と、福地だ」

 素行が荒いと悪評の福地旬(男子十五番)と、そして御園英吉(男子十七番)――果帆が促した言葉に、「アウト」と夏季が、「いや、セーフ」と空太が、「御園アウト、福地セーフ」と晶が続き、「どっちもおっかねーわ」と圭吾が締めた。

「あ――福地くんは、俺結構プライベートで付き合いあるんだけど」

 そう言葉を発したのは、意外にも冬司であった。冬司や圭吾が属する所謂体育会系グループの彼らは、目黒結翔と言った見た目が派手な生徒もいたが、宍銀中三年B組ではそれなりに優等生の分類であった。対する福地旬は、所謂不良とされるグループのメンバーで、学校生活において特別な接点があるようにはこれまで見えなかったからだ。
 冬司は「彼、バンド活動してたの知ってる?」と続けた。

「へえ、知らない」
「バンドしてたんだ、道理であのナリだな」

 圭吾の言うあのナリ≠ニは、黒髪ストレートの長髪と、顔中に散りばめられた無数のピアスのことだろう。

「びじある系でしょ、びじある系」

 妙な発音で空太が相槌を打つと、冬司は苦笑しながらやんわりと訂正した。

「ビジュアル系ね。俺ね、結構呼んで貰ったの、あの――俺の従兄弟がね、福地くんと小学校一緒でさ、バンドも一緒に始めたみたいで」

 冬司は軽やかな笑みを浮かべ、穏やかな口調で語り続ける。

「学校にいる時とはまるで違うんだ、まずねえ、優しい、すごく。悩み事があると、みんな福地くんに相談するんだって。あと、メンバーの誕生日とか全員覚えてて――五人グループなんだけど、毎回プレゼントするんだって、こっそり。中学生だし、みんなお小遣いで遣り繰りしてるでしょ、だから、みんなの前では渡さないで、こっそり。ね、結構気遣いさんだよね」
「へえ、学校じゃバカ騒ぎしてる印象しかないけど」
「周りがあれだからな。相談役って言ったら割と世話焼きの勝平がいるし、まとめ役って言ったら御園がいる。秋尾みたいに黙ってられるタイプでもないし、高津や譲原と騒いでる方が楽だったんだろう。気遣ってやるようなメンバーでもないしな」

 しみじみと意外そうに呟いた果帆に答える形で、晶が個人的な解説を述べると、――「確かに」と、優しげに冬司は頷いた。

「うん、少し距離を取ってる部分はあったのかな? 学校の外で一緒にいる理由はない、って前に言ってたの聞いたよ」
「そっか」
「裏を返せば、仲間への信頼すら、その程度ってことだろ? なのにただのクラスメイトを信用するとは、あたしには思えない」

 冬司は弛緩な動作で、首を左右に揺らした。

「話せばわかってくれるよ、悪い人じゃない」
「わかった」

 福地旬に関しては、それなりに不信感を抱く者もいるとは言え――小田切冬司がこれほどまでに庇うのだ。物腰が柔らかで純粋な彼だけれど、他のクラスメイトと比較しても決して世間知らずなわけではなく、むしろ物事を客観的に捉えることの出来る利発的な少年だ。一同は、ゆっくりと頷いた。
 それでも、警戒するに越したことはないが――と晶は言葉を濁しつつ、福地旬と書かれた名簿の端に印を入れる。そして最後に、とばかりに一同を見渡した。

「御園はどうだ? 接点のある奴、いるか?」
「俺、ないよ」
「俺も」

 空太、冬司と順に首を振る。夏季が苦汁を飲んだように顔を顰め、罰が悪そうに口を開いた。

「御園だって菫谷と同じタイプだろ、なにを考えてるのかわからない。冷たいし、こっちの方が深刻じゃね?」
「だな、俺、ちゃんと話したことないわ」

 同調したのは圭吾であった。夏季は、一度果帆を盗み見るように一瞥すると、戸惑い、言い難そうに続ける。

「つーか、いい噂聞かないでしょ、あいつ。A組の奴らが立ち話してるの聞いたけどさ、なんか──兄貴とその友達? と、女の子連れ込んで、無理矢理シンナー吸わせたりして、うん、ヤバイこと結構してるみたい」

 晶の深い溜息が聞こえた。

「噂だろ、所詮」
「そうだけど……。火のないところに煙は起たないって言うじゃん」

 あることないこと噂されている晶には、他人事と割り切れない部分もあったのだろうが――実際、その通りなので、一同は納得したように口を噤むのだった。唯一の女子である果帆だけが、腑に落ちないと言うような微妙な顔で呟いたのだった。

「御園、あたしら女子には割と優しいと思ったけど」
「え?」
「サキが階段から転びそうになった時、助けてくれたんだって」

 サキ、と言うのは和歌野岬(女子二十一番)のことである、あの、宝塚コンビの片割れの。これまた意外な証言が飛び出したな――と、空太は目を見開いた。

「マジで? 女に優しいのに、女にひどいことしてんの? 矛盾してね?」

 半笑い気味に言う圭吾に、「これ以上は不毛な議論だな」と、晶は制止を掛けた。

「器量はある奴だと思うが……率直に、御園が危険だと思う奴は?」

 ひとり、ふたり、さんにん――と控え目に手が上がるのを見て、晶は生徒名簿に視線を落とし、端に印を刻んだ。

「決まりだな」





【残り:27名】

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