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2018/10/21 |
kioさんの新作、『乙女ゲーム失格』が面白い。乙女ゲームというのはライトノベルのキャラクターを更に誇張してシナリオ化した、その存在さえ知らない人にはなかなかハードなメディアである。私の周辺はこのメディアで新しいものを開拓できないかと、野望をかがけている人が多い。特にkioさんのライター分析と解説は、この分野を知らない人にもかなり勉強になると思う。どのメディアもある種のパターンが出尽くし、食い尽くされたあとには低俗あるいは高尚扱いになる時期がある。創り手の技術とプライドが極限まで達したあたりで観客の熱気は薄れ、一気に衰退してしてまうから悲しい。お金の集まるところは集まりそうなところに集まるが、観衆の目は別の場所に向いている。人間国宝の皿は手にしたい愛好家には垂涎のものだが、みかけの数字や称賛通り受け取ってしまうと、猫の皿ほどの痕跡も遺せない。そこで目のこえた観客の選別から、漏れたキャラクターたちの救済が始まる。これはそんな皿の話である。 それにしても一度根ざやしにされるくらい絶えないと、なぜか発展しないメディアってありますよね。あれはなぜなのだろう? 蹴鞠りは中国で下品な遊びだと批判を浴び、一度絶えてから後に日本で流行ったらしい。文学もその世界の深みに落ちたことのない人には、なぜか高みに置かれがちな存在だが、エロチック御伽草子をはじめとして、小説は知識を得るものではなく娯楽メディアのひとつであった。落語心中は落語と心中する話だが、黒柳徹子のトットちゃんの出だしでは「ラジオで落語なんか聞くんじゃありません!」と叱られている。歌舞伎も文楽も大衆娯楽のうちは将来安泰だったのである。賭博、女性問題、パワハラ、当時どんな形であったか知らないが、オリンピックみたいな一番を決める内部利権の争いで、絶滅してしまった知られざる文化も世界中にたくさんあるようだ。非常にもったいないことだと思う。反面、日本では子供の遊び場はほとんどないが、老人の遊び場には事欠かないので将来に期待している。 |