055.『こんなこと、やめよう(1)』


 鬱蒼と生い茂る森を迂回しながら、乃木坂朔也(男子十三番)は額に滲む汗を拭った。朔也の支給武器のブローニング・ハイパワーは腰のベルトに固く差し込まれ、その両手には、ガソリンスタンドで調達した十リットル入りの赤いポリタンクが二つ、朔也の腕をもぐかの如くずっしりとその存在を主張している。初めはここまで重いとは感じなかったが、ガソリンスタンドと、分校近くのエリアにあった倉庫とを朝から何度も往復する内、腕は小刻みに震え麻痺したように感覚がなくなっていた。ガチガチだ。腕が凝るとは、このことなのだと思った。
 出発した直後、野上雛子(女子十二番)に負わされた肩の傷は出血の割には大したことなかった。昨晩はズキズキと痛んだそこも、今は出血もなく落ち着いている。
 少しだけ息を乱しながら、朔也は物思いに耽る。アキラなら──道明寺晶(男子十一番)なら、もっと上等な策がいくつも浮かびそうなものなのに、自分と来たら、一晩必死で考えた結果が、これだった。ポリタンクの中身は灯油ではなく、ガソリンだ。車を運転する者なら普段から馴染み深い石油だが、その揮発性と燃焼の早さと言ったら、朔也の知る中ではこれ以上のものはない。例えば石油ストーブやファンヒーターには通常灯油を使用するが、これを誤ってガソリンを使用した場合、爆発すると言う。ガス系統が全滅した今、朔也には、これ以上の策は思いつかなかった。
 そしてそのガソリンをどうするのか。決まってる、あの喧しい女のいる分校に突っ込んで、火を点ける。火は瞬く間に広がるだろうし、至る所で爆発が起こるだろう。ガソリンと言うのは本来、それほど危険なものなのだ。管理系統全てを行っている本部を破壊すればまずプログラムどころではないだろうし、上手く行けば中止と言うことも有り得るんじゃないか。そうでなくても、その混乱に乗っ取って脱出することも可能なはずだ。そして、機械を壊してしまえば、この首輪だって爆発する確率は下がるはずだ。信号を送れないのだから。もちろん別の方法で爆発する場合もあるのかも知れないが……。
 とにかく、朔也には、その策以外には思いつかなかった。だからこそ、実行する前に道明寺晶に会いたい。携帯電話は常に圏外の文字が表示されていた。けれどなんとか彼に会って、意見が聞きたい。自分が暴走したせいで全生徒の首輪が爆発してしまっては、話にもならないのだから。
 正直、それ以外にも問題点はたくさんあった。まず、すでに禁止エリアに指定されている分校にどうやってガソリンをばらまくか。軽トラックなんかに有りっ丈のガソリンを積んで、捨て身の覚悟でそのまま突っ込む以外に思い付かない。しかもどのタイミングで首輪が爆発するのかわからない。一歩でもエリアに踏み込んだその瞬間なのか、それとも多少の猶予はあるのか。どっちにしろ現在孤立した状態でエリア指定されている分校だが、いつその周りも禁止エリアになるかわからないから、時間もあまりない。そして実際のところ、ガソリンがどの程度の威力を持っているのかもわからない。以前読んだ資料には、最小限に見積もっても十リットルのポリタンク一つを部屋にばらまくと、ガスが充満して一気に爆発、家ごと吹っ飛ぶと書いてあった。本当だろうか。上手く分校を破壊出来なかった場合、残ったクラスメイトにどんな被害が及ぶのか、想像するのも苦しいくらいだ。そして、逆に、威力が強すぎてしまったら。考えたらキリがないほどに、穴だらけだ。
 けれど、かと言ってなにもせずにはいられない。このままみすみすとクラスメイトが一人、また一人と死んで行くのは悔しいのだ。先ほども、離れたところで激しい銃撃戦が行われていた。その前にも何度か別の種類の銃声を聞いた。昼を過ぎた辺りからそんなことばかりだ。けれど放送の度に、彼らの名前が呼ばれないことを願わずにいられない。しかし、悲しいかな、昼の放送で親しかった八木沼由絵(女子十九番)の名前を聞いた。恋人の千景勝平(男子九番)が構ってくれないと拗ねながら愚痴を零して来たことがあった。次の瞬間にはにこにこしながら、朔也の恋愛事情なんかも聞きたがっていたのだが。そんな掴み所のない柔らかい感じが可愛い少女だった。
 もしも次の放送で、晶の名前が呼ばれたらと考えて、不安に襲われた。野上雛子の襲撃から逃げた後、朔也は暫く付近を探し回ったのだ。晶は新垣夏季(男子十二番)と二人でいるはずだから、夜とは言え目立つだろうと思ったのに甘かった。恐らく向こうも同じだろう。わざわざ朔也を待っていたのだから。
 教室を出発する際、白百合美海(女子七番)が外で待ってると言い残して出て行った。あの惨状の最中、待っていたとは考えにくいし、実際に残っていなくて良かったと朔也は安堵したものだ。彼女は今、どこにいるのだろう。放送で真っ先に気になるのが、彼女の安否であった。もしも美海の名前が呼ばれたら――考えるだけでぞっとして、眩暈さえした。美海は誰にでも愛される少女であったので、誰かが彼女に武器を向けるなど想像するのも難しいことであった。けれど、もちろん、そんな彼女をよく思わない生徒だっているはずなのだ。全員に受け入れられる人間なんてこの世に存在するわけがない。そして、思い当たることがあるとすれば――。

 どさりと鈍い音を立てて右手のポリタンクが落下した。蓋はしっかり閉めていたので外れなかった。良かった、こんなところでガソリンをぶちまけたら、最悪山火事になるところだ。そろそろ体力的に限界かも知れない。けれどもたもたしていたら日が暮れてしまう。夜になればこうして動くことも出来ないのだから。
 とにかく、早いところ倉庫まで運んでしまおう――と考えて、落としてしまったポリタンクに手を伸ばした。

 背後でなにかが動く気配を感じた。





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