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2018/02/19 |
「ここに幸あり、白い雲」 なんてねー。毎日お天気ですね。寒いけど。 それにしても日本人は嵐のたとえが好きだ。漢文も翻訳されると「花に嵐のたとえもあるさ」、児童向けでも「雨にも負けず風にも負けず」、「夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」は親鸞だった。明日を待っていては桜も散るで、と声をかける相手がいたのだろうか。子供のときの句であった。 親鸞といえば私くらいの弟子(まあ弟子とは言いたがらなかったらしいのだが便宜上弟子と呼ぶ)に、「念仏唱えても全然幸せやありまへん。浄土にもいきたくありまへん。どないしましょ」とぶっちゃけられ「……やっぱりそう? 実はね、俺もなの。困ったね。どないしょ☆」と答えたのが80過ぎだった。手遅れである。そういえば釈迦も「目は見えん。耳聞こえん。足も痛いが死にたない」と言いつつ死んでいる。生者必滅。諸行無常ダネ。その上で念仏とはなんぞやと問われれば「ようわからんが念じとけ」としか言えない。減るもんじゃなし増えもしないが害もない。しがみつく先が生者であるといろいろ不具合が生じるので、便利であるよ。念じとこう。少なくともビールよりは健康によい。ナムナム。 |