088.『知っていますか、お星様(3)』
「怒った」
「ごめん……」
「いくらなんでも怒った」
「悪かったよ、そうカリカリするなって」
「お前らの頭はお花畑か」
「ほんと、悪かったって……」
「こんな状況で、よくそんなしょうもない悪ふざけが出来るよね」
「ごめんなさい、不謹慎でした……」
「二度とするな」
「はい……」
ぺこぺこと頭を下げる新垣夏季と小田切冬司、そしてこれまでにない威圧を感じされる本堂空太を、間宮果帆は意外な面持ちで眺めた。道明寺晶等に促され土足のまま、ランプの光に照らされたダイニングキッチンに通された二人は、初めは大人しくしていたものだが、あまり反省の兆しの見えない四人に次第にぶち切れた空太が憤懣を喚き散らすまでさほど時間は掛からなかった。
木材で出来た椅子に腰を落ち着かせ腕と足を組む空太は、それはそれはご立腹な様子で、つんと明後日の方角に首を傾けた。ほとほと困り果てた夏季と冬司が、テーブルの反対側でこちらに背を向けながら凭れる(知らぬ存ぜぬ素振りの)竜崎圭吾に恨めしげに目配せすると、圭吾の爽やかな坊主頭に水滴がポツポツと浮き上がる。その表情はと言うと、何故か電球の辺りを見つめながら薄ら笑いすら浮かべているのであった。
「怒るなんて珍しい」
デッキの窓側から空太を見ながら、果帆が感心したように呟いた。時々毒舌を吐くことは知っていたが、あのように怒ることもあるのだな、と感慨深い気持ちでしみじみと頷く。果帆にしても件の悪ふざけに対して(主に今自分の左脇で苦笑いを浮かべる女たらしに)憤りはあったのだが、空太のあの剣幕を見ていたら返って冷静になれてしまった。
だが、晶が果帆に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、「空太って実は怖い子だったんだね」と囁いたので、その頭をばっちこーいとひっぱたいた。
「お前らが子供みたいなことするからだろ!」
つい手が出てしまった。つい、だ。
叩かれた頭部をさすりながら、しかし実に涼しい顔で(何事もなかったかのように)晶が制服のズボンから煙草を取り出す。彼の愛用の銘柄はクール・キング、メンソールが強すぎない爽やかな味わいがお好みらしい。あと中学生らしく(?)その名称の由来も気に入っているのだとか。――Keep Only One Love、頭文字を取ってクール。シーではなくケーであることがポイントだ、どうですか、皆さん。
煙草に火を点けた晶がテーブルの脇に置かれた灰皿を求めて、果帆の側を離れて行く。先ほどの果帆がど突いた際の晴れやかな音に気付いていた面々が、訝しげに冷や汗を浮かべていた。「相変わらずおっかねえー」と呟いたのは誰か――これまで知らぬ存ぜぬを貫いていた竜崎圭吾だ。果帆がじろりと睨むと一瞬肩を跳び上げて、慌てて身を縮ませた。
「あのさ、俺たちさ、こんな時だからこそ、明るく行こうって話してたんだ」
そして、そう続けた。坊主頭のちょうどバリアートの上を指で掻きながら、はにかむように笑んだ。
「言い出しっぺはアキラだけど」
「まあ、なんだ」
頷いた晶が美味そうに吹き出した煙を目で追いつつ、口の端をにやりと釣り上げる。
「最悪の事態だが、これも想定の範囲内だろ? くよくよしてても仕方ねえー」
さて、ここで何人が心の中で突っ込んだだろう。想定してたのかよ、と。全国の中学生三年生を対象にランダムで選抜されるこのシステムに、皆が平等に死の宣告に脅えながら、しかし誰もが、自分だけは大丈夫だと信じて疑わなかった。全体主義であり軍事主義でもあるこの国でも、反政府活動が厳しく弾圧されていることと、時折不穏な国際情勢を見聞きする以外は平和そのものなのだ。平和ボケと言われればそれまでだが、つまりは、そう言うことだ。時折ローカルニュースでプログラムの実験結果を聞かされても、明日は我が身とは思わなかった。別の世界の出来事として、自分には関係がないことだと潜在意識の中で決め付けていたのだ。にも拘わらずこの趣き、なるほど、なにかと曲者と称されていただけあって、メンタルは誰よりも堅固らしい。
「とにかくだ」
唇に煙草を咥え、笑んだまま晶は腕を組んだ。
「悲しい気持ちもわかるし落胆するのも無理はないが、それに捕らわれてはいけない。筒井たちはそれを望んじゃいねえだろ」
開始前に真っ先に殺害された
「あんまり落ち込んでたらあの世で惣子朗が顔面蒼白になっちゃうよ、心配症なんだから、奴は」
「あはは、おろおろする筒井くんの横で、目黒くんがぶち切れてるんでしょ? 目を覚ませとかなんとか言って!」
「そうそう、それで惣子朗がもっと頭を抱えてんの、想像したら笑っちゃうなー」
圭吾と冬司の朗らかな笑声に包まれる。先ほどの放送で名前を呼ばれた
「金見たちはどうかな?」
夏季が空太に問いかけた。空太はうーんと頭を捻って、いつの間にか、怒りが落ち着いていることに気付く。
「わかんないけど、立ち止まってても仕方ないのは、わかるよ」
「うん、俺も、道明寺たちと一緒にいて、そう思った」
空太や果帆は知らないことだが、開始直後の夏季と言えば、ひどく落胆していたのだ。分校の外で
「バカだバカだと思ってたけど、みんな骨があるじゃん」
「あー、間宮さんやっぱり俺らのことバカだと思ってたんだー」
「当然だろ?」
言葉遣いは悪いが穏やかな表情で感心する果帆に、冬司が微笑み掛ける。空太は思わず目を丸くして果帆を見た。
「間宮が人を褒めるなんて珍しい、やっぱり口は悪いけど」
「やかましい!」
「おいおい、賑やかなのはいいことだがあんまり騒ぐなよ」
灰皿に煙草を押し付けながら晶が制止を掛けると、罰が悪そうに全員が苦笑する。冬司が手元に視線を落とし――あれは、なんだ? 昔流行ったゲームボーイアドバンス≠フようなものを覗き見て、顔を上げた。
「大丈夫だよ、誰も近くにいないから」
「なんだ、それは?」
果帆が問うと、冬司はゲームボーイアドバンス≠手に彼女に駆け寄り、「見て」と言って差し出した。
「俺の至急武器、
「なるほど、だからあたしらの位置がわかったんだ」
「うん、誰かまではわからないけど、二人だったから多分やる気ではないなってわかって、それで、アキラが」
「アキラが脅かそうって?」
「おいおい、言っとくが、お前らの話し声こっちまで聞こえてたからな、緊張感なさすぎ」
「アキラに言われたくない」
果帆の言葉に空太はしみじみと頷いた。しかし、なるほど、それでその点が誰かまで把握出来たと言うことか。相手が空太と果帆と知って、多少の悪ふざけなら平気だろうと踏んだのだろう。そこまで思考を巡らして、再び少しイラっとしたので空太は考えるのをやめた。変わりに、ずっと気にしていた果帆の怪我の具合を打ち明けることにする。自分が言わなければ、果帆は自ら打ち明けようとしないだろうから。
「アキラ、間宮、怪我してるんだ。見てやってよ」
「ちょっと……」
抗議の声を上げる果帆を無視して、空太は晶を見つめる。窓にダンボールを貼り付けて外に灯りが漏れないよう配慮しているとは言え、ランプの頼りない灯りしかない室内では、痛々しい果帆の頬やふくらはぎの傷は掠り傷程度にしか見えないだろう。一度消毒した時に血は洗い流したので綺麗なものだったが、まじまじ見ると少し開いているのだ。一生消えないだろうと確信するくらいに。
「顔の傷か?」
「それもだけど、足と、あと腕。腕は血管が切れてるかも知れない」
「ちょっと……大丈夫だって、平気だよ」
「ダメだよ間宮、さっきの杜撰だったし」
「待てよ、俺、医者じゃないんだけど」
そう言いつつも、真剣な面持ちで晶は果帆に詰め寄る。晶が触れても良いかと確認すると、果帆はまだ戸惑ってる様子だったが、渋々頷いた。圭吾がダイニングテーブルの下から丸太のような椅子を引き出して、果帆に座るように促す。
「ほら、ここ座れよ」
「お、おう」
「ランプそっち持ってく?」
「ああ、頼む」
キッチンの脇に佇んでいたランプを慌てて運ぶのは夏季だ。椅子に腰掛けながら、果帆は頬を擽っていた短髪を耳に引っ掛ける。中腰になった晶が、本来はシミ一つない果帆の滑らかな頬を覗き込み、傷の具合を確認すると溜め息を零す。
「思ったより深いじゃねえか。果帆、これ残るぞ」
「ふーん」
「そのジャケット脱げよ、腕の傷も見せろ」
「ん」
自分のことなのに全然興味のなさそうな果帆を見て、空太はもどかしげに眉を顰めた。本人にも先ほど言ったが、果帆は綺麗な顔立ちをしている。その顔を傷付けられたのに、本人が憤りを感じていないのはどう言うことか。それとも本心では気にしているのに、隠しているのか。
「間宮さん、女の子なのに……」
さっさとミリタリージャケットを脱ぎ捨てる果帆を伺いながら、呟いたのは冬司だった。まったく、その通り。
「木の枝にでも引っ掛けたのかと思ってた。なあ、なにがあったんだよ?」
空太が拙い手作業で施した包帯を巻き取りながら、晶が問いかける。果帆が空太に目配せしたので、空太は肩を竦めながらゆっくりと頷いてみせた。
「榎本に襲われた」
「……なに?」
眉の端を釣り上げ、険しい面持ちで晶は聞き返した。他の三人も、それぞれが目を丸くしている。榎本留姫――あの小柄で華奢な、大人しい少女が、本当に? 多分、みんな考えていることは同じだろう。
「場所は集落だ。榎本――あいつ、目の前で野上と高津を殺したよ。あたしら、隠れててあの二人を見殺したから、罰が当たったんだ、畜生」
「いや、それは違う、生き残りを賭けてるんだ、果帆、それは違う」
唇を噛みしめる果帆に、晶が何度も首を振って言い聞かせる。そして小さく溜息を吐くと、夏季に目配せし、互いに頷いた。それを見ていた空太は疑問を抱きつつ、果帆に代わり言葉を続ける。これは、特に夏季には、辛い話になるだろう。
「榎本は、他にも――金見も、森下も関根も、香草も、――殺したって、言ってたよ」
「ほ、本当か? 榎本が――金見たちを?」
「榎本は、そう言ってたよ」
さすがに居たたまれない。絶句する夏季の気持ちは当然のように理解出来るのだから。
「本来の武器はナイフだったらしいけど、あいつ今、銃と手榴弾と……プラスチック爆弾で武装してる」
「プラスチック爆弾?」
「うん、高津の武器だったらしい。だから、榎本を銃で撃とうものなら、爆発に巻き込まれてこっちも死ぬって」
「……よく逃げられたな」
「如月が助けてくれたんだ」
それを打ち明けたのは果帆だ。身代わりを引き受けてくれた如月仁は今年からの編入生だったことと彼の独特な威圧感もあって、男子生徒の間でも孤立気味であったのだが――何人かが意外そうな驚きを浮かべる中で、晶が不適に笑んだ。
「やっぱり悪い奴ではないか、気に入らねえけど」
「まあ、お前はね」
果帆との掛け合いに空太たちが疑問を抱く間もなく、晒された果帆の腕の生傷を眺めていた晶が何度目になるかわからない深い溜息を吹き出すと、果帆は怪訝そうに眉を上げた。
「果帆、これ、縫った方がいいわ」
「……やだ」
「やだじゃなくって」
「やだ」
「……まだ出血も完全には止まってな」
「やだ」
「ごねるな」
「い、や、だ」
二人の押し問答とも呼べないくだらない言い争いは終わらない。