「シ、シデンさん! なんでこちらにっ」 「ごめんなー、偶々C区に居た看守に見つかっちゃって。今日こっち攻めることにしたのよ」
現れたのは、片手を振りながら、ヘラヘラと気の抜けた笑みを浮かべる青年だった。
背後には、手下を従え、他者から奪った大量の食料を抱えている。 (あ、あいつは!) シキはこの男を、知っていた。「シデン」は今さっきまで、自分を散々追い回してくれたB区域の親玉である。
「奴らに見つかってクドクド言われる前にズラかんぞー、と言いたいとこなんだが」
シデンはシキの顔を見やると、意味深に口元をつり上げた。
「やっぱし、お前ら先にB区に帰っててくんねー? 俺、この子と話あっから」
突然の物言いに、唖然とする少年達。シデンは持っていた食料全てを彼らに押し付けると、シキの肩を気安く抱いてきた。
「な、なに言ってんスか!」 当然、納得のいくはずのない手下は、シキを指差しながら、猛抗議した。
「俺達コイツを追ってここまで来たんですよっ。ヨータだって、コイツに階段から突き落とされたんだ!」 「ヨータ? 誰だっけ」 「俺の同室者です!」 「あー、あのオレンジ頭君ね。あの子さー、薬ヤリ過ぎ。目ェ、ラリってるじゃん」 「シデンさん! はぐらかさないで下さいっ」 「ハイハイ、リーダーに口答えしなーい。平気だって。メシはこの通り、キッチリ確保した。D区に攻めに行った奴らのと合わせてみても有り余るぐらいだろーよ。それに、あまり持ち込み過ぎても、バカ看守共がうっさいから」 「でもっ!」 「しつこいなァ……いつから俺に意見出来るくらい、偉くなったんだよ、お前」
明らかに声色が豹変したシデンに、手下の少年はヒッと息を飲んだ。いくら不満に思おうと、流石に自分のリーダーに本気で楯突く気はないようだ。最も、それくらいの器でなければ、施設一、素行が悪いとされるB区域の連中など纏められないだろう。
「す、すいません、調子に乗り過ぎました」 「分かりゃーいいのよ」
それでも、まだ内心では納得がいってない手下共は忌々しげにシキを一瞥した後、 「覚えてろよ!」
盛大な捨て台詞を吐いて、渋々、元来た道を引き返していった。
「やれやれ。やーっと二人っきりになれたなァ。雌狐の“恋人”さんよ」
通路に二人きりになると、邪魔者は居なくなったと言わんばかりに、シデンはシキの腰に厭らしく手を回してきた。
「恋人じゃ、ありません。オレの同室者で、大切な、友達です」
無遠慮に背中を撫でてくる手を、煩わしげに払いのけ、シキはシデンを睨み付ける。 何とも図々しい態度で接してくる、この男の事がとても嫌いだった。
「トモダチ、ね。でもシキちゃん、アイツのこと、抱いたんだろ?」 「っ、貴方には関係ないでしょう!」 「いーや、あるよ? ったく何処がいーんだかねぇ。俺には、サッパリだね。みーんな、アイツのこと一回でもいいから犯りたいとか、ゆってっけどさぁ、まぁ、キレーな顔にすっかり騙されちゃって」 「何が、言いたいんですか」 「アイツやめて、俺にしとかないってコト」 そう囁かれ、顎を捕まれて、無理矢理正面を向かされるが、
「やめて下さい!」 唇同士が触れるすんでのところで手の平で押しやり、どうにか免れた。 好きでもないこいつとの、キスなんて。二度とごめんだった。気持ちが悪い。
「つれないなー、いーじゃん今更。減るもんじゃないでしょ。チュウの一つくらい。恋人とはいっつもしてるくせにぃ」 「だからっ! 恋人なんかじゃないって言ってるでしょう?」 「ふぅん? じゃあ、俺と付き合ってよ」 「冗談よして下さい」
間髪を容れずに、冷たくあしらったが、人一倍我の強いこの男が、そう簡単に引き下がってくれる筈が無かった。
「ジョーダンじゃねぇって。俺ね、こー見えてもけっこー、本気よ? アイツみたいに薄情じゃないしね」
薄情。吐き捨てるように言った「彼」への侮蔑の言葉に、次第に眉間の皺を深くし始めるシキ。露骨に嫌悪感を示すその様を面白そうに見つめながら、シデンは、囁く。
「俺だったら、自分の大切な奴が、危ない目に遭ったら、直ぐ助けにいくのにね。ずっと前だっけ。シキちゃんがD区の奴らに絡まれてた時アイツ、助けに来なかったね」 「仕方がないじゃないですか、ルートはA区のリーダーだしっ、忙しいんだ!」
周りへの、体裁だってある。 だけどそれは、自分に対する気休めに過ぎなかった。 本当は、あの時、シキはルートに助けられることを望んでいた。目の前に居る、この男ではなくて。 そんなルートに対する不信を、シデンは知ってか知らずでか、
「ふぅん。でも、俺も、一応B区域の頭なんだけどねー」 と深まりつつある溝を更に抉り出そうとしてくる。
「まー、いちお安心していいよ。シキちゃんに手ェ出そうとした奴ら、俺がみーんな半殺しにしてやったから」
だから安心してと、シデンは微笑む。
「ホントは土下座して謝らせたいんだけど。アイツらの歯、殆ど折っちまったから、上手く喋れねぇみたいなんだわ。工場班って入れ歯とかも作ってんのかなー、今度聞いてみるね」 「な、に言って」 「あっ。半殺しで気に入らないんなら、全員剃刀で虚勢にするから」
淡々と、常軌を逸した事を口にする青年に青ざめながら、シキは首を横に振った。 どこまで本気なのか。真意は分からない。分かっているのは、キレ易いコイツを不用意に怒らせることは得策ではないということだけ。
(白々しいんだよ)
直接言えることの無い毒を、心の中で吐く。 都合の良い相手なら周りにいくらでもいるというのに。それでも、構おうとしてくる理由の大体は察しがついている。 シデンはパイプが欲しいのだ。ルートとの繋がりが。同室であるシキと関係を持てば、ルートは介入せざるを得ない。 散々興味が無いと言っておきながら。逸早くA区の内情を探ろうとする、その姿勢。 興味がないなんて、嘘だろう。Bの連中が、真っ先にAに突っかかるように仕向けているのだって、お前じゃないか。自分が好きだって? どうせルートの気を引く為に、程の良い当て馬にでも、する気なんだろうが。 「余計なこと、しないで下さい」
顔を上げると、愛想笑いを浮かべるシデンと目線が合った。 「やーっぱり、シキちゃんは優しいなぁ。被害者なのに、庇うなんてさ」
庇ったつもりは無い。ただ、まともに話の通じない連中から恨みを買うのが面倒なだけ。 折角、ほどぼりがさめかけてきたのだ。これ以上、奴らを刺激させる行動は止めて欲しい。 Bのリーダーとデキている、なんてありもしない誤解をかけられて、狙われるのだけはゴメンだ。
「話すことはそれだけですか? それならオレ、帰りますから」
身を翻し、足早にこの場から立ち去ろうとするが、
「待ちなよ」 背後から伸ばされた手によって、引き戻されてしまった。
「ちょっと! 話、聞いてたんですかっ!」 「聞いてたよー? もうちょっと一緒に居てくれたっていーじゃん。今日のお礼、まだ貰ってないだからさぁ」 「は? お礼って」 「大事な貞操、守ってあげたでしょー?」
(お礼なんて、そんな)
この男に渡せる唯一の物と言えば、腕に抱える、なけなしの食料しかない。
(だけど、これは)
同室者であるルートの分も含まれている。 長いこと抱えていたせいで、すっかり皺だらけになった紙袋をシキはそっと開いた。その中からパンを一つ、取り出そうとするが、 「おいおい。シキちゃんこそ俺の話、聞いてなかったの」 とシデンに制された。
「これとスープの半分で、勘弁して下さい。残りは、ルートの分なんです」 「だからちがうって。言ったデショ? 俺らンとこ、メシは足りてるって」
どうせ貰うんなら、もっと別の、言いモンがイイな。
開いたままであったドアの隙間から、再び闇が漏れ出し、その奥にと、こちらを誘(いざな)う。
「大丈夫だってぇ。そんな脅えた目、しなくても。アイツ等みたいな手荒な真似はしないから、ねぇ?」
鍵なんて掛けられないはずなのに。シデンによって閉じていくこの扉が、開くことは、二度と無いような気がした。
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