075.『僅かな希望に乗せて(1)』


 分校で凄惨な殺害現場を目撃し、好意で救出した女子生徒をみすみす死なせ、そして、その現場を事情の知らない二人の少女に誤解された。――まるで自分勝手な言い分だと自嘲しても、思わないではない。何故、話も聞かずに逃げてしまったのか。確かに自分と言う人間は、無口で無愛想で、こちらにはそんなつもりはないのに、怒っていると捉えられたり、なんとなく冷たい奴だと思われたり、損な立ち回りをしていることは、自覚していた。幼い頃からそうだった。要は、気分屋だったのだと思う。決して輪に入ることを拒んでいるわけではないのに、いざ仲間に誘われると、居心地の悪さを感じてそれが顔に出た。それなりに上機嫌でも、ふとした瞬間に考え事をして、その時の表情をつまらないと感じているのだと誤解された。なんでもかんでも顔に出るからダメなのだ。幼いながらにそう思った彼は、極力表情を変えないように努めた。そしてそれが、悪循環にも相手の不信感を増殖させて行ったのだった。
 肺いっぱいに押し込んだ空気が、溜息となって吐き出される。困った、昔のことを考えてしまうなんて、自分は相当に参っている。榎本留姫の話を聞いてから、箍が外れたように感傷的だった。
 如月仁は身を翻して、集落の狭い道路へ足を踏み出した。榎本留姫が姿を消し、混沌としていた思考が一通り落ち着きを取り戻したところで、間宮果帆や本堂空太を追い掛けてみようかと思ったが、二人がどちらへ逃走したのか曖昧だったので断念した。それに、やっぱり――二人でいたことや、留姫と対立している様子だったこともあって、仁は空太と果帆を信用にたる≠ニ判断していたのだが、問題はその二人が――事実上、仁の介入によって難を逃れたとあっても、すんなり自分を信用するかは、疑わしいものだった。自信がなかった、と言った方が正しい。それは事ある毎に誤解され易い自身の性質も含め、分校でのあの一件が、トラウマみたいに仁を躊躇させる一因になっていた。
 近いところで鈍い感じの爆破音が聞こえたときは一目散に救出に動き、向かった先で二人が襲われているのを理解したときは、助け船を出すことになんの戸惑いも躊躇もなかったのだが、わざわざ追ってまで、手を取り合おうと声を掛ける勇気はなかった。残念ながら、自分が信用しているから、相手もそのはずだ、わかってもらえるだろうと楽観出来るほど、仁はやはり愚鈍ではなかった。
 それに、――間宮果帆。彼女は白百合美海と親しかった。
 クラスで未だ孤立気味の仁を気に掛けてくれていた数少ない生徒と言えば、頭を捻るまでもなく浮かんで来るのが、白百合美海と、乃木坂朔也と、そして――もう死んでしまったが、筒井惣子朗(男子十番)の三人であった。仁の性質を陰と言うカテゴリに置いたとして、詰まるところこの三人は、陽のカテゴリに属するに違いない。お節介な人となりを兼ね揃えた、仁にはない明るさと穏やかさを共通して携える三人。
 惣子朗は、どこか華やかな印象の泉沢千恵梨の影に隠れてはいるが、負けず劣らず立派な学級委員長だった。教室でのあの、惣子朗が殺害されるまでの過程でその人柄は大いに想像出来るだろう。決して保身のためではない責任感の強さ、当たり前みたい他人を思いやれる心――故にあまり前に出たがらず、出番は譲って控えめなところも、仁は好感を持っていた。けれどいざという時は、ああして、身の危険を臆することなく異論を唱える威厳を兼ね備えた――仁は思う、惣子朗こそが王者の風格に相応しかった。なのに、あんなに早くに死んでしまうなんて。
 朔也と美海に関しては、編入したての仁の耳にも黄色い声が至る所から聞こえるレベルだった。まるで一流の彫刻士が、生涯の最高傑作と唄いそうなほどに、二人とも綺麗な顔立ちをしていた。もちろん、後々に容姿以外の部分で彼らの暖かさに仁も気付いたのだが。やたらと仁を気に掛ける様子も、決して不自然ではないようにさらりとこなしてしまうのも、彼らの凄いところであった。そして多分、二人共、人の気持ちを察する能力と言うのが長けていた。仁があまり乗り気ではないとき、下手なお節介を焼くことはしなかったのだ。
 思ったのだ。教室で、反吐が出そうなくらい不愉快なベアトリーチェの声を聞きながらも――自分と言う人間はもちろん、多くのクラスメイトには受け入れられないだろう。けど、朔也と美海ならば、或いはその二人と親しい生徒ならば、仁を警戒しないでいてくれるのでは、と。だが、その白百合美海が自分を信用に足らないと判断した。事情があったにせよ、誤解があったにせよ、仁はやはりショックだったのだ。例えばあのときの自分が、朔也や果帆だったなら――美海は逃げなかったはずなのだから。
 当然、頭では理解しているつもりだった。まだ半年しか学校に通っていない、ましてや、打ち解けているとも言い難い自分と――仁よりも二年も長く、時間と思い出を共有して来た友人たちと、対等な扱いを受けたいなどおこがましい。プログラムと言う状況下では、ほんの些細な出来事も命取りになり兼ねないと言うのに。

 仁は不意に、先ほど榎本留姫が言っていた、恋は麻薬のようなもの≠ニの言葉を思い出した。完全に圧倒されていたので、その時は特別感想も抱かなかったのだが、今ならわかる気がする。もちろん、まやかし≠竍幻想≠ニの言い回しは賛同出来ないが。麻薬と言うよりも、熱病のようだ。正気でないと言う点で。
 強い恋慕と言うのは、よくわからない。恋慕と言うより、憧憬に近いとすら思う。けれど、彼女が彼女たる所以、とどのつまり、割り切れないのだろう。せめて、話を聞いてほしかった。なにがあったの、と一言声を掛けてほしかった。立ち止まって、自分を見てほしかった。
 その彼女の親しい友人を追って、受け入れて貰えるよう説得するのは、躊躇われたのだった。決してそうではないのに、美海の聖域を踏み荒らしたような、罪悪感にも似ていた。まったく、多分、こう言ったところが人に避けられる要因でもあると、わかっているのに。思ったこと感じたことを、はっきり伝えない。誤解があっても、仕方がない自分はそう言う人格形成をしているのだからと諦めて、なにもしない。よく言えば寡黙で言い訳をしない真摯な性格。けれど、世渡りが上手くなければ、潰れるだけだ。

 仁は思考を打ち消すようにかぶりを振った。無限ループに陥りそうだと、うっすら嘲笑を浮かべる。どの道、脱出したいのであれば、仲間を集める他ないのだ。
 小綺麗な雰囲気の家に目が止まる。手入れの行き届いた芝生の周辺を、彩り緑の花壇や植木が連なっている。そこの、出入り口付近に男子生徒が、中央よりの部分に女子生徒が、倒れている。全身、血まみれだったが、顔は見えない。けれど外見的特徴で、それが誰かはなんとなくわかった。
 現代では決して流行とは言えない、だぼだほのルーズソックスと丈の短いスカート、ややボリュームのある体型は、野上雛子だと思う。特徴的な色素の薄いツインテールは、赤黒く塗れてぼさぼさに解れている。男子生徒の方は片腕がなかったが――百獣の王、ライオンを思わすオレンジ色の長髪は、あれは、高津政秀のはずだ。政秀は尻の辺りまでやたら真っ赤だったのだが、よく見るとトランクスだった。仁はそれをひどく、哀れに思った。死体になってまで局部を守る布地を晒しては、自分だったら耐えられない。仁は上着かなにかで隠してやろうと思い、一歩足を振り入れた。
 門を潜り、玄関の前を横切る。政秀と思わしき遺体を見下ろしてから周辺を見渡し、千切れた腕を見つける。迷ったが、仁はそれを回収することにした。恐る恐る腕を拾い上げて、政秀のもとに持って行ってやろうと身を翻し――ぎくりとなって仁は飛び上がった。
 正門と玄関の間、その端には小型の倉庫のようなものが建て掛けてあったのだが、その、奥の影に女子生徒が腕を組んで背中を預けていた。短いスカートと、色素の薄いショートカット。流行の緑色のカーディガンと、耳朶で煌々と反射する小振りなピアス――水鳥紗枝子(女子十六番)だった。

 仁は咄嗟にM4カービンの銃口を向ける。紗枝子はそれを一瞥しただけで、大袈裟に溜息を吐くと、面倒臭そうに呟いた。

「物騒なもの向けないでよ。ばかね」





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