75:ウバウ
東の町へ向かう途中、慣れない雪道に盛大に足を滑らせてしまったせいなのか、
「桜さん、ここ滑るので足元に気を付けてください」
そう言って炭治郎君は、雪で出来た段差の一つ下から私に向かって手を差し伸べた。
「ありがとう」
炭治郎君の固く豆だらけの手を取りながらゆっくりと段差から足を降ろし、同じ場所に立つ。ふわりと微笑んでお礼を伝えれば、小さな紳士は嬉しそうに、どういたしましてと言った。
(かわい〜!!)
私のために、一生懸命エスコートしてくれる姿が非常に可愛らしく胸がキュンとなる。
「滑りそうになったらすぐ俺につかまってください」
「うん!」
元気に返事を返しまた二人でゆっくりと歩き出した。それからは東の町に着くまでの間、かわいい紳士のお蔭で一度も滑る事なく無事に到着。そのまま、二人でしのぶちゃんが指定した待ち合わせ場所の薬屋へと向かった。
「こんにちわ〜」
「お邪魔します」
相変わらず立て付けの悪い扉を引いて中に入り呼び掛けるも、店主さんからの返事はない。しばらく待てば奥の部屋の暖簾がふわりと揺れた。
「桜さん、竈門君、一週間ぶりです」
暖簾から顔を出したしのぶちゃんは、綺麗で高価そうな蝶柄の着物姿で、それと釣り合う佇まいと笑顔を浮かべていた。すぐさましのぶちゃんに近寄り手をとる。
「しのぶちゃん会いたかったよ〜!今日も綺麗で可愛いね」
「桜さんったら、すぐ褒めるんですから」
「本当の事はどんどん伝える主義なので」
「素敵ですね。なら私も。…桜さんも花のように可愛らしいです。貴女の笑顔を見ているだけで癒され愛おしく思います」
しのぶちゃんの芸術品のように整った誰もが見惚れてしまう顔で口説かれ、胸がギュンとなり顔が赤色に染まる。
「………あ、あぶない。一瞬そっちの世界に足を踏み入れるとこだったよ…。全くもう、しのぶちゃんったら…」
本当はまだドキドキしていたけど、額の汗をぬぐう動作で誤魔化す。すると、しのぶちゃんはクスクスと笑い、炭治郎君を見た。
「ね?竈門君?」
「え!?俺ですか?!………そ、そうですね」
最後の台詞の小ささと照れるような落ち着きない仕草に、過剰で危険なドキドキから、癒される可愛らしいキュンキュンに変わり、何とか落ち着きを取り戻しました。
再会の挨拶もそこそこに、改めてアメキシスの事を再確認した。
この一週間で、確実に1000のアメキシスが欲しいけど、もし期間中に間に合わなければ無理せずに伝えてほしい。アメキシスは店主さんやしのぶちゃんがいない時でも、店の隅に箱を置いておくからその中に入れてほしい。代金は1000すべて納品したら、その日に全額渡す。
「了解しました!そして最初の納品がこちらになります」
私と炭治郎君は背負った籠から花を取り出し箱に次々と入れていった。あっという間に埋まった箱を見て順調順調と頷き、またすぐにお花持ってきます。と炭治郎君の手を取り宿へと急ぎ向かった。初日だからと気合を入れたおかげで沢山の箱をいっぱいに出来たのだけど、さすがにへろへろに疲れてしまい、その日は夕飯も食べず倒れるように就寝した。
次の日には、蜜璃ちゃんも合流して、一段と賑やかになったように感じる東の町。
昨日は無理をしすぎたせいで、随分と炭治郎君を心配させてしまった。炭治郎君の、ちょっといい加減に学習しましょうかという笑顔に圧を感じ、すぐさま必ず休憩をはさむ事を約束。さっそく息抜きも兼ね、炭治郎君としのぶちゃん、蜜璃ちゃんと四人で朝ごはん兼お昼ご飯をしているのだけど……。
「そういえば炭治郎君いつ帰るの?そろそろ帰らないと、家に着くの夜になちゃうよ?」
「いえ今日は帰りません!桜さんと一緒に帰ります!」
炭治郎君の言葉にぎょっと驚く。
「え!?私にずっと付き合うつもりだったの?!」
「もちろんです!」
炭治郎君の相当な意志の強さを感じる強い頷きに、焦りを感じた。てっきり、いつもと同じ様に2日後には帰ると思っていたのだ。竈門家の大黒柱である炭治郎君が一週間もいないのは色々と不便が生じるから、私なんかの為に炭治郎君を一週間も拘束するのはいただけない。
「気持ちはありがたいけど、炭治郎君が一週間もいないと皆困っちゃうよ」
「皆には了承をもらっています」
「(いつのまに…)でも明日から炭焼きの準備も初めなきゃでしょ?」
「うぐ」
「竹雄君一人じゃ大変だよ」
「うぐぐ」
「それに……禰豆子ちゃんと六太くんの事も心配だし…」
「ぐぐっ」
出かける前、軽い咳をしていた禰豆子ちゃんと六太くん。見た目も元気だし発熱もなかったのだけど、大正時代はまだまだ医療が万全の状態ではないので、風邪から症状が悪化して最悪死んでしまうことだってある。葵枝さん一人で家事をしながらの看病は大変だろう。その事を理解している炭治郎君は悩まし気に頭を抱えた。
「けど、桜さんを一人にするわけにはいきません!危ない人やまた熊」
「私達がお送りしますよ」
今まで静かに話を聞いていたはずのしのぶちゃんの発言に、同意するように隣の蜜璃ちゃんもこくこくと頷いている。
「まぁ、最初からそのつもりでしたけど」
「炭治郎君安心してちょうだい。桜ちゃんを狙う悪い人がいたら、こうして!こうやって!こーよ!!」
蜜璃ちゃんは、バ〜ンとかポイポイ〜とかびゅ〜んとか擬音をつけながら、大げさなジェスチャーで可愛らしく悪役成敗を表現した。
しのぶちゃんはと言うと、目元に影を作りぞっとする笑顔を浮かべて言った。
「毒で殺します」
殺傷力高過ぎ。というか殺しちゃ駄目です。
「仕事が急に入って、桜さんが一人になったら…」
炭治郎君は納得していないのか、渋るように言葉を絞りだしている。
「私達が行けなくなっても、必ず力のある者を付けて送ります」
「嘘…じゃない」
「竈門君少し耳を」
しのぶちゃんは炭治郎君に何かを耳打ちししばらく何かをこそこそと話合っていた。話の終盤辺りに炭治郎君が横目でチラリと窓の外を見たので、私も追ってみると、窓の外には遠くからこちらを伺うように見る二人の女性。
(あの人達……。前、薬屋で会ったしのぶちゃんの部下っぽい人達…?)
騒がしい人と、静かな人だったのは何となく覚えている。二人は私と視線が合うと、スッと何事もなかったかのように目を逸らし、視界から消えて言った。
(なんだっただろう?)
炭治郎君はしばらく熟考してから腰を90度に折り曲げ、お願いしますと頭を下げた。
その後は三人で、任せて私達すっごく強いからとか、匂いでわかりますとか、悪党撲滅とか、張本人を置いてきぼりに和気藹々とお話してるのを見て、ぶぅと頬と口を膨らます。
(私そんなに便りない?確かに力もないし体力もなし走りも遅いし頭も良くはないし運もないけど(あれダメダメだ…)、でも私だってやればできるんだからね。と言うか私がこの中で一番年上なんだよ(まあ未来から来たからある意味一番年下だけど…)?)
心配してくれて嬉しい気持ちと、過保護すぎじゃない?とちょっとだけ拗ねた気持ちのまま、やけ食い気味に、大きなパンケーキかけらをフォークで刺し口に放り入れた。
何度も振り返り、何度もお願いします、気を付けてと叫ぶ炭治郎君を見送った次の日から宿で休憩しながら花を咲かせ続けた。二人は途中お仕事が入って居ない時もあったけど、合間を見つけてくれて、蜜璃ちゃんには料理を教えてもらったりマッサージしてもらったり、しのぶちゃんには薬草について教えてもらったり温泉に一緒に入ったり、三人で食事や買い物をして楽しんだ。こんなに楽して稼いでいいのかな?と思いながら日々を過ごし、……そして12月8日の薬屋店内。
「これで1000本完成!」
最後の1本をしのぶちゃんに手渡した後、抱きついてお礼を伝える。
「しのぶちゃんありがとう。これでようやく皆に恩返しができるよ。本当に、ほんと〜に!感謝しています!」
「こちらこそ助かりました。あちらがお礼の品です」
しのぶちゃんの視線の先にはカウンター上の藤色の布に包まれた四角い物体。しのぶちゃんから離れ手に取るとずっしりと重く厚い。実際手に持った事により実感が湧き目の奥までキラキラと輝やかせ、またしのぶちゃんに何度もお礼を言って頭を下げた。しのぶちゃんは、もうわかりましたからと、困ったように笑う。それでも高揚した気持ちがおさまらなくて、つい言ってしまった。
「一応、お互いに詮索しないってことだけど、優しいしのぶちゃんの事だもん。きっとお薬か何かの材料なんじゃないかなって思って。1000本って量だからきっと沢山の人を救う特別なお薬なんでしょ?」
治療みたいな事をしていると言っていたので、おそらく薬なのではと考えていた。害虫駆除用の毒かなとも一瞬思ったけど、それはないだろう。だってこの花に毒はないから。
私の言葉にしのぶちゃんは、1本のアメキシスを持ったまま綺麗に笑った。
「よくわかりましたね、正解です。これがあれば、数百、数千の人を救うことができるんです」
「やっぱり!そうだと思った!だから私、想いを込めて花をさか……育てたんだ」
「想いを込めて…ですか?」
「そう。花ってきっと幸せとか愛情の想いで咲く……と思うんだよね」
私の中で花は育てるものではなく、幸せの気持ちを込めて咲かせるものだから。
「だから、1000本全てに」
1本のアメキシスを持つしのぶちゃんの手ごと包み込み、私の額に近づけた。そして今日までやってきた通りに言葉を紡ぐ。
「優しいしのぶちゃんが、この先ずっと幸せでありますように。素敵な旦那さんと子供や孫に囲まれながら、沢山長生きして」
そして顔をあげて、正面から笑いかける。
「ずっと笑顔でいられますようにって」
言った後に、ちょっとクサすぎたかもと一人で照れ、へへへと意味のない笑いが漏れた。
「…桜さん、少し用事を思い出したので先に甘露寺さんとお買い物行っていただけませんか?私は後程お伺いします」
「う、うん、じゃあ先に行ってるね。中央広場にいると思うから」
しのぶちゃんに特に反応される事なくスルーされ、「台詞いたすぎた?くさすぎた?」と本格的に恥ずかしくなり、しのぶちゃんの顔をまともにみれないまま、熱い頬を両手で押さえながら薬屋を出た。