105:薬と毒

「これで1000本完成!」

薬屋の簡素で侘しい室内に、花を灯すような明るい声が響き渡る。
声の主である桜さんは、1000本目の花桐草を私に手渡すと、堪えきれずといった様子で抱きついてきた。布越しでも体温が感じる密着具合に、自然と笑みがこぼれる。

「しのぶちゃんありがとう。これでようやく皆に恩返しができるよ。本当に、ほんと〜に!感謝しています!」
「こちらこそ助かりました」

世辞抜きで助かったのはこちらの方だ。短期間で1000もの花桐草を用意出来たのは、奇跡と言っていい。もし、桜さんの協力がなければ、数ヶ月、いや……数年の時間を費やしたかもしれない。それではあまりにも遅すぎる。

「あちらがお礼の品です」

お礼を渡すと、桜さんは沢山の感謝の後に興奮冷めやらぬ様子で言った。

「一応、お互いに詮索しないってことだけど、優しいしのぶちゃんの事だもん。きっとお薬か何かの材料なんじゃないかなって思って。1000本って量だからきっと沢山の人を救う特別なお薬なんでしょ?」


沢山の人を救う特別な薬。


なんて綺麗な言葉なのだろう。奪われた事のない真っ白な人だからこその発想だと、よくわかる言葉だ。
確かに間接的な結果だけ言えば、まさに人を救う薬となりえる。ただ、これを形作るものは、綺麗ごとだけではない、底なしの復讐心。

曇りなき眼を輝かせ、答えを待つ桜さんに、真っ黒な私の感情を悟られないように、花桐草で口元を隠し、目尻を下げる。

「よくわかりましたね、正解です。これがあれば、数百、数千の人を救うことができるんです」
「やっぱり!そうだと思った!だから私、想いを込めて花をさか……育てたんだ」
「想いを込めて…ですか?」
「そう。花ってきっと幸せとか愛情の想いで咲く……と思うんだよね」

桜さんが多種多様な花をどのように調達しているかは、何十、何百通りと考えて、最終的に、鬼とは全く違う、何か不思議な力を持っているのでないかとの結論に至った。理論も常識も破綻した憶測だと自分自身を笑っていたが、桜さんのこの口ぶりから、あながちそれも間違いではないのかもと推測できた。愛情で花を咲かす、御伽噺の花咲か爺さんの様な力をもっているのだろうか?だとしたら、誰かの心に光を照らす桜さんにぴったりではないか。

「だから、1000本全てに」

思考の海に沈みそうになった時、花桐草を持つ手を握られ、そのまま桜さんの額に導かれる。

(あ…、これは)

心に直接語りかけてくるような澄んだ音に、なぜだか、直感した。
これから紡がれるだろう言葉は、きっと私の覚悟を溶かしてしまう、甘い毒になる。薬も容量を間違えれば、毒になるように、今の私には強すぎる。

「優しいしのぶちゃんが、この先ずっと幸せでありますように」

やめて言わないで。私を鬼殺隊の胡蝶しのぶのままでいさせて。

「素敵な旦那さんと子供や孫に囲まれながら、沢山長生きして」

桜さんは顔を上げて、姉さんと同じ花のような笑顔を浮かべた。

「ずっと笑顔でいられますようにって」
『姉さんしのぶの笑った顔が好きだな』








今、顔を上げたら流されてしまう。それだけは駄目よ、胡蝶しのぶ、と己を律し何とか声を絞り出す。

「…桜さん、少し用事を思い出したので先に甘露寺さんとお買い物行っていただけませんか?私は後程お伺いします」
「う、うん、じゃあ先に行ってるね。中央広場にいると思うから」

反応が薄く早口の私に戸惑っているのが分かったけど、今は無理だった。後で埋め合わせはするからと、心の中で言い訳をして、桜さんが薬屋を出た後もしばらくその場で衝動を耐えていると、ふと、視界の隅に店主の足元が見えた。目線を少し上げると、藍色の手拭きを無言で差し出しており、意味が分からずに眉を寄せ疑問を訴えると「ご自身の足元を」と言われたので、再度目線を下げる。その先には、古くなった杉の板に、幾つもの染み。

「人とは誠に複雑な生き物でございますね」

店主の落ち着きのある声を聴きながら、自身の頬を触ると、涙で濡れていた。

「一つの物事に、一つの感情、それだけだったらどれほど楽だったでしょうか」

店主から藍色の手拭きを受け取り、目頭を押さえ、また立ち尽くす。

「複数の感情や、相反する感情、時の経過と共に移ろう感情、それらが個人の背景や関係と重なり、時には雁字搦めの糸として、行動と思考を複雑化させる。幾重に経験や年齢を重ど、自身を律しきれるものなどそうは居りません。私は胡蝶様の何倍も生にしがみついている、しがない老人ですが、自身を律することなど未だに出来ません。唯一覚えたのは、諦めの感情だけ。まして胡蝶様は15年しか生きていない、……ただの子供です」

子供、という言葉を強調したあと、親が子に優しく問うような柔らかい口調で、店主は言った。

「先ほど、胡蝶様の心は、何を感じたのですか?」

「………私は、」

桜さんが笑っていると姉さんが笑っているように思えて、救われた気になっていた。桜さんが竈門家の皆さんと笑い合っている姿を、私や姉さん、父さん、母さんと重ね合わせて、歩むはずだった幸せな未来の疑似体験を錯覚した。桜さんと親しくなっていく内に、桜さんがこれからも笑える未来を作り出す事が、私の戦える理由の一つになったていた。

そのためにも、藤の花の毒を服用し、自身を喰わせる方法を強く心に決めた。まだ壊れていない、幸せを守りたいと思った。その覚悟は今も昔も変わらずにある。復讐は色褪せる事はなく、今も鮮烈に焼き付いている。やめるつもりは微塵もない。


そのくせ、桜さんに、花桐草の話を持ち掛け、事が決定した時に、必ず成功させる決意の気持ちに混じり、僅かな寂しさを覚えた。
桜さんは事情等知らないし、鬼の話もしていない、話す予定もない。なのに私は理不尽にも、我儘にも、一言でいいから止めてほしいと思ってしまった。あの時の姉さんみたいに。だから、桜さんの先程の言葉が


「嬉しかった……」


姉さんと同じ笑顔で、「やめなよ、藤の毒を飲んで、鬼に食べてもらうなんて。しのぶちゃんにはずっと生きていて欲しい。これからも一緒に笑って幸せに暮らそうよ」と言われたようで、嬉しかったのだ。

私はいつの間にか、桜さんに手をひかれ、蝶屋敷の皆、甘露寺さん達の隣で、幸せに笑って過ごす未来を夢見てしまっていた。
鬼殺隊として望んではならない、甘い毒だと認識しながら、心の中の、ただの胡蝶しのぶが歓喜した。



桜さんの想いが、矛盾だらけの心に、光を照らす。



「…藤の花の毒、作成……お辞めになりますか?」

一言本音を口にしただけなのに、心は落ち着きを取り戻していた。
数回ゆっくりと大きな深呼吸をしてから前を向き、店主の言葉にはっきりと答えた。

「いえ、作ります」

未来を変えるつもりはない。私はもう選んでしまったのだから。
私は、鬼殺隊の胡蝶しのぶとして、蝶屋敷の主人として、皆を導き守る義務がある。

「どうしたって私は、鬼殺隊の胡蝶しのぶ、なんです。ですが………」

鬼への憎悪を抱えながら姉さんの真似事をして生まれた矛盾が、毒を生み自身を苦しませる。
藤の花の毒を喰らい鬼に喰わせる事を決めながら、大好きな人達に囲まれる普通を夢見る。
この矛盾は消える事はない。けれど、矛盾だらけの真っ黒な心に、優しく照らす光があるのなら、私はこの苦しみを耐え忍ぶことができる。

「同時に別の方法を模索するのも、…よいかもしれません」

最後にそう言って小さく微笑むと、店主は両親と同じような優しい笑顔を見せた。









※大正コソコソ噂話※
しのぶさんは、原作で皆のお母さんみたいな存在であると同時に、復讐を抱え、裏で矛盾に苦しむ我慢我慢の人です。しのぶさんは、精神的にも強い人だからこそ、皆、しのぶさんを慕い、柱になるまでの強さを取得しました。だけど、まだ18です。年齢=精神的な強さではないですが、人前では見せない、精神的な弱さもあったはずです。…という自己解釈の話です。
炭治郎は桜に対して、恋……幸せの花を咲かせた、幸せを感じさせる人、禰豆子は桜に対して、あたたかさを感じ、しのぶさんは桜に光を感じた(69話、今回での表現)ということです。

夢主としのぶさんの関係性のテーマは薬と毒です。

関連話 697375


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