039.『消せない不安(2)』


 唯央は顔を上げる。静まり返る薄暗闇の向こう側が気にならないわけではなかったが、とても覗く勇気はない。
 終わったのだろうか? 唯央は少しだけ安堵したように膝を抱える。本当に恐ろしかったけど、ひとまずほっとした。後は生き残った方が急いでここを離れてくれれば良い。そう、生き残った方が──。

 ガサガサ、と背後で木枯らしが擦り合わさる音が聞こえ悪寒が走り抜けた。誰?、そんなの聞くまでもない、さっきまで向こうで殺し合ってた人たちに決まってる。しかも、ここにいるってことは、生き残った方の──唯央は「ひっ」とひゃくりを上げた。急いでデイパックを担ぎ上げてその場を移動しようとする。が、足が竦んで思うように歩けない。
 もう一度、ガサガサと音が鳴った。それは背後から迫り来る人物が出した音なのか、覚束ない足取りで逃げる唯央自身が出した音なのかははっきりしない。しかしそれは、お互いがお互いの存在を認識するには十分すぎる大きさであった。
 唯央はたまらず悲鳴を上げた。

「きゃあああああああ!」

 耳をつんざくような絶叫が森に木霊する。背後の人物が一瞬怯むのもお構いなしに、唯央は有りっ丈の声を振り上げて叫んだ。

「来ないで! 人殺し! 人殺し!」
「ちげえよ! 俺は殺すつもりなんかなかったんだよ、ちげえんだよ!」

 聞き覚えのあるその声は譲原鷹之で間違いなかった。先ほどの争い声とそっくりな怒鳴り方で、唯央の背後からどんどん迫って来る。

「あの女が悪いんだよ! 俺をコケにするから! だからわざとじゃねえんだよ!」
「いやあああ! 来ないでよ、人殺し、人殺しいいいいい!」

 足がひどくもたつく。必死で力を振り絞っているのに、なんだか全然前に進む手応えがないのだ。その思うようにいかない自身の身体も、唯央にとっては混乱の要素でしかない。そしてその混乱が、更に唯央の行動を制限させるのだ。──一刻も早く、あいつを振り切りたいのに!
 どのくらいその逃走劇が続いたのだろう。ついに唯央の身体が、背後から鷹之の野太い腕に這い締めにされた。

「いやああああああああ!!」
「畜生、うるせえんだよ! 畜生、畜生、畜生、どうせ一人殺してんだ、畜生、ああそうだよ俺は人殺しだよこの野郎! やってやるよテメエら全員ぶっ殺しにしてやるよ! まずはテメエをいたぶってから殺してやるよおおお!」

 唯央のワイシャツのボタンが、嫌な音を立ててブレザーごと弾き飛ぶ。一瞬喉の奥を張った吐息は、下からこみ上げる恐怖と絶望と嫌悪ですぐに絶叫に変わった。





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