それにしても。理事長室に入るなり、まさか母子の会話をまざまざと見せつけられるとは。誰も想定すまい。 ましては、輝一が理事長子息だったとは。金持ちのお坊ちゃんだったつーのも初耳だったが、こんな美人の母ちゃんが居たのも知らなかったぞ。 二十数年後は締め切りに追われたおっさんなのに。時の流れが人を変えるとはよく言ったもんだ。
「そうそう、貴方の許嫁の美和子さんも、心配してましたよ」
現代と過去との違いに余韻に浸っている間、輝一母のまさかの不意打ち。口にした茶を一瞬、吹き出しそうになった。
「そ、そうなんですか?」
口では平静を装っているが、心の内では動揺を隠せない。
許嫁って……えええ! そんなモンいたの? 本物も俺と同じで、高校生だよね? それは想定外だった。やべぇ、なんとかこの天然母子は騙せてるけど、その許嫁とやらに気付かれずに済むかな。 出来れば過去にいる間は会いたくないと、強く切望した。だが、何もかもそう都合良くいくはずがなかったのだ。
「でも、会長が戻られたので例の件、何とか拗れずに済みましたよ」 そう言いながら、漸く肩の荷がおりたという顔をする輝一。
「例の件?」 嫌な予感をひしひしと感じながら、俺がそう聞き返せば。
「本校、碧羅学園と、姉妹校である蒼天女子学院との合併に向けて行われる合同懇談会のことです。美和子様も今年、会長に就任されましたので参加されますよ」 まるで死刑宣告のような答えが返ってきた。 それって強制参加確実なの? 最悪じゃねぇかよ、おい。
一先ず、輝一から聞いた話を俺なりに纏めて整理すると。 要するに、ここは中高一貫した私立の男子校で、一年後には女子校と合併して共学校になるらしい。 それは別に良いのだが、女子校のトップは俺が成り代わる“東久世歩”の婚約者らしく、当然二週間後に行われる懇談会とやらに参加するそうなのだ。 そんな大事な懇談会に会長不在では示しが付く筈がない。婚約者に、そして姉妹校に不信感を与えることになるだろう。 だから本物と勘違いした俺に対してスゲー機嫌が悪かったんだな、輝一の奴。 しっかし、学園全体を困らせるなんて、一体どんな奴なんだよ、東久世歩。会長のくせに無責任な奴だな。 写真で見た本物は俺と真逆っていうの? 人間嫌いで、他人を全く信用してなさそうなイメージだった。 実際そうなのかは分からんが、なんかそんな風に感じたのだ。 その二週間までにどうにかして、イヤミだろうがなんだろうが、本物の性格をマスターしとかねーと。 最初から、難関だ。実際会ったことのない他人をどこまで完璧に演じきれるかどうかは分からない、だけど。
「頼りにしてますよ。会長」 「あ……ああ。突然居なくなって本当にすまなかった。当日は任せておけ!」
輝一に頼られちゃ、止めるわけにはいかないだろ。 ここが過去であろうが、未来であろうが関係ない。こいつは確かに、あの“加賀見輝一”なんだ。 キイチに何かあれば、全力で助ける。それはガキの頃に決めたんだ。 キイチには俺が、一生懸けても返し切れないほどの恩があるから…… 生憎、俺は輝一が探していた東久世歩ではなく、偽者なんだけど。本物に成り代わったからには責任を持って、会談を成功させてやる。 だから、少しの間だけ。人を騙すことに目を瞑っててくれよな? キイチ。 なるべく早く、そっちに戻るように努力するからさ。
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