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第二章:[    ]



 一見、今朝の作業場で顔を合わせた時と、トヲイの様子は何ら変わらないように思えた。
 敢えて違いを挙げるとすれば、右手の薬指に填めてあった「指輪」が無くなっていたことだろうか。
 初めてトヲイと出会った時から、彼はその指輪を片時も外したことはなかった。
 特に慌てた素振りもない様子から、無くしたのではなく、意図的に外したのだろう。

(何故?)

 視線を指から逸らすと、トヲイの首元に記された「118」の烙印が目に入った。

 118番は、第七期の投獄者だ。117番である、シキと同じの。

「シキ……?」

 ナナシは、背後で横たわるシキを見やった。
 間違いを諭すつもりが、追い立て過ぎて、返り討ちに遭ってしまった。
 ナナシとしては、居なくなった同室者など忘れて、シキに早いところ、立ち直って貰いたかったのだ。裏切られてなおも、相手を慕い続けることなど、只でさえ、反感を買っているというのに、更に奇異の目で見られてしまうだろう。

「泣いたの?」
 シキの顔を除き込むと、目尻は赤く、泣き腫らした跡が残っていた。
 此処に連れて来られる間は反逆者として、懲罰部屋に入れられてたようだし、相当疲労も溜まっていたんだろう。今は死んだように眠っている。

 照明が消えていることから、少なくとも消灯時間は過ぎているんだろう。
 自分はあれから、どれ位、意識を失っていたのか。シキが起きている時に、トヲイは此処に来たのだろうか。

「……?」

 何故か一瞬、胸の奥に僅かなわだかまり感じ、頭を振って、ナナシは再び考えを巡す。

 同期なら、こちらに来る以前、二人に面識があったとしても可笑しくはない。
 トヲイの薬指からいつの間にか消えていた指輪。安い銀で出来ていた、ソレは施設内では、一食分の価値でしかなった。
 指輪を送った相手が大切な者であったから、飾り気のない指輪でも、トヲイにとっては、十二分に価値のある物だったんだろう。

(もしかすると、あれは)

 不意にある憶測が、頭をよぎった。

「トヲイ、僕の同室者に、以前会ったことがあるよね?」

 ナナシの問いに、弾かれたようにトヲイは顔を上げた。 瞳の奥には、戸惑いの色があった。視線を泳がせ、ややあってから、ゆっくりと頷く。

 間違いない。トヲイが危険を犯してまで、助けたかったのは、多分、シキだ。
 ならば、シキが頼めば、トヲイは「脱獄」に加担する可能性も否めない。
 隔離区域での仲間集めに絶望的だったシキにとっては、良い兆しだろう。だが、ナナシの心境としては、それは決して望ましいことではなかった。

(頼にもよって、シキとトヲイが同期で、それも親しい間柄だったなんて)

 先程の様子を見れば誰もが分かることだろう。シキはまだ、脱獄者ルートのことを諦めきれてはいないということは。例え、裏切られたと分かっていても、心はルートを求めて止まないのだろう。シキがルートに依存する限りは、他人に、ルート以上の信頼を寄せることはまず無い。
 万が一、シキがエルフからの「脱獄」に成功したとしたら、次に犠牲になるのは、きっと……

「トヲイ」

 ナナシは背中越しに、トヲイを呼んだ。
 しかし、彼は呼びかけに振り向きもせず、魘されるシキを沈鬱な表情で見つめている。

「もう戻らないと。看守に気付かれたら大変だよ」

 人は人を失って嘆く。どれだけ大切であったかを。そして居なくなってしまった存在を過大視し、思い出に縋り続ける。
 シキでさえ、あの有り様なのだ。トヲイではとても耐え切れないだろう。

「もう一度言う……看守に気付かれる前に、早く自分の房に戻った方がいい。今なら、まだ間に合う。117番は、シキは同室の僕が看とくから」

 そう。今なら、まだ間に合う。これ以上、他人に執着してはいけない。君だって、知っているはずだ。

 それでも、トヲイは頭を横に振り、シキの傍を離れようとはしなかった。

「君が思ってるほど、この人は特別でもないし、ましては優しい人間じゃない。人だって、平気で見棄てる。ここの連中と何も変わらない」
「……ッ!」

 何とか思いとどまらせる為に、シキを悪し様に罵った。

(無駄なんだよ、トヲイ。君がいくらシキをずっと見ていたとしても)

 残った右目さえも、もうルート一人しか映そうとしない位、曇っている。

 脱獄の最中、看守を二人惨殺し、大勢の仲間を裏切った殺人鬼。いくら言い繕ろうとも、それが、シキの実態である。
 自分達の手は血にまみれている。綺麗に洗い流すことは今更出来やしない。血だらけな手を取り合って、逃げ続けることなど不可能だ。
 床に滴り落ちた痕跡を隠せない。どうしてもボロが出てしまう。目敏い看守に、よって直ぐに見つかってしまうだろう。
「トヲイ、君の同室者もきっと心配してる。早く、帰りなよ」

 項垂れるトヲイの肩にそっと、手を伸ばすが、払われてしまった。

(トヲイを、傷付けたかもしれない)

 だけど、これが君の為なんだ。君だけはシキに、必要以上に関わっちゃいけない。索漠とした関係にしか、ならないから。

「寝ないと、明日の仕事に支障を来たすよ」

 そんな態度に怯むことなく、トヲイの腕を掴んだ瞬間、眦を吊り上げた彼と目が合った。
 同時に、視界が黒く染まり、禍々しい感情が一気に流れ込んで来た。

“どうして、キミまで、シキを非難するんだよ”

 それが、ナナシが初めて耳にした、トヲイの「声」だった。

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