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2018/02/20 |
明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 気になって調べたところ、なるほど。剃髪の儀式のときに詠まれた歌だったようです。人の心は変わりゆく。「よし、明日にしよう」と思ったら、親鸞も仏門に入ることはなかったのかもしれない。九歳でその心情がわかるなんて。そしてそんな人でも、八十幾つかでは思い惑うようになる。これは間違いない。不惑などない。先を歩いたどんな人も本気で惑うのは八十過ぎてからである。半分以上はその前に死ぬのだが。博士号をとっても「それより話し相手がほしい」、年に60億稼いでも「死んだ孫に早く会いたい」、うちのジイジはその二つだけはある庶民なのでもっとささやかな望みであった。「ウサギさんに水をやりたい」。 この世はうまくできている。替えの利かない新車に乗っているときはイソイソ急発進。ノロノロ減速してきたら「あれ? この道で合ってたのかしらん……」残念ながら後ろはつっかえている。いよいよ駄目だとなったらお尻を蹴って背中を押すのは若い者の役目である。後ろは気にせずゆっくり進んでくれればそれでいい。ナムナム。 |