まだ喉のイガイガが取りきれないが、樹と仲良く胃の中をさっぱりさせた俺は、風呂場に逆戻りしていた。
「ああっ、イイっ、そこそこ」 「……」 「あ、ちょっと〜ちゃんと指の平で洗ってよイッキー。爪立てないで、頭皮に傷が付くじゃん」 と抗議するついでに、指先に付いた泡を樹の頬に擦り付けてやる。
「〜っ、あのな! 俺も一応被害者なんですけどッ? つーか此処、俺ン家の風呂場!」 「ハン、イッキーなんか、ちょーっと腹に引っ掛かっちゃっただけじゃん。俺なんか顔面にぶちまけられたんだからね! 精神的ダメージの受ける度合いが違うよ」
そう、責めるように言えば、流石に分が悪いらしく、
「だっ、だから。その件に関しては、マジ悪かったって、謝っただろぉ」 と情けない声で、詫びてくる。
「ヘェェ。その割には誠意が全く持って感じらんないんですけどォ〜?」 「……くっそぉ、元を辿れば、お前が原因だろーがこのクソガキ」
と文句を垂れつつも俺の頭を丁寧にシャンプーする樹。本当ガキ相手に律儀だよな。ま、おかげで助かったんだけど。いくら、自分の髪とはいえ、他人が吐いたヤツに、直に触りたくはないし。 樹は勤め先に、気分は乗らないが、俺は学校に行かねばならない。 互いに時間が無いと言うことで、已むを得ずに二人一緒に風呂を使うことにしたのだ。 因みに、ビールまみれになった制服は、現在洗濯機の中で回っている。 今日ばかりは、上下ジャージでも見逃してくれよ、先生。多分、制服は一日干さないと乾かないだろうし。
「ひ、ひ、ぶはくしっ!」
風呂入ってんのに、さっきからなーんか肌寒いと思ったら、いきなりくしゃみが出た。やっぱり、寝冷えしたんだろうか。
「ぶあ〜、何でもいいからイッキーから着るモン借りて、寝るべきだった。鼻水やばいわ」 「お前もかよ。ていうか起きた時、俺も真っ裸だったんだけど」 「へ?覚えてないの」 どうやら、酒を呑んだ後の事を樹は覚えていないらしい。
「昨日あんだけ醜態さらしといてねぇ。ま〜覚えてないんなら、聞かないほうがいいと思うけど」 「な、なにしたんだよ俺」 「いやぁ、だってねェ。道徳的に?」 「ンだよ、それ。勿体つけてないで言えよ」
含みのある言い回しをしたのが不味かったのか。昨晩の詳細を話すように、樹は促してくる。 あーあー、もう知らない方がいいって言ってんのに。これだから根が真面目君は。それなら、最初から理性飛ばすほど呑まないで欲しかった。
「ベロチュウされた」 「う、嘘だろ!」 「まぁ嘘ですけど、」 「おまえ〜、こっちは真面目に聞いてんだぞ?」 樹に頭を軽く叩かれるが、髪に付いた泡が飛び散るだけで、痛くも痒くもない。 嘘もなにも、大真面目だ。 正確にはディープなのが一回、口以外の部位にもたくさんされました。俺からは見えないが、多分うなじン所に跡残ってるだろ、絶対。 昨晩の樹の激変ぶりを思い巡らす。 完全に出来上がってしまった樹の「お世話」は兎に角、大変だった。 「どうせなぁ、俺は中途半端で駄目な人間だよ」 「ど、どしたの、イッキー突然……てか完全に目がイッちゃってるんだけど」 「大学中退して、家出して、サトコさんに弟子入りして三年経のにぃ、未だに雑用扱いで! どうせ俺は夢見がちな親不孝もんだよ……ウワァァァァ」
突然泣きだし、子どものように暴れ始めたからだ。
「あー、ホラ。いい歳超えた大人が、泣くなって」 「うううう」 「頑張ってれば……いつかいーことあるよ、きっと」
そう言って空になった皿におつまみの柿ピーをザラザラと足してやると、 「お前ぇぇ〜っ。イイ奴だなぁ」
感極まったのか、いきなり樹は前に身を乗り出し、お膳をひっくり返した挙句、抱き付いてきやがったのだ。
「ちょっと、暑苦しい。くっつくなって。つーかビール! ビール畳に溢れてるっ」 「あははは本当だ。駄目だろぉ」 「いや、アンタがお膳ひっくり返したせいだから」
さっきまでのは嘘泣きだったかと疑いたくなるほどの変わり振りだった。泣き上戸に、笑い上戸って。飲み会で絶対隣になりたくないレベルマックスだよ、イッキー。
「ちょっと、イッキーお酒飲み過ぎだって。顔どころか、首辺りまで真っ赤だよ」 「ん〜? それはお前もだろーがっ、ワハハハ! う、ぃっく」 「ったく。立てよホラ、水も飲んで。アンタ明日仕事あるんだろっ」 「え〜」
やだやだと駄々をこねていた樹を何とか宥め、素直に水を飲み始めた姿に一安心と思っていたのだが。
「ちゃんと飲んだか?」 「んん〜」 「ホラ、肩貸すから。ったく。世話が妬ける……」
敷きっぱなしだった布団に樹を寝かせてやる。畳に散らばったゴミは悪いけど後回しだ。 あーもう。暴れたから、掛布団がカバーの中で折れちゃってんじゃん。
「ねぇねぇ、あのさぁ〜」 「何! 俺これ直すので忙しいんだけどっ」 「キスしてい?」
樹の顔が間近に迫ってきたと脳内で認識する前に。布団に押し倒され、彼の第三の酒癖が覚醒した。 泣き上戸、笑い上戸、その上、キス魔とか。救いようがない、おにいさんだ。口調もいつのまにか退行してるし。
散々好き勝手された後、
「俺が学生の頃はねぇ、がり勉で、お前みたいに髪なんか染めたこと一度もなかったよーん」
そうケラケラ笑いながら、押し入れにしまってあった学ランを引っ張り出してきた。
「よーし、お前も玄関に掛けてある学ラン持って来ーい」 「は? なんで」 「決まってんだろぉ〜勝負! 勝負! 負けた奴は罰ゲームっ」
やらないと寝ないとか言い出したので、無理矢理付き合わされた野球拳。素っ裸に近い状態になった途端、「あいこ」が連続で出るんだもんな。どーしよ。金ねーのによ、風邪なんかひいちまって。
「おいっ、寝るなよ。また逆上せて倒れるぞ」 樹によって肩を揺さぶられ、微睡みかけた意識を戻される。
「起きてるよ。意識一瞬途切れたけど」 「馬鹿。それを寝るっていうんだろ」
樹は呆れていたが、それは仕方ないと思う。だって昨日は疲れたし、樹がするシャンプーは以外と気持ちがいい。
「てか、お前のんびり風呂入ってて学校大丈夫なのか」 「イッキーこそ。お仕事行くんじゃないの? 昨日話してたけどさぁ。ラーメン屋、だっけ? 飲食店にしろ、学校にしろ、ゲロ臭漂わせて、行ける場所じゃないね。お昼、食欲無くしそう」 「直接……言うな」 想像したら、また気持ち悪くなってきただろうが、と打ちひしがれながれる樹。 「けどさぁ、」 「もー、その話はイイだろ。ほら、流すから屈め」 「ん、」
すっかり泡だらけになった頭をシャワーのお湯で流される。渡されたハンドタオルで頭を拭きながら、前髪をつまみ上げると、嗅いだ覚えのあるシャンプーの匂いがした。あれ、この匂い。
「んん?」 「どうした?」 「いや、シャンプーがさ」
振り返って、樹の顔を見た瞬間、俺は息を飲んだ。 樹の髪からも、同じシャンプーの匂いがしたからだ。 いや、同じシャンプー使ってるんだから、同じ匂いがするのは当たり前の事であって。決して、おかしなことではないんだけど。 それ以前に、成人男性相手に「ドキッ」とかおかしいだろ俺の心臓。飲み過ぎて頭イカれたの?
「……随分、安っぽいの使ってんなぁ、と」
けれども馬鹿正直に言うのが、酷く気恥ずかしくて。咄嗟に誤魔化してしまった。
「悪かったな! 近所のスーパーでまとめ買いしたヤツなんだから贅沢言うな」 「うん、」
幸い、樹は全然気付いていないようだったけど。 おかしい。俺、変だ。頬が熱い。逆上せたみたいに頭がくらくらする。浴槽ん中浸かってないのに。酔いが醒めきってないのかな。
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