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2017/04/02 |
……ナイトスクープ凄かったな……印象が消えへん……触ると切れそうな感じの繊細な美しさやった。燃え尽きそうな演技をするときの人の中、本当の意味でもがいてる最中に出る気迫のようなものを感じました。いつもいつも感じとれるわけじゃないし、胸が痛いと直視できないときもある。 たぶん……これ言うとなんて薄情なと怒る人も現れるかもしれないけど、リハビリの最中の人、どう見えるかって、鬼気迫る美しさがあるよ。捉え方やけど。苦しそうに見えるから五月蝿く言う人も現れるし、励まそうと明るく振る舞う人も現れる。無理な明るさは弱っているひとを疲れさすから怒らせるけどね。痛々しくて直視できないときもあるけど、それは自分の中の痛みを相手に見るから。 人間ってもっと本能的に、何か感じて攻撃するんかもしれへんなあ。攻撃ととらえてたけど、例えば家族にしたって誰にしたって、もどかしさを伝える術もなく離れてしまうときがある。虐めとは呼べない重圧と闘ったときも、逆にこっちがそういう態度で接するしかなくなったときも、善悪では分けられない感情が存在していると。言葉で確かめあっても周囲の野次で更にすれ違ったりするから……その野次さえ後になると必要で、だからこそ一人になると生き物は生きていけない。 後で振り返ってもそこには居ないから。 そういう感情も含めて引き合って、最近になって知ったんだけど……念じる気持ちが、なぜ互いの中だけでは共有できているのか不思議でならなかった。なぜなのか。理由を探すから苦しむけど、そんなものたぶんなくて。通じあえない哀しさに泣くし、堪えきれずどちらかがプチッとなるときもある。 それが傷つけあって生きていくということだから、社会的にどうであろうと、あの苦しさに変わりはないんじゃないかと。そして、苦しそうに見えるけど……あれが本来、人が持ってる強さなんだと思います。 ほんとうに生きている、と思ったので。そのときどきで支えてくれた人が「そんな風には見えてへんよ……」と言ったときの泣き笑いの意味もわかって、いい回やったなあ。こっちも「そんな風には見えてへん」ですよ。カッコいいよ。素敵よ。 |