079.『オリオンと道化師(2)』


 どきり、と鷹之の心臓が跳ね上がる。しゃくりを上げる鼓動が、忙しなく脈打っている。
 ぎしぎしと、不気味な音色が耳に届く。床を踏みしめる頼りない感じの、追い詰めるような、探るような、弛緩な動作を感じる。

 ――階段を、誰かが登ってきている。

 睡眠不足の頭では、初めそれは、幻聴のような気がした。もしくは、脳裏に浮かぶ全く記憶にない光景、恨み言を叫ぶ怨霊と成り果てた八木沼由絵の幻覚が、具現化されたのだと思った。もちろん、そんなわけはなかった。由絵の幻影でもましてや幽霊でもない、生身の人間が、いつの間にか家に忍び込み、鷹之のいる和室を目指して、階段を一段一段、踏みしめているのだ。
 ああ、いよいよこの時が来てしまった――がくがくと、抱え込んだ膝も腕も、丸まった肩も、全てが小刻みに音を鳴らす。震えているのは押入の方なのではないかと錯覚するほど、鷹之は恐怖と混乱で、身体の感覚さえどうかしてしまってるみたいだった。
 覚束ない手付きで、コンバットナイフのカバーを外す。鷹之はナイフを胸の前で、両手で堅く握り締めた。

 ぎしぎしとした音が、鷹之のかなり近いところで止まる。数テンポ遅れて再び動き出したそれは、今度はもう少し軽やかな、擦れるような音に変わっていた。畳の上を歩く音――入ってきたのだ、ついに、この部屋に。
 確かめるように、足音の主が和室を巡回している。襖のすぐ向こう側に、いる、確かにいる。身体の震えがいっそう強まるのが恐怖だった。気配を消さなきゃ、バレてしまうのに、なんで震えてしまうんだ、この役立たずの身体は!

 襖を開けられたら、どうする? ――刺す? ――殺すのか? 八木沼由絵を殺したことを、こんなに悔いているのに、――殺すのか? ――逃げる? どうやって? ――そうだ、催涙スプレー、めちゃくちゃ痛いんだ、これは皮膚が爛れるくらい痛いんだ、――そうだ、そうだ、――逃げよう、殺さないで逃げよう。開いた瞬間にぶっかけて、一目散に逃げよう。――ああ、でも、――コンバットナイフを離せない。両手で握ってないと不安で仕方がない。指が離れないんだ、こん畜生! ――畜生! ――ああ、デイパックも持って行かなきゃ、畜生! ふざけんな! ――ちくしょう!



 鷹之は飛び上がった。真っ暗闇だった押入へ、仄かに光が射し込む。
 愕然と見上げた先の人物に、鷹之は頭が真っ白になった。――悪魔だった、今や鷹之にとっては、死神と同類の、あいつだった。――千景勝平、なんで、よりにもよってお前がいるんだよ!





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