奇数が旭(中学生)視点偶数が樹(ラーメン職人見習い)視点
出会い編:[          10 11 ]



 料理を作る側もそうだけど、出来たての料理を運ぶ側でも視覚的にキツイんじゃないだろうか。空腹時、特に朝飯も碌に食えなかった場合は。
 湯気が立つラーメンをなるべく目に入れないように意識しても、香ばしい醤油スープの匂いが店中に充満しているのであまり意味がない。この匂いを嗅いでいて、食欲がそそられない訳が無いからだ。現に俺も、このスープに惚れ込んで、弟子入りを決めたのだから。
 勿論、燻製卵一個でも、つまみ食いしようものなら、腹は多少満たされようとも、店主に即刻殺されるんだろうけど。
 既に何回鳴ったか分からない腹の虫の音をどうにかして宥め、接客スマイルを無理矢理張り付けて、会計を済ませる。そのまま空いた席に向かい、手早く盆の上に食器を乗せていき、アルコールをたっぷりと染み込ませたダスターで、一気にテーブルを拭き上げた。

「お待たせしました! こちらの席にどうぞ」
「悪いねぇ、渡ちゃん。急かしちゃって」
「いえいえ。いつもありがとうございます」

 外に並ぶ、行列の一組を招き入れると、リセットを終えたばかりの席に案内した。
 人数分のお冷やをテーブルに並べ、
「注文はいつもので大丈夫っスか?」
と確認する。頭にタオルを巻いた三人組は見慣れた顔触れだった。

「ん。三人とも、いつものヤツ頼むよ」
「かしこまりましたぁ。チャーシュー麺一つ、五目蕎麦二つ入りまーす!」

 厨房に居る二人の上司に向けて、叫ぶように告げると、「あいよ」と威勢の良い返事が直ぐに返ってきた。

 厨房を望めるカウンター席は既に、ニッカポッカを履いたドカタのおっちゃんやら、スーツ姿のサラリーマンで埋めつくされていた。皆、喋ることも忘れ、黙々と麺を啜っている。
 ウチの店は手頃な値段の割りには量が多い為、昼間のピーク時は圧倒的に男性客で占められている。味も勿論だが、スピードもウリにしている為、この時間帯は、とにかく回転が早い。見習い兼、雑用の俺は、まだ厨房には入れさせて貰えないので、専ら給仕と食器の片付け作業で追われていた。

「はいよ、ヤマブチさん。野菜ラーメンのもやし増量!」

 お待ちどーさま、とテーブル席で新聞を読み耽るヤマブチさんの目の前に、料理が乗った盆を置いた。
 本来、客が一人ならカウンター席に通すのだが、力士並みに巨漢であるヤマブチさんを支えるには、背もたれの無い丸椅子では、些か頼りなさ過ぎた。店主であるサトコさんに「暑苦しいからと隅に行けと」追いやられたせいもあるみたいだけど。

「えっ、ちょっとイツキ君? 僕、チャーシューメンと餃子とチャーハン頼んだ筈なんだけど」
「知ってますよ? アンタいっつもコッテリしたモンばっか頼んでるでしょ? 他の飯も自分ンとこのコンビニ弁当ばっか食ってるみたいだし。たまには野菜も摂れって、サトコさんが言ってたんで」
「えぇ〜っ……僕、人参嫌いなのにぃ」

 麺の上に添えられた色とりどりの野菜を忌々しげに見下ろしながら、不平を垂らすヤマブチさん。しかし、厨房の奥から透かさず、
「アタシの作った料理に何か文句あんのかい、山渕?」
と威圧感のある声で、尋ねてきたので

「な、ないです。イタダキマス」
と慌てて割り箸を割って、大人しく麺をすすり始めた。
 基本この店にいる限り、サトコさんに逆らえる男は居ない。例え、客だとしても。
「見習い! なに、ボサッと突っ立ってるんだい。洗いモンは腐るほどあるんだよ」
「は、はひっ!」
「さっさと客席片して作業に取りかかりな!」
「すいませーん! 今やりますっ」

 それにしても、今日も昨日に劣らず、物凄い量の洗い物だ。夕方のピーク時までに間に合うだろうか。シンクに溜められた丼の山を見ながら、俺はこっそりとため息を吐いた。食洗機も無いので、洗い場作業は最初から最後まで全て手洗いだ。そして給湯器も無いので、水道水。クリームを塗っても、一行に手荒れが治らない己の手を見ていると、ため息の一つでも吐きたくなる。
 俺、何時になったらサトコさんに「弟子」って認めて貰えるのかな。
 ミスする度に怒られて、もしかして俺一生、皿洗いで終わるんじゃないだろうかとマジでヘコむ時もある。
 それでも、昨日言われた言葉を思い出し、自然と顔がニヤケていた。

(イッキー。これ、スッゲー美味いよ)

 酒のツマミだったとはいえ、昨日自分の作ったチャーシューを初めて人に食べて貰えて、誉められた。そりゃあ、数年一人暮らしをしているし、雑用三昧とはいえ一応ラーメン職人を目指してるので料理は出来ない方では無いと自負してはいたけど。
「美味しかった」
と人に面と向かって言われた事は、小恥ずしさ以上に嬉しさが勝った。
 やっぱり、自分で作った飯を一人で食って自画自賛するより、誰かに「美味い」と言って貰えるのは嬉しい。
 いつかサトコさんのような、心の芯まで温まるラーメンが作れる職人になりたい。
 それを夢で終わらせたくなくて、全てを捨てて、この道に進むことを選んだのだから。
 決して食材や調理法を真似するだけじゃ、あの味は手に入らない。あの味は、サトコさんの人柄あってこその味だ。俺なんかじゃ想像つかないくらい、長い年月をかけて完成した努力の賜物でもある。ただ、美味いだけじゃ駄目だめなんだ。そうじゃなきゃ、こんなヘンピな商店街のラーメン屋に、客は何度も足を運ばない。ましては店の外まで続く行列に並んでまで食べようとしない。
 「サトコさん」のラーメンだから、客は行列に並ぶ。
 いつか、サトコさんのような職人になるには、料理の腕を鍛えるだけじゃ駄目なんだ。心も鍛えないと。

「よし、やるか」

 ピンクのゴム手袋を両手に装着し、スポンジを手に取ると、積み上げられた器の山を崩す作業に取りかかり始めた。

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