041.『タイヨウの唄(1)』


 うるさい。耳元で鉛玉を叩くような鈍い音がする。いつからかははっきりしないが、意識の片隅で多分ずっとずっと鳴っていた気がする。でも、次第に音が、大きくなってやしないか? それに伴い、頭痛まで激しくなって来た。ああ、痛い、頭が割れそうに痛い、いっそひと思いに割ってくれと思うくらい――。
 はっと、由絵は瞼を開けた。微睡みからゆっくり覚める、と言う感じではなく、一気に意識が覚醒してそれに驚いた感じ。そして、瞼を開けた由絵の瞳に映った光景も、これまた驚愕そのものであった。一面に広がるお花畑と、美しく舞う蝶々の群れ。高く蒼く澄んだ空に、穏やかに流れる透き通った川。ああ、と由絵はひとり納得する。ほら、よく聞くじゃないか、三途の川とか言うやつ。本当にあったのか。しかも目覚める前はあんなに凄まじかった頭痛を全く感じない。
 普段はぼうっとしてるとかなにも考えてなさそうとか言われる頭だけど、自分の身に降りかかったことはしっかりと覚えていた。挑発に激昂した譲原鷹之に、何度も石に頭を打ち付けられた。初めこそ痛みに抵抗した気もするけど、次第に麻痺してしまってそんな力もなくなってしまった。ああ、つまり自分は、もう死ぬのか。むしろ死んだのか?
 そこまで考えて由絵はふらりと立ち上がった。なんとなく思い立って頭部をさすると、やはり痛みもなければ血も流れていない。視線を下に移して腕を振るいながら身体を一回転させている。うん、手も足もちゃんとある、五体満足だ。
 由絵は次に、一面に咲き乱れる花畑を見渡した。色とりどりの草花の蜜をつつく蝶と、果てしなく広がる地平線、高い空。三途の川と言うより天国みたいだ。その美しさに見惚れる由絵の視界の端を、煌めいたものが浮遊した。蝶々だった、それも、黄金に輝く蝶。黄金の蝶が、黄金の粉末を残しながら華麗に舞っている。由絵は釣られるようにその後を追いかけた。黄金の蝶が、草花の中で一層と美しく大きな一輪の花に止まり蜜を啜る。すると、今度はその花が、黄金に輝き始めた。
 目を見張る由絵の目前で輝きが大きくなる。大きく大きく膨れていって、直視できないくらいに輝きを放った光の中に朧気な輪郭が浮かび上がる。そしてゆっくりと和らいだそこにはっきりと現れた人物に、由絵は目を張った。

 ――ママ、お兄、ちせ。

 それは由絵の母親と兄、妹であった。三人は優しく微笑みながら、由絵を真心を持って見つめていた。ああ、と由絵はまたひとり納得する。死にゆく自分へのプレゼントだな、と由絵も微笑んだ。

 ――会いに来てくれたんだね、ありがとう。ママ、由絵ね、ママの子供に生まれて結構幸せだったよ。ママのお料理もっと教えてほしかったな。お兄も小さい頃はいじめられたけど、なんだかんだ助けてくれたよね。本当はもっとお兄にも甘えたかったな。ちせ、最近は構ってあげれなくてごめんね。勝平に会わしてあげるって約束も結局叶えてあげなかったね。でもお姉、ちせのことすごく可愛かったよ。生まれてきてくれて、ありがとう。

 由絵はふいに、そこに父親がいないことに気付いた。首を傾げると、母が少し哀しそうに微笑しながら一点を指さす。由絵がその先に目を凝らすと、穏やかに流れる川の向こう岸に、父の姿を見つけた。

 ――あ、パパ、あんなところにいる、一緒じゃないんだ? ああ、そっか、パパのことだから、きっと由絵のために反対しちゃったんだね。そんなことしなくていいのに。やだな、悲しいよ。でも由絵ももう少しでそっちにいくからね、パパ。ごめんね、ママたちはきっともっと悲しいよね。もう一回言うね、由絵、すごく幸せだったよ。それだけは覚えといてね。だから、みんな、悲しまないで、元気でいてね。由絵とパパのこと、忘れないでね。

 気付けば由絵の瞳からは涙が溢れ出していた。止め処なく溢れる涙を拭うと、由絵は精一杯微笑んで手を振った。ばいばい、幸せでいてね――三人がそれぞれ由絵の名前を呼ぶ。そして、徐々に薄れて消えて行った。
 黄金の花は消失していた。ただ、先ほどの黄金の蝶がまたひらひらと飛び立つ。由絵はまたそれを追いかけ、次に止まった花をうっとりと眺めた。光が強くなる。次に現れたのは、友人たちだった。

 ――サキちゃん、花菜ちゃん、アキラ、朔也、直斗くん。

 日頃仲の良かった五人だ。彼らは家族の時とは打って変わって、悲痛な面持ちで由絵を見据えていた。由絵も彼らが現れた時はぱっと明るく咲いた笑顔が、徐々に霞んでいく。

 ――ごめん、先に逝くね。謝るから、そんな顔しないでよ。みんなはあたしみたいになっちゃ駄目だから、だから、元気出して、負けないでよ。ね、大丈夫、みんなならきっと大丈夫だから。天才のアキラと冷静な朔也のコンビプレー、直斗くんの調整、サキちゃんと花菜ちゃんが場を引き締めて、果帆がみんなのフォローに回って、美海のカリスマ性がみんなを和ませて……、あれ、二人はいないの?

 背後から由絵を呼ぶ声が聞こえた。振り向いた由絵の瞳に映ったのは、悲しそうに涙を流す美海と果帆だった。

 ――美海、……果帆。

 由絵、逝かないでと二人の唇が動く。由絵の名前を呼んだ時は音が出ていたのに、逝かないでと紡ぐ唇は、無音だった。
 泣き顔の二人に向かって、由絵は歩み寄る。困ったような優しい微笑を零しながら。

 ――泣かないでよ、二人共。ね、由絵、二人のこと大好きだよ。美海、色々助けてくれてありがとね。本当はね、勝平が好きなのは美海なんじゃないかって、ずっと疑ってた時期があったの。バカだよね、なのに、こんなバカなあたしと友達でいてくれてありがとう。美海はすごく可愛くて優しくて、自慢の友達だったよ。本当にありがとう。
 ――果帆。果帆とは、色々あったね。多分本当の意味で、腐れ縁なのは果帆なんだってよく思ってた。幼稚園の頃からずっと一緒だもんね、不思議。小さい頃から何度も喧嘩して、その度に仲直りして、でも今思うと、いつも折れてくれてたのは果帆だったね。果帆は不器用だから誤解され易いけど、誰よりも心配症で熱い子だったよね、あたし、そんな果帆が大好きだったよ。ちゃんと、果帆のこと大切に思ってたよ、本当だよ。ずっと友達でいてくれてありがとう。みんな、ありがとう。お願いだから、生き延びてね。

 もう一度、由絵を呼ぶ声が聞こえた。ああ、誰よりも愛しい声だ。弾かれたように由絵は振り返る。その頃には、美海や果帆はすでに何処かへ消えていた。

 ――勝平!

 由絵は精一杯駆けだして、勝平の細いが逞しい身体に飛びついた。勝平のやや猫背の肩に腕を回して、一生懸命抱き締める。

 ――この肩が好き。包まれるとすごく満たされて、キュンとするから。勝平、彼女にしてくれてありがとう。勝平の彼女でいられて本当に幸せだった。付き合えた時は明日死んでもいいって思った。気怠い感じも、少し言葉がキツいところも、初めは苦手だったけど、好きになったら格好良くてドキドキした。でも勝平は、本当はすごく気遣いの人。すごくすごく、全部かっこよかったよ。死ぬ前に一回くらい、エッチしたかったな。なんてね、最後まで重い女でごめんね。好きになってくれてありがとう、勝平――勝平――勝平――もう一度、会いたいよ。



「俺だって会いてえよ、――由絵」



 え?、と由絵は目を見開く。その瞳に映る景色が、段々と霞んで行った。霞んで霞んで、ついには真っ暗になって、そして、徐々にまた光が射し込む。
 由絵の瞳の先には、涙を浮かべる勝平がいた。本物の、愛しい人が。





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