010.『殺らなきゃ殺られる(1)』


 校舎から正門まで続く歩道の端には、桜並木が続いていた。もう少し時期が早ければ見事な紅葉が楽しめたに違いないが、今は十月下旬。すっかりと枯れ落ちた紅葉が道端に募っていた。
 そして桜並木の反対側には、宍銀中と比べたら幾分こじんまりとした、シンプルな校庭が広がっている。道明寺晶どうみょうじあきら(男子十一番)新垣夏季にいがきなつき(男子十二番)の二人は、校庭を背にする形で、桜の木の影にその身を隠していた。
 雲一つない夜空の光が妖しげに校舎を照らしていた。並木道の中央付近では、香草塔子(女子四番)が。正門付近に募った落ち葉の上では金見雄大(男子四番)が、それぞれ血塗れになって倒れている。どちらも晶と夏季からはやや距離があった。二人の悲惨な姿を視界に入れないよう、意図的に死角になる場所を選んで息を忍んでいたが、塔子と雄大に支給されたはずのデイパックが傍らにないのは確認済みであった。恐らく二人を殺害した人物が持ち去ったのだろう。

「お前がいてくれて、良かったぜ」

 新垣夏季が項垂れるように肩をすぼめながら呟く。睡眠ガスによって強制的に意識を奪われ、挙げ句に拉致され、わけのわからない首輪を填められ、頭のイカレた女たちに二人のクラスメイトが殺害され、更には出発早々にあんな惨殺死体を目の当たりにしたとなれば、酷く気を落とす夏季は至極当然であった。しかも筒井惣子朗や七瀬和華は政府の連中に殺されたのだからまだしも、塔子と雄大に関しては別だった。分校を出てからの犠牲だ、しかも、滅多刺し。明らかに、彼らより先に出発した生徒によって惨殺されていた。
 いったい、誰がこんなことを? 晶は慎重に周囲を警戒しながらも、精一杯状況を整理しようと努めていた。七番目に教室を離れた金見雄大と、八番目の香草塔子。彼らの前に出発したのは、秋尾俶伸(男子一番)朝比奈深雪(女子一番)有栖川直斗(男子二番)泉沢千恵梨(女子二番)小田切冬司おだぎりとうじ(男子三番)、そして榎本留姫(女子三番)の六名だった。立て続けに殺された二人を思っても、この中に殺人犯がいるのはまず間違いない。
 香草塔子の次に出発した如月仁(男子五番)に関しても思うところはあったが、恐らく白だと晶は踏んでいた。彼女の一つ前の金見雄大が同時に殺されているからだ。もちろん、塔子を待っていた雄大と合流した塔子を、後から来た仁が殺害、と言う可能性もないわけではなかったが……。

 順を追って考えよう。まずは、一番に出発した秋尾俶伸だ。彼は不良少年のような風貌をしているし、実際につるんでいる仲間も悪目立ちしている面々だが、当の本人は何事にも無気力で他人任せなところがあった。妙に希薄な部分があったし、自発的に行動を起こすとは考え難い。
 俶伸に続いて出発した朝比奈深雪は眼鏡が印象的な文学少女だが、故に体力的な面において優れた特徴はなく、同性である香草塔子はともかくそこそこ体格の良い金見雄大を殺せたとは思えない。
 そして、盟友とも言える間柄の有栖川直斗は――いや、虫も殺せぬようなお人好しの彼のことだ。まず有り得ない。
 そして、女子学級委員長でありクラスメイトへの影響力が強い泉沢千恵梨。ある意味で最も考えたくない可能性である。女子陸上部で鍛え上げられた高い身体能力、中でも短距離走を得意としていた彼女はその瞬発力を生かして、一瞬で首をかっ切るくらいのことはできそうである。
 金見雄大の遺体は、喉仏から首の裏にかけてやや斜め下に鋭い刃物のようなもので大きく切り裂かれていた。明らかな致命傷であった。身体中、主に背中から腰にかけて滅多刺しにされていたが、こちらの傷は割と浅い様子だった。恐らく犯人は背後から彼を襲ったのだろう。後ろから見て右側の頸動脈が見事に裂かれている様子を思うと、彼を襲った人物はたぶん右利きだ。それに切り口が斜め下に向かっているところを見ると、彼よりも身長が低いのではないか。
 そう考えると秋尾俶伸と有栖川直斗はやはり容疑から外しても良いだろう。朝比奈深雪と、泉沢千恵梨、そして千恵梨の次に出発した小田切冬司は――あまり背は高くなかった。しかし小川のように穏やかで聡明な彼のことだ、あまり疑いたくない。
 第一、行き当たりばったりなこの画策はあまりベストとは言えない。恐らく殺人犯は準備も覚悟もままならぬ内に全員を抹殺してしまおうと考えたのだろうが、よほどの体力バカならともかく(それにしたって二分起きに四十名近くを葬り去るなんてとんだ苦業だ)、瞬時に仕留めるには集中力も判断力もいるし、失敗し相手に抵抗されれば時間も体力も消耗する。現に香草塔子に関してはだいぶ苦戦を強いられたようだ。
 繰り返すが小田切冬司は聡明な男だった。もし、万が一、彼が殺る気だとしたら、もっと上手いこと立ち振舞うだろう。
 そして、その次の、一番よくわからないのが榎本留姫だ。女子の中でもかなり小柄で華奢な体格だし、読書ばかりしてる様子からしてあまり運動神経が良いタイプではない。ただ、彼女は物静かな性格だが、それに呼応するかのように気配をあまり感じさせない少女だった。例えるなら、猫。教室の戸を引く際も、席を立つ際も、本のページをめくる音さえも静かだった。しかし緊迫したこの状況において、気付かれず背後に忍び寄るなんて所業ができるだろうか。雄大が気を許してうっかり背を向けるほど人当たりが良いわけでもない。

 ところで金見雄大とは、どう言った人物だったろうか。所謂男子中間派とも言える面々と一緒にいることが多かった雄大は、それなりに晶と接する機会も多かったはずだ。例えば今隣にいる新垣夏季も中間派の所属だし、その人柄を知っているからこそ晶も声をかけたのだ。
 だが今にして思うと、比較的社交性のある面々はこの新垣夏季と、本堂空太(男子十六番)、そして森下太一もりしたたいち(男子十九番)の三人くらいのもので、金見雄大はかなり無口な人物だったように思う。晶と言葉を交わしたことはほんの数えるくらいしかないし、世間話なんてした記憶もない。
 ただ一度、下校途中の商店街で同じ制服の女子生徒と一緒にいるのを目撃したことがある。晶が挨拶がてら軽く手を振ると、ひどく狼狽えた様子で返事もそこそこに彼女の手を引いて店の中へ消えて行った。ぎくしゃくとした動作だった。その顔が火が出そうなほど真っ赤だったのを覚えている。
 あとで聞いた話だが、雄大が一緒にいたのは一学年下の彼女だったようだ。晶は自分が女たらしと称されているのを鼻にかけて、うぶだねー若いねーとひとりごちた。バカにしているわけではなくて、単純に微笑ましかった。

 晶は思い出したように支給武器の自動式拳銃、ブレン・テンを硬く握った。カチリと冷酷な音がした。デイパックからこれを探り当て銃弾を装填した時は、石のように硬く非情なまでに冷たかった拳銃は晶の体温によってすっかり熱を帯びていた。よほど強く握り締めていたのだろう。
 とにかく、認めたくなくとも間違いなく殺し合いは始まっていたのだ。政府の思惑通りに、最後の一人になるまで。
 しかしそのことに彼が絶望しているかと言えば、もちろんそうではなかった。ある意味、想定の範囲内。この国で普通に教育を受けていればこれ≠ヘ全ての中学三年生に等しく訪れる可能性であった。覚悟していたと言えばそんなことはないが、考えなかったわけではなかった。
 晶には希望があった。大人しく政府の言いなりになる気など端からなかった。

 自分は特別な人間である――物心ついた頃から、晶は半ば確信に近い形でそう自負していた。それは春霞のような曖昧な根拠のない確信だったが、年を重ねるにつれ濃く色付いていった。昔からなにをしても、人より上手く要領を掴めた。そして、一歩先を読むことができた。学んだことは苦労せずともすぐに吸収したし、すぐに理解できた。わからない、と言う感覚がよくわからなかった。
 アキちゃんは恐ろしい子だね――幼いながら知識をひけらかす晶を見て、そう言ったのは祖母だった。晶は祖母の蔑むような言い方に少なからずショックを受けた覚えがあるが、直ぐ様父親がフォローを入れてくれたのだ。――晶、ばあさんの言葉は誉め言葉だ、お前は恐ろしく賢い子だ、俺の自慢の息子だ。――だが晶、よく覚えておいで、決して過信してはいけないよ、晶、人より得るものが多いなら、努力を怠ってはいけないよ。
 普通に考えれば、足りない部分を補うためにも努力は必要だ。だが父親が言ったのは胡座をかくなと言う警告であり、現状に満足せず高みを目指せと言う激励でもあった。両親はあまり干渉しない教育方針だったが、晶はこの言葉だけは強く胸に刻んできた。そしてそのように生きてきた、つもりだ。
 とにかく、晶は自分が特別な能力を持つ人間であると信じていたし、自覚していた。故にプログラムに巻き込まれた場合のシュミレーションもおおよそしていたのだ。もちろん一筋縄ではいかないし、上手くいくとも限らない。だがとにかく憎たらしい政府の連中に一皮報いるためにも信用できる人材が、特に男手が必要だ。そのために危険を承知で分校内に留まっていたのだった。
 まずは、晶の盟友であり悪友であり好敵手でもある男子生徒――乃木坂朔也のぎざかさくや(男子十三番)、彼が必要だ。阿吽の呼吸が通じる唯一無二の存在で、まるで自分の体の一部みたいに妙に馬が合った。初めて出会ったのは宍銀中に入学する少し前のことだった。近所の土手道を幼馴染みのコーキと散策がてら歩いていた時だ、よく覚えている。
 サッカーが得意な幼馴染みは地元の中学校への入学祝として両親に買ってもらった新品のサッカーボールを、見せびらかすように足の爪先で操っていた。晶は幼馴染みの数歩後ろを、黒いパーカーのサイドポケットに手を突っ込みながら小石を蹴るようにして歩いていたのだが、土手道の一直線先、藍色のマウンテンバイクがオニヤンマのように颯爽と向かってきていた。
 お、あの自転車かっこいいな――おいおい、コーキはあれが目に入っているのか? まさか轢かれやしないだろうな――内心ひやひやと幼馴染みの様子を見守っていた晶は、マウンテンバイクの警音器がちりんと鳴ったのを合図に運転者を見た。少年だった、同い年くらいの。
 マウンテンバイクの接近に気付いた幼馴染みがサッカーボールを腕に抱え上げ道端に避けた。
 晶は、まるで吸い寄せられるようにその少年を見詰めていた。目線が交わり合い、凍ったように見入っていた。一陣の風がさっと脇腹を通りすぎるまでの僅か数秒の出来事であった。
 瞬間的に、かわいい女の子ならともかく男相手になにをしてるんだ、確かに綺麗な顔立ちをしていたけども、と自嘲したが何故か妙に気になった。漠然と、あいつとは良い付き合いができるなと直感的に思った。
 かくして入学式当日、同じ教室にて一際目立つ端麗な顔を発見した時直感が確信となった。それが、乃木坂朔也だ。同じように時を過ごして、同じように笑い合って、そして、同じ女性に心惹かれていった。
 ……ともかくだ。信頼できる仲間が必要だ、なるだけ大勢の。中でも乃木坂朔也とは最優先で合流したい。慎重な戦いになる。一連の作業に当たって仲間たちをフォローする役割は晶よりも彼の方がずっと向いているし、語らずとも意思疏通ができる存在なんてのは他にいない。
 朔也と合流した後は現在残っている他の面々にも声を掛けたい。プライベートでも親交のある間宮果帆まみやかほ(女子十五番)八木沼由絵やぎぬまゆえ(女子十九番)和歌野岬わかのみさき(女子二十一番)はもちろんのこと、新垣夏季と普段つるんでいる本堂空太や森下太一。そして、目黒結翔めぐろゆいと(男子十八番)と、竜崎圭吾(男子二十二番)。この二人は大丈夫だろうし、運動部に所属していただけあって体力的にも申し分ない。特に竜崎圭吾はかなりの野球バカで、中学三年生とは思えぬほどその肉体は鍛え上げられていた。

 新垣夏季と合流しそろそろ二分も経とうかと言う頃。鬱蒼とした立木の影になっている昇降口に、明るい髪色のツインテールが動いた。

「おい道明寺、野上が出て来たぜ」

 力強く頷き返す。野上雛子のがみひなこ(女子十二番)だ。さながら女子の不良と言った部類で、だらしなく着崩した制服に今時流行りもしないルーズソックスと、付け睫を二重に重ねた分厚いメイクをしていた。教室でも同じような面々と一つの机を取り囲み、ことあるごとに化粧直しに勤しんでいた。

「野上には、声を掛けないんだよな?」

 恐る恐ると言った様子で、夏季が言う。男子不良グループの面々は割とクラスに馴染んでいるし、悪い印象は少なくとも男子間ではあまり広がっていないのだが、女子不良グループの面々に関しては残念ながら、そうとも言えなかった。少なくとも男子生徒の間では。夏季の言い方には明らかに拒絶の色があった。無理もなかった。

「そりゃお前、仮に仲間になったとしても、あの子と上手くやれる自信があるか? 俺はないね」
「いや、良かった……てのも、ひどい話だけどな」

 それは即ち、見捨てることと同意義であった。政府の思惑通りになりたくないと言いながらも、確実に、晶はクラスメイトに対して命の選別をしていた。ひどい話だ。
 周囲を警戒しながら、ゆっくりとした動作で野上雛子は並木道を一歩一歩踏み込んでいた。暗闇に目が慣れ、金見雄大と香草塔子の遺体を発見してしまうのも時間の問題だ。怯えきった様子の雛子になんの手も差し伸べられないのは心苦しかったが、かと言って考えを改めることもしなかった。ひたすら、彼女が通り過ぎるのを見守った。
 きゃ、とも、ひゃ、とも言える息が詰まったような悲鳴がした。ついに見付けてしまったのだ。野上雛子は、香草塔子の惨殺死体から二メートルほど手前で腰を抜かしていた。地面を通してこちらまで伝わってくるんじゃないかと言うほどに身体を震わしていた。

「な、道明寺」
「しっ、黙ってろ」
 見てられない、と言うような声色で呼ばれたのを慌てて制した。

 雛子のトレンドマークとも言うべきツインテールが激しく揺れていた。悲鳴のような息遣いが聞こえる。
 晶は揺れるツインテールを眺めながら、こんな時に去年の文化祭のことを思い出していた。クラスの出し物はありふれた喫茶店であったのだが、ただの喫茶店じゃ面白くないとの理由で話題のメイドカフェにしたのだ。確か、白百合美海(女子七番)や八木沼由絵辺りが言い出したことだ。女子は皆、手作りのメイドコスチュームで着飾り、髪型はツインテールにしていた。
 大東亜共和国ではあまり馴染みのない古い西洋風の衣装に、一際はしゃいでいたのが野上雛子だった。皆でお揃いにしたツインテールもたいそう気に入ったようで、以来彼女はいつもその髪型をしていた。野上雛子は些か流され易いと言うか、影響を受け易いところがあった。
 六十秒ほどそうしていただろうか。過呼吸気味に息を乱していた雛子が、放り投げてしまった自分のデイパックを手繰り寄せ荒々しい手振りで抉じ開けると、両手を中に思い切り突っ込んだ。
 ひやり、と冷たいものが晶の背中を伝った。――まさか。いくら影響され易いと言っても、あんな自律神経が狂ったような状態で、そんな――まさか。
 片手を地面に添えながら雛子は立ち上がった。むっちりとした脚がしゃくりを上げるように震えていたが、今し方発ったばかりの校舎へ向かって引き摺るように踵を返した。左腕には黒光りするなにかがあった。

「バカな! あいつ!」
 晶は飛び出していた。

「ど、道明寺!」
 一歩遅れて夏季も後に続く。

 最悪のタイミングだ。そろそろ二分にもなろうかと言う頃。昇降口の扉が正に今開こうとしていた。後を追う晶たちの存在など気付かず、雛子は一目散に昇降口へ突っ走って行った。野上雛子の一つ後ろ、今正に姿を現そうとしているその人物は。
 最悪のタイミングだ。駄目だ、今は、駄目だ。朔也!

 端麗な顔立ちが緊張で強張っていた。乃木坂朔也は、ただならぬ形相で迫り来る野上雛子の姿を捕らえると、驚愕のあまり目を見開いた。その手にはボウガンが握られていたのだ。





【残り:40名】

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