076.『僅かな希望に乗せて(2)』


「お前……いつから……」

 慄き、呆気に取られた様子で言葉を失う仁を、紗枝子の冷ややかな眼差しが射止める。

「あなたが来るよりも前からだけど。早くその銃を下げてよ、不愉快だわ」

 そして、呆れ顔で瞼を閉じると、澄ましたように顎を持ち上げた。それでも訝しげに、仁が迷ってM4カービンの銃口を下げれずにいると、思い立ったように紗枝子がこちらに向き直る。情けないが、足首が一歩後ろへ動いてしまった。

「お生憎様、あたしは丸腰よ。武器は、これだったし」

 紗枝子がスカートのポケットから取り出した武器≠ニ称するものは――なんの冗談だ、それは? 直径五センチほどのオカリナだった。オカリナ? オカリナだ、どこからどう見てもオカリナだ。

「は……?」
「なによ、驚いたのはあたしの方が先よ、ばかね」

 二重の意味で呆気に取られる仁に、少し紗枝子が、ふふ、と笑んで見せた。口元に指を添えるようにして笑声を零す様は、洗練された大人の女性のように優美であったが、小馬鹿にされたようで正直面白くはない。少々気が抜けたのは、事実だったが。
 仁は観念したようにライフルを下げると、なにかを振り切るように首を振るう。もう一度、紗枝子の、ふふと言う声が聞こえる。仁は上目遣いに紗枝子を一瞥した。

「悪かった。……だが、お前に対する不信感が消えたわけじゃない」

 紗枝子の瞼が、すっと細まった。少し顎を持ち上げ、凛々しげな瞳に長い睫毛が影を落とす。

「そう。じゃ、消えたら?」
 そして仁から視線をずらし、ちらりと高津政秀の亡骸を盗み見る。
「あたしだっていつまでもこんなところにいたくないし」

 そりゃあそうだろう。それはもちろん、仁も同意見であったが、紗枝子の落ち着きをはらった口調に違和感を覚えたのも事実であった。恐らくそう、少し似ていたのかも知れない。余裕綽々とした様子だとか、冷淡な口調だとかが、榎本留姫に。
 デイパックを抱え直しとっとと退散してしまう紗枝子を、仁は反射的に追い掛けようとし――その前にと、拾い上げていた腕を政秀の傍らにそっと寝かした。続いて今し方紗枝子が背もたれにしていた倉庫の戸を開け、運良く収納されていたブルーシートを取り出す。二束。一枚は、高津政秀に。もう一枚は野上雛子へかけてやった。
 仁も改めて、自分のデイパックとライフルを抱え直す。そして、すでに道角を曲がろうとしている紗枝子の後を急ぎ足で追い掛けた。紗枝子の精悍とした背中に拒絶するような沈黙を感じ取る。だが仁は、怖じ気づくことなく、意を決して語りかけた。

「一つ聞かせてくれ。お前は、どこまで見ていた?」

 仁の気配は気付いていただろう。観念したように足を止めた紗枝子は、ややかったるそうに、斜め下から鋭い視線を走らせた。それに引っ張られるように、ゆっくりと振り返る。

「見ていた、と言ったら語弊があるけど。そこの二人が言い争っていた声は、家の裏でずっと聞いてたわよ。……それに」

 一息置き、さらさらと風にそよぐストレートのショートボブの、前髪の辺りを掻き上げて、続けた。

「榎本さんとあなたたちが揉めてるのもね、聞いてた」

 仁はその言葉を、理解できない思いで受け止める。

「……だったら、お前は」
 探るように、問いかける。
「高津と野上が殺されるのを、黙って見過ごしたのか?」

「当然じゃない。この武器でどうやって助けろと?」
「お前……」
「説教なら結構よ。あなたの自己犠牲精神は立派だと思うけど、それをあたしに押し付けないでよ」

 ささくれを毟ったようなちくりとした地味な痛みが、胸の中を突き抜ける。いつになく棘のある物言いに、仁は羞恥心にも似た気分を覚えた。元々ハイテンションではなかった気持ちだが、更にずんと沈んで行く感じがする。それは、多分そう、仁自身にも、所詮自己満足の一種でしかないのはわかっていたからかも知れないし、その価値観を当然のように相手に要求してしまったからかも知れない。つまり紗枝子は、少なくとも仁よりは大人であった。そして仁は完全にそうと割り切れるほど、大人ではなかった。
 仁は自分を、ああ、今きっと輪を掛けたように険しい面持ちでいるのだろうなと思った。紗枝子も同じであった。暫しの睨み合いの末、言葉を失った仁に助け船を出したのは、紗枝子が先であった。

「でもね、……これでもあたし、あなたのことを見込んでるのよ」

 唐突になにを言い出すかと思えば――眉間にシワを寄せつつ、片眉の端をきゅっと釣り上げる。

「あたしからも質問いいかしら?」
「……なんだ?」



「あなた、なにがしたいの? これは遊びじゃない、生き残りを賭けた、正真正銘、立派な殺人ゲームよ。誰かを救ったところで、最終的には殺し合うしかない。それはわかっているでしょうに、どうしたいのよ」



 プログラムとは――正式名称、戦闘実験第六十八番プログラムと言い、徴兵制度のない大東亜共和国において、専守防衛陸軍が防衛上必要な戦闘実験と称して極秘に行われる法律であった。毎年全国の中学三年生を対象に任意の三十学級を選び出し、見知ったクラスメイトと最後の一人になるまで殺し合わせ、その統計を測ると言うものであった。対象となった学級の生徒たちは事前通知もなく、なんらかの方法で唐突に拉致され、原則として同県内の無人となった離島や山中に幽閉され、翌日には地方のローカルニュースにて淡泊に、素っ気なく発表される。長い間、犠牲になるクラスは年間で五十学級と多かったのだが、深刻化する少子化の対策としておおよそ三年前に四十学級に、今年に入って三十学級に削減されていた。そのため、現在の確率としては、各県、四・五年に一クラスと言ったところだろうか。なにしろ改正が三年前なので、統計は取れていない。
 それはさておき、プログラムとは、全国の中学三年生にとっては脅威の象徴であった。一応秘密の実験なので詳細は一般市民には知る由もないが、少なくとも、あの沖木島脱走事件≠除いて、失敗例と言うのは聞いたことがない。それはつまり、紗枝子の言うように、誰もが最終的には殺し合ったと言うことだ。もちろん、脱出を模索した生徒も大勢いたに違いないが、残念ながら叶えられた試しはない。参加が決定した時点で、生存はほぼ絶望的。唯一の可能性が最後の一人になること。だが、仁は――そう、そこまでわかった上で、諦めたのではないのだ。



「……希望を、捨てたわけじゃない」

 じとりとねめつけるように、押し黙る紗枝子を、仁は真っ直ぐに見つめ返す。

「生き残る道が他にもあるはずだ、きっと。そうさ、沖木島脱走事件は知ってるだろう? 可能性は完全に、ゼロではないと思ってる。なら、俺はそれに賭けたい、その為に無意味な殺し合いは止めたい」
「……本気?」
「ああ、本気さ」

 綺麗事と否定されようと、自己満足と小馬鹿にされようと、揺るがない意思を以てして、真剣に訴えかけた。淡泊な彼女に、少しでも響けば良いと祈って。

「出来るだけ多く、仲間を集めたい。三人寄れば文殊の知恵って諺があるだろ? なにか、きっといい方法が見付かるはずだ。そう、信じてる」



「……そう。でも見付からなかったら、どうする?」

 仁は下顎に手を添え爪先の辺りを見下ろし、考え込む仕草を見せたが、やがて口の端を僅かに持ち上げ、紗枝子を見つめ直した。

「ただじゃ死なない。そのときは、政府の連中になにかしらの嫌がらせをしてやる、死ぬ前に」

 そして、ふふふ、と紗枝子が小さく吹き出して快活そうに笑声を零した。若干驚いて目を見開くと、見たこともない涼やかな笑顔が瞳に飛び込んでくる。

「ふふ、そう、嫌がらせね、出来るといいけど」

 また小馬鹿にされたかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
 口元を隠すようにして、紗枝子はひとしきり笑い終わると、すっと背筋を伸ばす。少し強めの風が、再び二人を通り過ぎた。もう一度、紗枝子が風になびく細い髪の毛を掻き上げる。

「結論から言うわ。……生き延びる方法は、ある」

 挑戦的とも言える表情で不敵に微笑む紗枝子の言葉に、耳を疑った。

「なに?」
 無意識に仁は足を一歩踏み出していた。
「どうやって」

 紗枝子がほっそりとした長い人差し指を仁の前に突き出してから、それをゆっくりと唇へ持って行った。

「それはまだ秘密。……だけど、どう? 乗る? 乗らない?」
「今、教えてはもらえないのか?」
「教えない。時期が来るまでは、ね」

 もう一度、仁は思考を巡らせる。紗枝子の言葉の真偽は、当然ながらわからない。こちらを嘘の情報で油断させるつもりかも知れない。綺麗な言い分ばかりを並べている自覚のある仁は、それ故に、楽観的ではなかった。こんな時、もっと騙されやすい性格であれば、いちいち疑ってかかることもないのにと悲しくなった。そうして疑うことこそが大前提のゲームでもあると理解していたので、それもまた悲しかった。

「さ、どうするの? お好きな選択をどうぞ」

 返事を催促する紗枝子にもう暫し迷ってから、意を決して仁は顔を上げた。

「……わかった。お前を信じるよ、乗った」

 力強く頷いてみせる。疑念が残るのは事実だが、乗るふりをして油断させるのではない。疑うことが大前提の状況だからこそ、信じてみようと決意したのだ。もちろん、いざという時も考慮に入れた上で、だ。
 紗枝子が愉快そうに微笑む。プログラムと言う状況下で、ほとんど接点のなかった少女――彼女の場合、外見的には女性と表現した方がしっくりくるが――と行動を共にする。非日常的だからこそ実現する状況が、皮肉なものであった。

「ふふ、そうこなくっちゃ。じゃあこれからどうぞ、よろしくお願いするわね、相棒」
「あ、ああ……よろしく」

 相棒、との言い方はいささか腑に落ちなかったが、洗練された動作で差し出された掌をそっと握り返す。それにしても――今年になって編入し、しかも全然クラスに馴染んでいない二人組とあっては、一抹の不安が残った。どう見ても信用されない組み合わせだ。それでも、一人よりは二人の方がまだマシだろうと思い直し、無理矢理納得した。

「とっととこの場を離れましょう。標的にされちゃたまったものじゃないわ」

 それはその通りだったので、仁は大人しく頷く。道を歩みつつ、少し考えてから、オカリナなどと言う不幸極まりない武器を支給された紗枝子に、制服のズボンの後ろに差し込んでいた仁の本来の支給武器――M1911コルト・ガバメントを手渡してやる。紗枝子は驚いた素振りもなく、優美な立ち振る舞いでそれを遠慮なく受け取ると、微笑みながら礼を言った。ついでに余計な一言も。



「あなたって、思ったより饒舌な人だったのね、驚いた」

 全然驚いた風ではないのによく言う――面食らった仁は暫し無言を貫いたあと、ぼそりと呟いた。

「お前こそ」





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