059.『あなたは、あたしは(1)』
不意に、自分と言う人間について、ひどく引け目を感じることが、時々ある。考え方も、話し方も、生き方も、自分と言う存在の、全てが。
* * *
「ちーえり!」
五階建ての廃墟ビルの屋上で
「紘那」
千恵梨が弾むような口調で紘那を呼んだのを合図に、紘那は右手にあったポテトチップスの袋を掲げて、にんまりと口の端を上げる。
「灯台にあったやつ。一緒に食べようと思って」
「えー、いいの? みんなは?」
「みんなも行って来いってさ。千恵梨、一人で退屈でしょ?」
当然見張り当番≠ネのだから、退屈だと言ってサボられても困るのだが、千恵梨に関しては誰もそんな心配を抱いてはいなかった。例えばこれが、お調子者でやや不真面目や
それに今、廃墟に立て籠もっている他の面々──
精神的にタフなイメージのある千恵梨でも、これにはさすがに参っているのではないかと、一人きりでは不安を煽るのではないかと、各々が彼女を心配していたのだ。そして、気晴らしの意味もあって紘那が千恵梨の様子を見に行くことになった。意外かどうかはわからないが、ポテトチップスは千恵梨の大好物なのだ。
「じゃあ、甘えちゃおっかな」
にこにこしながら手招きする千恵梨に紘那は頷くと、ポテトチップスの袋を先に手渡してから、ペントハウスの梯子をよじ登る。給水タンスを背にしてその影に座り込むと、千恵梨と二人、笑い合ってから、お菓子の袋を破った。
「まさかこの一大事に、大好きなおやつを食べられるなんてね。みんなに申し訳ないな」
「なんでよ、別にいいじゃん。あったんだからさ」
「それもそうかな?」
冗談っぽく少し声を立てて笑ってから、千恵梨が油っこいそれを一枚、口に放り込んだ。控えめな噛み砕く音がして、千恵梨が幸せそうに頬を綻ばすのを見て、紘那はほっと安心する。やっぱり彼女はすごい。こんな状況なのに、肝っ玉が据わっていると言うかなんと言うか。銃に油が付かないように、ウェットティッシュの袋のテープを剥いて、丁寧に指を拭いている姿なんかも、千恵梨らしくて、少しおかしい。
千恵梨が急かすので紘那もチップスを一枚口に入れた。うん。味覚なんか麻痺してると思ってたけど、これはなんだか美味しい。思った以上にしっかりしていた千恵梨に安心したおかげかも知れない。
二枚目を口に放り込んで、紘那は島を見渡す千恵梨を盗み見た。普段からきちっと着こなした学生服は、この状況下でも乱れていない。お洒落と称して制服を着崩している生徒も多い中、入学当初から、千恵梨のスタイルはあまり変わらない。敢えて言えばスカートが少し短くなったくらい、ほんの少し。けれど決して野暮ったい感じにはならず、それでいて華やかでさえあるのは、千恵梨が自分の在り方に揺るぎない自信を持っているからかも知れない。自信家な部分も、千恵梨の魅力の一つだと思う。だから彼女の周りにはいつも人が耐えなかった。誰もが千恵梨に意見を仰いで、決定権を委ねる。そしてその期待を投げ出さずに答えようとするところも、紘那は尊敬しているのだ。
「みんなの様子はどう?」
「うんとね、結構落ち着いてるよ。みんな動揺はしてたけどさ。あの知佳子も、今はちょっと大人しいかな」
「そう……」
途端に真顔になって、千恵梨は見下ろした風景を指さした。
「銃撃戦があったのは、西の方よ。さっきのは、あっち、北の方」
指し示したその辺りは木で覆われている。けれど、ここからはそれなりに離れた場所のようだ。もっとも、灯台と違って、たかだか五階のビルの屋上では、大して遠くは見えないのだが。
「そっか。びっくりしたね」
「うん。灯台にいれたら、もっと遠くまで見渡せたのに、残念だわ」
分校を離れてから千恵梨たちが始めに立て籠もったのは南の灯台だったのだが、そこは今日の午前十一時に禁止エリアにされてしまっていた。紘那は政府の策略なのではと疑ったものだ。品揃え、設備、共に申し分ない場所だったが、仕方がないので使えそうな物だけ持ち出して、近くにあったこの廃墟に身を置いた。なにかの工場だったらしい建物の外部は所々落書きが施され、ガラスが割れた箇所もあるにはあったが、それでも比較的綺麗に思えた。個人鞠としていたが、三階には学校で言う保健室のような部屋があって、ベッドが二台置かれていた。最上階には接待ルームとも呼ぶべき高級感のある部屋があって、そこのソファーは一流品に思えた。他にも、広々としたミーティングルームだったり、機械室だったり、作業場だったり、とにかく、色々。
「そうだね。あそこは、広さもちょうど良かったし、いい場所だったのにね。ここは広すぎ」
「そうね。でも、過ぎてしまったことを嘆いても、仕方ないわ」
そう言った千恵梨に、紘那は気付かれないように目を張って、少しだけ、小首を傾げた。過ぎてしまったこと。その言葉は、本心だろうか。もちろん、彼女は何事もはっきりとしたタイプだから、自身の気持ちに関しても出任せを言うとは思えない。親友と言う立場で彼女をよく知っている紘那だから、そう言える。……けれど、多分、その親友の言葉を疑うのも、自分が親友であるが故だった。
チップスを頬張る千恵梨を見やりながら、紘那は口にすべきかどうかを悩む。昨夜、分校から立ち去る時と同じように悩んで悩んで、言い掛けて口を噤んでと言うのを繰り返して、意を決して、言葉を絞り出した。
「ね、千恵梨、あのさ、あたしには本当のこと言ってほしいんだけど」
「うん、なあに?」
「あのさ、……その、乃木坂、どうするの?」