2015/03/08
「あなた、強いのね……。私じゃ、あなたには勝てないみたい」
シェリーは壁にもたれて体を支え、荒い呼吸の下から言った。緩く結っていた髪はすでにひどく乱れて、優美なドレスは破れ、形のよい唇や華奢な手脚からはあちこち血がにじんでいる。
「あははっ、よくわかってるじゃない? これが実力の違いってやつ!」
長い棍をくるくると手元で回転させて、ぴったりした道着に身を包んだ女が笑う。襲撃者を撃退すべくシェリーが放った火の矢や火球は、ことごとく道着の女の棍を使った防御に阻まれていた。
「さあ、お遊びはこれでおしまい。ルセリウスの首を獲りに行かせてもらうわ。――ここにいたのが“ローズジュエル”一人だけで助かったわ」
襲撃者は回した棍をぱしっと受け止め、シェリーに向かって攻撃の態勢を取る。“ローズジュエル”――それは、ルセリウス直属の精鋭集団のうちで戦闘や政務、指揮などにおいて突出した能力を持たず、兵力として働く傍らで王の食事や就寝の際に供をする女の構成員たちの名称だ。シェリーもまた“ローズジュエル”の一員だった。拠点に単身乗り込んできて王の命を狙うほどの手練れに、一人で太刀打ちなどできるはずがない。
「させない……。勝つことはできなくても、あなたを止めることはできるわ」
シェリーは意を決したように言うと、襲撃者の方へ二、三歩踏み出し、それまでに使ったことのない呪言を唱えた。
「捕えて! 『ファイアジェイル』!」
言葉を発すると同時に、シェリーと襲撃者の周囲と頭上に半球状の炎の壁が現れて、二人を取り囲んだ。高温の炎に包まれた空間の温度が急激に上昇する。業火の壁はその直径を徐々に狭め始め、そこから発する熱が二人の髪や肌をちりちりと灼いた。
「な――何よ、これ……!?」
高温の大気に灼かれながら、道着の女は狼狽を見せた。内部に閉じ込めた敵を攻撃する閉塞型の術であることは明らかだったが、燃え上がる炎の内側に術者であるシェリーまでがいるのは異常だった。緩いウェーブのかかったシェリーの髪が熱に触れて焼け焦げていく。体中の傷の痛みに顔をしかめながらシェリーは言った。
「この炎の檻はね。燃えながら少しずつ狭くなって、最後はこの空間もすっかり閉じて中のものを焼き尽くすの。あなたの棍は少しぐらいの魔法なら弾いてしまうみたいだけど、この術は発動領域の中心に使用者が近付けば近付くほど、威力が高まるのよ。普通はこの炎の檻の外側から使うんだけど……私がこうして炎の中にいれば、あなたでも抜け出すことはできないわ。その代わり、私もただではいられないけど」
2015/02/22
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SS・灰燼
〈ルセリオ王国の栄光:小説本文&落書き〉
本気モードのフリーダ。
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フリーダは荒れた大地に立っていた。熱気を孕んだ風が吹き渡る中で、動くものは彼女の姿だけだ。
「私は、後世に名を残すわけにはいかん」
銀灰色の魔術師が呟いた。
「どこから来たかも判らぬ流れ者、ルセリウス王の側近の一人、ただの氷使い……。この世界に残る私の記録はそれでいい」
佇む彼女の周囲は一面の焼け野原と化し、岩や氷でできた刃がそこかしこに突き刺さり、暴風や洪水に呑まれて絶命した敵兵のおびただしい数の亡骸が積み重なっていた。
「さて、人が来ないとも限らん。残骸を始末してしまわなくては」
強力な魔法の数々を放ってもまだ力に満ちた瞳で辺りを一瞥して、質素な出で立ちの魔術師は独語した。
2015/02/14
バレンタインSSをもう一つ。
***
二月十四日。ルセリオ王国はどことなくそわそわした空気に包まれていた。この日は女たちが思いを寄せる、あるいは日頃世話になっている男にチョコレートを贈る日なのだ。若い女や少女たちの間では、男にではなく同性の友人同士で贈り合う習慣も生まれつつあったが、まだ広く根付いてはいない。かくしてこの日はそこかしこで男を呼び止めて、あるいは人気のない場所に呼び出して、チョコレートを渡す女たちの姿が見られた。それは王国軍においても例外ではなく。
「またもらっちゃった……こんなに食べられないや」
城の廊下で呟く、緑色の髪の小柄な青年の姿があった。ルセリウスに仕える風使いのヴァンだ。一人の女性兵士が廊下の向こうへ小走りに去っていく。たった今彼女に渡されたものも含めて、ヴァンの両手は大小様々な色とりどりのチョコレートの包みですでに一杯になっていた。
「でも、この行事が今の時期でよかった。暑い季節だったら食べないうちに溶けちゃう」
ルセリオ王国は大陸の南部に位置していて、冬季以外は概して気温が高い。それは暑い土地に暮らす者ならではの感想だった。
「グレイスも当分大忙しだろうな」
氷魔法を操る同僚の名を彼は口にした。この地を治めるルセリウス王が最も多くの女たちからチョコレートを受け取っているであろうことは、疑いようがなかった。毎年この時期になると、城の一室がルセリウスの臨時チョコレート貯蔵庫になる。王を慕う女たちが酒やクリームをふんだんに使って作った、柔らかいチョコレートの品質を保つために、魔法で冷気を生み出せるグレイスが貯蔵庫の室温維持に連日駆り出されるのは、恒例となっていた。
そんなことを考えていると、前方から近付いてくる人影が見えた。体のラインの出ないゆったりした長い灰白色のローブに、銀色の巻き毛。ヴァンよりやや後で軍に加わって最近王の補佐を務めるようになった、魔術師のフリーダだ。
「ヴァン、ここにいたか。ほら、受け取れ」
白い魔術師が手にした袋から小さな包みを取り出して、彼に渡す。何の模様も入っていない白い布にかけられた、薄紅色の細いリボンが申し訳程度に彩りを添えている、飾り気のない包みだ。
「ん、ありがと」
「それはついでに作った分だ。気にするな」
場合によっては受け取った者の心をぐりぐりと踏みにじるようなことを言っていることを、彼女は自覚しているのかいないのか。他の女たちから本気のチョコレートをすでにたくさん受け取っていて、そのどれにも真剣に応じるつもりがないヴァンは気にも留めなかったが。ともあれ、華美を好まず、祭りなどのときにも浮わついた様子を見せず、口を開けば国政と軍務の話ばかりするこの女が「ついで」ではないチョコレートを贈る相手といったら、自ずと予想はついた。
「珍しいね。君はこういうことに興味がないんだと思ってた」
「この軍に入ってそれなりに経つからな。このぐらいしても問題はないだろう」
フリーダが本命のチョコレート――いや、おそらく「一番の義理チョコ」――を渡す相手はルセリウスだろう。国内の女たちの思慕を一身に受ける伊達男の君主が相手だというのに、彼女の口振りには一切はしゃいだところがない。きっと政務の報告書を提出するのと寸分たがわぬ態度で淡々と渡すに違いない。
「では、これでな。他の者たちにも大体配り終わった……私は陛下のところに行かなくては」
そう告げて魔術師が立ち去る。ヴァンの予想はやはり当たっていたらしい。
今しがた同僚から受け取った分が加わって、さらに両手からこぼれ落ちそうになったチョコレートを抱え直しながら、彼は思った。「このぐらいしても」と軽く言ってたけど。あいつ、軍に入ったばかりのときは、祭りも季節の行事もほとんど他人事みたいな態度で仏頂面して眺めてたじゃないか。この数年のうちに、ずいぶん変わったよ。
「あいつもこの軍も、これからもっと変わるのかな」
去っていくフリーダの後ろ姿を眺めて呟く。美食にもほとんど関心を持たない彼女が作った、糖分の極めて乏しいチョコレートを食べて、軍の男たちが思わず険しい表情になるのはその数刻後。大量のチョコレートを女たちから受け取ったルセリウスが同じ体験をするのはさらに何日か後のことであったが。
人の様々な思いを乗せて、甘い香りに満ちた日が過ぎていく。
2015/02/14
会話形式、季節の小ネタ。
***
2月14日、ルセリオ王国軍
女性兵士A「ルセリウス陛下って素敵よね!」
女性兵士B「素敵よね!」
女性兵士C「ねー!」
女性兵士A「今日は大切な人にチョコレートをあげる日よ。陛下にとっておきの手作りチョコを贈るわ!」
女性兵士B「私もよ!」
女性兵士C「私も!」
旅の薬売り「ヒヒヒ、お嬢さんたち。お前さん方にぴったりの薬があるんだけど、いらんかね?」
女性兵士A「あら、何かしら?」
旅の薬売り「意中の異性に飲ませれば、たちまち恋に目覚める惚れ薬だよ」
女性兵士A・B・C(!! この薬をチョコに混ぜれば…!)
女性兵士A「買うわ!」
女性兵士B「私もよ!」
女性兵士C「私も!」
旅の薬売り「ヒヒヒ、まいどあり」
旅の薬売り「いやぁ、女たちが揃って国王様にお熱とは。ここの軍はいい稼ぎ相手になるねぇ」
薬売りの弟子「お師匠様ったら、また怪しげなものを売って……」
旅の薬売り「ヒヒヒ。『恋に目覚める』といっても、飲ませた者に恋をするとは限らないよねぇ」
薬売りの弟子「また手配書が出回って追われることになっても知りませんからね」
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