047.『ただ普通でいたかった(2)』


「私はね、死ぬのは絶対に嫌。絶対に生きて帰るって決めたの」

 留姫の握り締めるトカレフTT−33が火を噴いた。洞窟内に響き渡ったそれは教室で筒井惣子朗や七瀬和華の命を奪ったあの音よりも、何倍もけたたましい爆音だった。銃弾が春生の頭の脇を、空気を引き裂きながら通り過ぎる。その圧力と言ったら、争い事は嫌だと一貫して逃げ腰に転じていた春生の、唐突に命の危機に晒された春生の闘争心を奮い立たせるのには十分であった。

「うぉおお、おおおおおおおお!」

 タガが外れたように雄叫びを上げながら春生はその巨漢を振り乱す。トカレフが再び乾いた爆音を響かせたが、物凄い勢いで駆け回る春生の肩の肉を少し抉っただけで終わった。ちりりと一瞬肩に痛みがあっただけで、興奮状態の春生にはほとんどダメージですらない。
 女子の中でも小柄な留姫目掛けて、春生の巨漢が突き進んで行く。留姫が冷静に狙いを定め直しながら、次こそ確実にと引き金に力を込めようとした。しかし、その頃には留姫の身体は宙を舞うこととなった。クラス一の巨漢を諸に受け止めた身体が後方に吹き飛ばされる。意地でもと離さなかったトカレフが、明後日の方向へ放たれて、爆音だけがただ響いた。
 地面に背中を打ち付けた留姫の身体に春生が迫り来る。雄叫びを吠えながら春生は留姫の華奢な肩を勢いよく振り回して、勢いのまま背中に担ぎ上げると投げ飛ばした。うう、と初めて留姫の唇から苦痛の溜息が零れる。しかし、右手に握り締められたトカレフだけは、頑なに手放そうとしない。

「うぉおおおおおおおおお!」

 もう一度、春生が吠える。留姫が憎々しげに顔面を歪ませながら、投げ出された身体をなんとか起こそうとした。しかし、春生の巨漢が留姫の身体に覆い被さると、まったく身動きが取れなくなる。留姫は初めて芽生えた危機感に戸惑いながら、春生の振り上げられた拳を睨みつけた。
 留姫のこめかみ辺りを衝撃が駆け抜ける。思った以上に凄まじい一撃だった。それだけで、意識が朦朧としてしまいそうになるほどの。再び振り上げられた拳が、今度は留姫の頬を直撃した。口の中が切れた感覚があって、熱い箇所から血がいっぱいに広がった。喉の奥を流れ行く血液の、つんとした鉄の香りが鼻に吐くのを感じて、留姫は朦朧となりかける意識の中で確かな怒りを覚えた。

 ドン、ドン、ドン、と肉に押し当てられてくぐもった銃声が、少しだけ洞窟に反響した。続けて二度、ドン、ドンと鳴り響いたが、弾が切れた拳銃はカチカチと虚しい音を立てるだけで、もう銃弾が放たれることはなかった。
 しかしそれで十分だった。五発の銃弾をまともに喰らった春生の巨漢が、夥しい量の血液を溢れさせながら留姫の上に脱力した。全体重を受け止めた留姫が春生の下でもがく。もがきながら、ようやく巨漢を押し退けて脱出すると、荒く乱れた呼吸を整えようとして口の中に溜まった血を吐き出した。
 留姫の唇を、血液が一滴流れ落ちる。しかし、身体の方はひどい有様だった。返り血でまたしてもぐちゃぐちゃだ。留姫は口元をジャージの袖で拭うと、呼吸を整えながらすっかり解けてしまったポニーテールを縛り直し、俯せに生き耐えた春生を睨みつけた。春生の巨漢に見合うくらいの大量の血液が、その身体を中心にしてどんどん水溜まりを広げていく。

「簡単に死んでもいいとか言うから、こんなことになるのよ。あなたには自分の食欲以上に大切なものがなかったのでしょう、どうせ。そんな人に、私が負けるはずないじゃない。私はね、あなたみたいな人が一番、許せないのよ」

 それはプログラム開始以降、いや、日常生活においても淡白な彼女が珍しく見せた、人間らしい感情であった。





10/20 PM12:22
男子七番 関根春生――死亡

【残り:33名】

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