036.『だからなに?(4)』


 甘ったるくて可愛らしいと言われる声。滑舌の悪さはさて置き、少しは、多少は、人に好感を抱いて貰えるように演じていた面もあった。語尾を延ばすところだとか、心持ち高めにだとか。だから、自分の唇から今まで聞いたこともないような低い声が漏れた時、由絵自身少し驚いた。鷹之はもっと驚いただろう、面食らったように見開いた瞼には、まだ涙が滲んでいた。

「はあ? お前、本気で言ってんのか?」
「聞いてる暇があったらとっとと殺せばぁ?」
「お前……、いや、俺は別に、殺すことまで考えてねえよ」

 だったらこの首に当てられたらナイフはなんだと言うのだろう。由絵は普段はつぶらで、まるで眼力がないと言われる瞳にはっきりと怒りを宿して、鷹之を睨みつけた。
 鷹之は由絵の視線を受けて首に押し当てたナイフだけは下げたが、由絵の身体に馬乗りになった態勢は戻す気はないようだった。

「だったらなにがしたいのかな?」
「別に、その……」

 こんな状態だと言うのに歯切れの悪い様子が、もっと神経を逆撫でさせたいだけではないかと本気で疑う。苛々するなあ、と思わず口を吐いて出た言葉を拾った鷹之は、普段からは絶対に想像出来ない由絵の物言いに後押しされるように、恐らく一番初めから言いたかったそれを吐き出した。



「やらせろよ」



 ほらね、と本日二度目の予想的中。だいたい、あの一件がなくとも、普段から女の尻ばかり追いかけてる正真正銘ただの女好きだ。だから以前はちやほやして貰ったのだし、アダルトビデオの話で盛り上がるのだろう。

「殺す気なんかねえよ、俺はそれだけだ」
「……嫌だって言ったら?」
「別に……、レイプってしてみたかったし」

 どうやらあの一件は冗談ではなく本当の願望だったらしい。しかし、未だかつてないほどの怒りに支配された由絵には、それを聞いても恐怖も嫌悪も感じることはもはやなかった。ただただ軽蔑の眼差しを向けるのみだ。

「どうせさ、勝平と毎日やってんだろ? ならいいよな」

 なにがいいと言うのだろう。呆れて言葉も出ないと言うのはこのことだ。
 そもそも、付き合って一年にもなるのに遅れているかも知れないが、勝平と肉体関係になったことはない。由絵はいつでもそうなって良かったし、実際に一度迫ってみたこともある。それはあまりにたどたどしく、色気の欠片もなかったのかも知れないが、その時に勝平が言ってくれた言葉を、理解が及んでからすとんと胸の真ん中に浸透したそれを由絵は、いつだって大切に大切にして来たし、ますますに彼が愛しくなった。

 ――せめて俺が働ける年齢になるまで、少し待ってな。もしもの時、お前のこと傷付けたくないから。

 勝平が手を出して来ないと、いつだったか美海に泣きついたことがあった。美海はこう言っていた。

 ――勝平くんは言葉はストレートだけど、照れ屋さんだから、一番伝えたい気持ちって中々言えないんじゃないかな? それは由絵のこと、本当に大切にしてる証だと思うよ。大切だから、無責任なことが出来ないんじゃないかな?

 その通りなのだろうと思った。避妊具はいつだって百パーセントではないと言うし、社会人になるまでなしと言うわけではなく、せめて働ける年齢――十五になるまでは、もしもの時のために肉体関係は持たないと。とりあえず高校生なったら、覚悟しとけよ――冗談めかした勝平の言葉が嬉しかった。それはつまり、もしもの時は、一緒に生きてくれるのだと。確かに勝平は不良なのかも知れないが、由絵は誰よりも誠実な人であることを知っていたし、無神経だと本人は自分を卑下するが、言葉がストレートなだけで本当はすごく気配りの人だし、誰に劣ることもなく優しい少年だった。それは、彼女の贔屓目だけではない。
 だからつまり、今自分に馬乗りになるこんな男に、どうせなどと見下される謂われはない。

 押し黙った由絵を肯定の意と捉えたのかも知れない鷹之の左手が、由絵の大胆に晒された太股を撫で上げる。由絵は今日一番と言っても過言ではない、ドスの聞いた低い声で呟いた。



「最低の鬼畜野郎。」

 訝しげに潜められた眉の下、瞼にはもう涙は浮かんでいなかった。由絵は続けた。

「あんたこそいい気になってんじゃないよ。勝平がいなきゃなにも出来ないくせに。あんたなんか仲間に飼い殺されてるだけの、ただのパシリじゃない」





【残り:35名】

PREV * NEXT



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -