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外伝4_ユウシャ・レコレクション_B



 暗闇の中で、瞼を開く。

 またあの夢だ。四方の彼方へ広がる、どこまでも続く黒一色。やがてどこからともなくあのモヤは現れ、リンクを喰らうかのように大きな口を開くのだ。

 ……そう思ったけれど、今回は様子が違った。

 暗闇の中、リンクが最初に知覚したのは眼下に広がる大きな穴だった。
 いつもの夢で見ている大穴のような口、ではなく、底の見えない深い深い穴。
 自分は地面でなく上空からその穴を見下ろしている。落ちないとわかっているのに、黒に塗り潰された穴を見下ろせば、体の内側から蝕むような恐怖が身と心を巣食う。

 そしてもう一つ、目にする。
 穴の淵に、小さな少女が座り込んでいたのだ。

 彼女は涙を流しながら、穴の底を覗き込んでいた。恐怖しているのか、絶望しているのか。悲しげに啜り泣く声音からその感情は読み取れない。

 同時に気づいた。彼女が見下ろす穴の中。黒に塗り潰されていると思っていたそこに、何かが落ちていることに。

 目を凝らす。次いでそれの正体を察する。
 落ちていたのは、肉体だ。中途半端なところで切られた腕が、足が、胴体が。乱雑に捨てられたかのように穴の中に散らばっている。
 さらにその肌は、赤や青といったおよそ人間のものとは似ても似つかない色をしていた。
 リンクは理解する。あれらの四肢は──魔物のものだと。

 少女はそれを見下ろし、泣いていたのだ。まるで魔物たちを悼むかのように。……次は少女自身の番だと、怯えるかのように。
 ならば自分は、少女をこの地獄から救い出すべきなのではないだろうか──。

「!!」

 そう思った瞬間、天上を突き破るかのような光が降り注ぎ、リンクと少女は天を見上げた。
 降りてくる光が逆光となり、天上を貫いた者の姿は見えない。けれど、その人物は少女のもとへ何かを差し伸べた。

 それは黒い腕だった。
 穴に落ちている魔物たちの四肢とは違う。人と同じような筋肉がつき、艶やかさすら感じる肌。
 少女の目は驚愕に見開かれ、天から差し込む光を浴びて涙の粒がきらきらと輝く。

 ──その手を取ってはいけない。
 直感的な警告が、リンクの脳内で高鳴った。

 しかしその声は喉奥に張り付き、声音として空気を揺らすことはない。リンクの言葉が少女という存在に干渉することが出来ないよう、見えない意志に妨げられているようだ。

 少女は立ち上がる。それが救いの手だと信じて。これが自分の進むべき道だと疑わず。やがて、

「────」

 少女の手が、黒い手に触れた。


 *


「……雨、か」

 風が窓枠を揺らす音で目が覚めた。いつもより早い起床だ。
 衝立を挟んだ向こう側からもごそごそという物音が聞こえてくる。おそらく隣室のセバスンも外の風音で目覚めたのだろう。

 目を擦り、重い体を持ち上げて窓を開ける。瞬間、湿気を孕んだ生温い空気が入り込んできた。
 灰色がかった雲は今にも雫を落としそうだ。スカイロフトで雨が降ること自体滅多にないのに、数年に一度の大荒れになる気配すらする。
 時折強い風が吹き抜けるからか、島全体がざわざわと落ち着きがなかった。

「おはよう、ゼルダ」
「リンク。……おはよう」

 教室へ到着すると、既にゼルダが来ていた。リンクに話しかけられるまで存在に気付かなかったらしく、ハッと息を呑む音が微かに耳に届いた。
 返された挨拶もいつもに比べて元気がなく、どことなく不安げな面持ちを浮かべている。

「どうしたんだ?」
「……ううん、何でもないの。ただ、」

 首を横に振り、ゼルダは自身の胸に手を当てる。そして窓の外へと目を向けて、

「いつもならね、ちょっと不謹慎だけど、こんな日ってどこかドキドキしてる自分がいるの。でも今日はそれが無くて。……何だか、嫌な予感がするの」

 その気持ちはなんとなくわかった。例えるなら、嵐と共に不吉な何かが近づいてきているような感覚。
 これまで天候の崩れはなかったわけではないけれど、こんなことは初めてだった。

 暗澹とした空気を孕み、空は徐々に暗くなっていく。教師の間でも天候が悪化する前に生徒を騎士学校の講堂へ避難させようという話が出たらしく、この授業が終われば移動となるそうだ。

 リンクは不穏な気配を帯びた外の光景を見遣った後、ふと離れた席に座るリシャナの方へと視線を移す。
 彼女は授業に聞き入るわけでもなく、かと言って外の様子に気を取られているわけでもなく、どこか虚ろな表情を浮かべていた。
 本当は昨晩のことをリシャナに問いたかったが、今日の彼女の様子は傍目に見てもなんだか上の空で話すことを躊躇われてしまった。

 が、やはり授業が終わったら話しかけてみるべきだろう。
 心の内でそれだけを決めて、講義を進めるホーネルの声に再び聞き入った時、

「──竜巻だッ!!」

「……え」

 誰かの叫び声が、教室中に響き渡った。
 誰もが思考を奪われ、窓の外の光景に視線が釘付けになる。リンクも同様に窓の外へと目を凝らす。

 異変は本島から少し離れた上空にあった。
 その正体は、不可視のはずの風を寄せ集めたかのような──怪物。
 それは灰色の雲を巻き込みながらじわじわと近づいてきており、このままだと人どころか島丸ごと食われてしまう。

「皆、講堂へ避難するんだ!!」

 次の瞬間、先に我に返ったホーネルが緊迫した声で指示を出した。一気に現実に引き戻された生徒たちは一瞬唖然としたが、急いで立ち上がりホーネルの誘導に従う。
 落ち着けと、大丈夫だからと教師陣が何度も声を張り上げる。彼らの懸命な誘導によってパニックを起こすこともなく、生徒と近隣の住人は講堂へと避難をした。

 講堂は騎士学校では一番広い部屋だ。そのはずなのに、今にも壁が抜けてしまいそうにギシギシと建物全体が悲鳴を上げる。断続的に地面が揺れ、避難してきた子どもの泣き声が高く上がる。

 いつ混乱が破裂するのか。そんな状況が続き、誰もが皆不安げな顔をし、徐々に成長しながら近づく竜巻を眺めていた。

「──っ、」

 すると、その光景を見遣っていたリンクの頭に激痛が走った。
 周囲の物音の一切が断絶され、頭の中に映ったのは、今日の夢の映像。黒い手が、少女の元へと伸ばされている。

 何故この夢が、今。あの竜巻と何か関係しているのだろうかと、苦痛に耐えながらリンクはその夢に自我を呑み込まれてしまわないよう必死に歯を噛み締める。

 ──そして、

『リンク』

「……!!」

 その夢に呑まれる自分を引き止めるかのように響いたのは、あの透明な声音だ。
 たった一度名前を呼ばれただけで、リンクの頭を支配していた悪夢の映像が、黒の手が、泣いていた少女の姿が、塵のように打ち払われた。

 明瞭になる視覚と聴覚。声の主に、この竜巻は何なのかと問いかけたかった。しかし、

「──きゃあ!!」
「!!」

 リンクが我に返った瞬間、建物全体が激しく揺れ、誰かの悲鳴が上がった。
 慌ててリンクが外の光景へ視線を走らせると、いつのまにか竜巻は巨大な風の化け物となり、騎士学校のごく近くへと迫っていた。

 ごうごうと怪物の唸り声のように轟く風音。数少ない窓には全て亀裂が入り、大人たちは小さな子どもに覆い被さる。
 リンクはただただ呆然としながら、竜巻に呑まれる故郷を眺めることしか出来なくて。

 ついに、竜巻が騎士学校の敷地を呑み込もうとした時。現実から逃れるようにぎゅっと瞑目し、人々は女神へと祈りを捧げて──。



「…………、……え?」

 不気味な静寂の中、誰かの声音がこぼれ落ちた。
 その声に誘われ、一人、二人と顔を上げる。リンクもそれに釣られ、恐る恐る瞼を持ち上げる。

 講堂はどこも崩れておらず、窓の外に迫っていたはずの竜巻の姿はない。空では灰色の雲がゆっくりと風下へと流されている。

「何が、起きたんだ……?」

 それはこの場にいた全ての人間の気持ちを代弁したものだった。竜巻はどこに行ったのか、本当に脅威は去ったのか、誰一人として状況がわかる者はいなかった。

 その時、遠くからこちらへ駆け寄る足音が聞こえてきた。
 飛び込んできたのは若い衛兵。一度呼吸を整え、彼は顔を上げてこう叫ぶ。

「皆、竜巻が消えたぞ!!」
「……!!」

 衛兵の話によると、竜巻はあのまま騎士学校を呑み込むと思われていたが、その直前でふと力が抜けたかのように消滅したらしい。
 降り続けていた雨も止みつつあり、灰色の曇り空からは暖かな日差しが足を下ろしていた。

 ようやく緊張の糸がほぐれたのか、周囲の人々の安堵の声が上がり始める。中には涙を流して生還の喜びを分かち合い、抱き合う者もいた。

「…………」

 雑然とした人々の声を背景に、リンクは雨雲から覗く青空を見遣る。
 透き通る青は天災の終わりを告げるもののはずなのに、どこか不自然さを感じさせるもので、

「リンク!」
「!」

 やがてどこからか名前を呼ばれ、その声の主を探してリンクは辺りを見回す。すぐに声の主、ゼルダが人混みを掻き分けてこちらに近づいてくる姿を見つけた。

「ゼルダ……どうし、」
「……お父様から、聞いたの」

 無事で良かったと声をかける前にゼルダがそれを遮る。青ざめたゼルダの顔を見て、リンクもスウと指先から血の気が引いていく感覚を抱いた。

 次の言葉を聞いてはいけない。けれど聞かなくちゃいけない。
 それはきっと、受け止めるべき“結末”なのだから──。

「──リシャナが、空から落ちた、って」


 *


「皆、落ち着いて聞いて欲しい」

 ホーネルの悲痛な声音がぽつりと落ちる。
 教室にはほとんどの生徒が集まっているというのに、耳が痛くなるほどに静かだ。皮肉なことに、それはホーネルの言葉に集中しているからではない。
 これから語られる事実に対し、何も喋ることが出来ないからだ。

 昨日一日をかけて捜索が行われたが、リシャナは見つからなかった。スカイロフトの周囲に浮かぶ島は全て調べられたがその姿はなかったという。
 あれだけの竜巻だ。本島から離れたところにまで飛ばされた可能性もある。

 ──が、その一方でリシャナはもう見つからないだろうという諦めの声は早々に囁かれていた。

 スカイロフトの周辺に浮かぶ小島は複数あるものの、大空には道標がなく見つかる可能性は低い。リシャナはロフトバードがいないこともあり、自ら本島に帰還するのはまず不可能だということ。

 故に、リシャナは雲の下に落ちた可能性が一番高い。
 ただし雲の下の世界がどうなっているのか、たどり着けた者は一人としていない。リシャナが生きているのかいないのか、その予想すら立てることが出来ないのだ。

 ホーネルの話を聞いた後、授業は行われず各自解散となった。昨日の竜巻により被害が出た市街地の復旧作業を手伝うためだ。
 騎士学校や寄宿舎は建物が大きく、また呑まれる前に竜巻が消えたためほぼ無傷だった。そのため生徒は修繕の手伝いに行く者と、休養を取る者に分かれた。

 複数の怪我人は出たものの、死者や行方不明者はたった一人──リシャナを除いて出ることはなかったらしい。


 リンクは、ある場所へと向かった。
 学校で見かけた様子が気がかりで、しかし何と声をかければいいのかわからないまま、その姿を探す。

 彼女は思った通りの場所にいた。両膝を抱え、服が汚れることも厭わず地面に座り込んでいる。
 雑草を踏み締め、リンクは彼女の隣へとゆっくり近づく。

「……ゼルダ」
「──!」

 彼女──ゼルダは驚いたように振り向いた。
 泣いた後なのだろう。目の周りが赤く腫れていた。

「リンク……。どうしてわたしがここにいるって、わかったの?」
「なんとなく。あの肝試しの日、四人で来たところだったし」

 ゼルダがいたのは、数ヶ月前の肝試しの夜に四人で訪れた場所だった。
 ゼルダは「そっか」と曖昧に笑い、再び視線を自身の両膝に戻した。

「……もうすぐ日が暮れるし、寄宿舎に帰らないと校長が心配するよ」
「……ええ」

 ゼルダは小さく頷いたけれど、動く気配はない。リンクも彼女を急かすことはせず、沈黙の時間を共有するように傍らに立ち尽くしていた。

 こうして高台から見下ろすと、街の光景は凄惨なものだった。
 あの日温かな夜の姿を見せた街並みは、今や怪物の爪痕が残されたかのように荒れ果てている。リンクたちの生活圏である騎士学校や寄宿舎には奇跡的に大きな被害がなかったが、それでも故郷の痛ましい姿を見ているとやり場の無い虚しさが込み上げてきた。

 ふと、微かな呼吸音が耳に届き、リンクはゼルダの横顔を見遣る。

「ねぇ、リンク」
「……何?」
「……わたし、リシャナと『友達』でいられたと思う?」

 その問いに、言葉が詰まる。長い睫毛に縁取られた蒼色の目は深い悲しみに染まっている。
 リンクが答えに逡巡していると、ゼルダは吐息し苦笑を浮かべる。

「……なんて、リンクに答えさせるなんて、ずるいわよね」

 リンクが返せる言葉はやはり何も無い。
 それでもゼルダは痛々しい微笑みを向け、爪痕の残る故郷へその眼差しを注いで、

「わたしね……リシャナが生きてるって、必ずまた会えるって、信じてる」
「────」

 それは毅然とした、そうであることを信じて疑わない声音だった。
 騎士学校でホーネルの話を聞いた時、街中にその噂が出回った時。あらゆる場所で、絶望の言葉が飛び交っていたのに。
 ゼルダはそれを耳にした上で、瞳に強い光を宿していて、

「まだ、大空には解かれていない不思議がたくさんあるもの。きっとリシャナも、どこかの島で今も助けを待っていると思うの。……必ず、捜索隊が見つけてくれるわ」
「ゼルダ……」
「だからね……だか、ら……っ、」

 その瞳からは、堰を切ったように大粒の涙が溢れ、白い頬を濡らす。自らの不安を打ち消すための虚勢に耐えられなくなったのだろう。

 リシャナが生きている可能性も、居場所の手がかりも、現状、何も見つかっていないのだから。
 残された自分たちに出来るのは、根拠のない希望に縋り付くこと。ただそれだけなのだから。

「わたし……もっと、もっとリシャナと話したかったッ! もっといろんな思い出をつくって、一緒に卒業したかった!!」
「────」
「なんで、こんなことになってしまったの? リシャナは何も悪くないのに、どうして……!?」

 大声を上げて、ゼルダは涙を流す。リンクはその肩に触れることも出来ず、己の手を握り締める。

 最後に会った時、リシャナは自分に何を言おうとしていたのだろうか。
 何をすれば、こんな結末にならなかったのだろうか。

 竜巻が故郷を壊して、奪い去って。
 残ったのは、仲間を守れなかった自分だ。

 無意味とわかっていても無力な自分を戒めて、リンクは強く強く唇を噛み締めた。


 *


 ゼルダを寄宿舎へと送り、それでも自室に帰る気になれなかったリンクは復旧の手伝いに加わるため、再び市街地へと向かっていた。

 その途中、桟橋の手摺りに寄りかかり、肩を落とす人物がいた。
 近寄るとすぐにその人物はリンクの存在に気づき、これ見よがしな溜め息をついて、

「んだよ、おめぇかよ」
「……バド」

 バドは露骨に顔をしかめ、舌打ちをこぼす。
 周りにラスやオストの姿はなかった。何かを待っていたわけではなく、ここで考え事をしていたようだ。授業がなくなり戸惑っている生徒が数人いたが、バドもそのうちの一人なのだろう。

「どいつもこいつもシケた面してやがる。調子が狂うっての」
「……バドこそ、髪型、崩れてるぞ」
「うるせぇ! んなとこ目ざとく見てんじゃねぇ!」

 自分でも気にしていたのか激怒するバド。ひとしきり怒鳴られた後に気まずい沈黙がやってきて、このまま離れた方がいいだろうと思ったリンクが踵を返した時、

「おい、リンク」
「……?」

 名前を呼ばれて振り返る。
 空色の眼差しに据わりの悪さを感じたバドは頭を掻いて、「その、なんだ」と口籠る。
 しかし意を決したのか、浅く呼吸をして、

「……アウール先生のこと、お前も気にかけとけよ」
「────」

 予想外の言葉に、リンクは息を詰まらせた。
 その反応が気まずかったのか、バドは視線を逸らしたまま続ける。

「鳥ナシが、その……いなくなっちまってから、思い詰めてるみてぇだからな。本人は出さねぇようにしてるけどよ。……オレでもわかっちまうくらいだ」
「……、……ああ、わかった」

 同級生の安否不明という事実が与えた衝撃は、クラスの誰もが同じだったはずだ。リンクも、おそらく他の生徒も、自分のことに精一杯で、他人のことを考えている余裕はほぼなかった。
 それなのにバドは、大人として生徒たちへの毅然とした態度を貫くアウールの姿を、しっかりと見ていたのだ。

 ハッと気付かされた衝撃と、小さな尊敬の気持ちを込めてリンクが頷くと、バドは鼻を大きく鳴らした。

「あと! ゼルダはオレ様が慰めるからな! おめぇの慰めもいるっちゃいるかもしんねぇけど……ゼルダを笑わせんのはオレ様の役目だかんな!!」
「わ、わかったよ」

 何故か唐突に怒り始めたバドに気圧され、リンクは何度も頷く。この剣幕のバドに対し、ついさっきまでゼルダと会っていた、とは言えなかった。

 そしてなんとなく気づく。バドはゼルダの笑顔が好きなのだろう。
 ゼルダを笑顔にしたいと、笑わせてやると口にしていたのを何度か耳にしたことがある。

 自分も同じだ。心のうちでそう呟いて、バドと別れた。


 *


 ──思い出すのは、いつかの声だ。

『リンク』

『いつかの目覚めを、お待ちしています』

 あれは女神の声、だったのだろうか。
 根拠はない。だが、何故かそんなことを思った。

 もし自分が彼女の言う目覚めとやらをしていたのなら、この未来を変えることは出来ていたのだろうか。
 それとも、女神にとって今は目覚めの時ではないということなのだろうか。

 女神像を見上げる。彼女は慈愛の微笑みを絶やさず、そこに佇んでいる。
 その眼下には薙ぎ倒された木々が、半壊した建物が、呆然とした表情でそれを見つめる人々が存在している。
 おそらく彼女はリシャナが竜巻に呑まれる瞬間を、その目で見ていた。

 理不尽だとわかっている。わかっているのに、握った拳が震え、怒りの感情が湧いてくる。
 それは何もしてくれなかった守り神と、何も出来なかった自分への怒りだ。

「……なあ、女神様」

 唇を解く。語りかける相手がいるのに、その声は虚しく響き、どこにも届いてないことをまざまざと理解させられる。

「もし本当に、『運命』を見通せるなら」

 女神像は何も答えない。あの透明な声音も、今は何も語りかけてくれない。

「──どうすれば、みんな幸せになれたんだ?」

 答えは何も、返ってこない。


 *


 その人物を見かけた時、声をかけるか否かとても迷った。だがその姿を見て声をかけないことは今のリンクには出来なかった。

「アウール先生……」

 アウールはリンクに声をかけられ短く驚き、次いで普段通りの教師の表情を見せようとするが、どことなくぎこちない。
 そして気づく。ここは鳥乗りに出るための桟橋だということに。もうじき日が沈むため、今日の捜索を終えたのだろう。

「リシャナを、探していたのか?」
「……ああ」

 先ほどまで鳥に乗っていたのか、長い白髪は乱れ、薄く汗をかいている。
 そういえば朝学校で姿を見たきり、アウールを見かけることは一度もなかった。朝からずっと、リシャナを探していたのだろう。
 バドの言葉が呼び起こされ、リンクは少し悩んだ後に顔を上げる。

「先生、その……」
「ん?」
「あんまり、無茶するなよ。生徒の立場からこんなこと言うべきじゃないのかもしれないけど……それでも」
「……、……ありがとう、リンク」

 その表情には彼本来の芯の強さがどこか欠けていた。それでも生徒の言葉をしっかりと受け止め、頷く。
 そのままアウールは赤くなりつつある空に目を向け、静かに告げた。

「……ここは、リシャナが最後に立っていた場所なんだ」
「え?」

 つまり、それは──、

「先生、リシャナが落ちる瞬間を見たのか……?」
「…………ああ」

 無機質な肯定があまりにも痛々しくて、リンクは言葉を失った。
 大切な教え子が、家族同然の存在が、空から落ちる瞬間を目にしていたなんて。

「すぐにロフトバードを呼んでリシャナを助けに行ったよ。……でも、届かなかった。竜巻が全て、奪ってしまったんだ。……私のせいだ」
「ッ、アウール先生のせいじゃない……!!」

 リンクの反論に、アウールはわずかに驚いたように肩を震わせる。次いでどこか後悔が残る表情で、頭を下げた。

「……気を遣わせてしまったな。こんなことを話すべきじゃなかった。すまない、リンク」
「いや……」

 そんなことを言って欲しかったわけではない。だが、何も出来なかった自分に何かを言う資格はない。
 煩悶するリンクに優しげな笑みを送り、アウールは口火を切る。

「……リシャナは、必ず生きている」

 それは、圧倒されるほどに真っ直ぐな眼差しだった。
 ゼルダと同じ、彼女の生を全く疑っていない声音。“希望”を心の底から信じ、願っている。

「なんで……」

 なんで、信じられるのだろう。どの道も閉ざされて、光すら見えない状況なのに。
 どうしてこうも、決然とした光を宿して彼は前を向けるのだろう。

 リンクの言葉無き問いに、アウールは微笑む。次いで慈しみを込めた声音で、続けた。

「俺は、あいつの“味方”だから」
「──!」

 アウールのいつもと違う一人称に、胸を穿たれる。
 これが、本当の先生なんだ。リシャナの後見人であり続けた一人の大人。今も彼女の存在を信じ続けている、たった一人の“味方”。

 その姿を見て、リンクはやっとたどり着いた。

 ──もう、何も失いたくない。
 自分の大切な誰かも、誰かにとっての大切な人も、全て。
 強くなりたい。強く、ならなくちゃいけない。誰かを守れる人になりたい。

「先生」
「ん?」
「……将来の夢、見つけたんだ」

 ようやく、わかった。今さらすぎた。あまりにも、遅すぎた。

 でも、それでも自分は、

「──騎士に、なりたい」

 長い、迷いの果てに見つけた答え。たどり着いたのは、高尚なものでも前向きなものでもなくて。
 それは失った過去に怯える弱い自分を守るための嘘なのかもしれない。それでも、今はただそうありたいと、強く強く願う。

「……リンクならなれるよ。大切な誰かを、助けられる騎士に」

 空色の眼差しを受け取り、アウールは柔らかく微笑んだ。



 数年後。
 リンクたちの鳥乗りの儀は突き抜ける青空の下で執り行われた。

 リシャナは未だ、見つかっていない。そして、

「リンク──!!」
「ッ──ゼルダ!!」

 あの竜巻は、再びスカイロフトの空に出現した。数年前と同じ、青い空を暗闇に染め、全てを食い潰そうとする風の怪物。
 それはリンクを弾き飛ばし、ゼルダを雲の下へと引き摺り落とした。

 白銀の剣の精霊に導かれ、リンクは大地へと降り立った。そしてあの竜巻を起こした張本人と出会い、空から落とされた同級生と再会した。

 ゼルダを助けるには、『勇者』としての『運命』を受け入れ、女神の示した道を歩むしかない。

 今度こそ、誰かの助けになりたい。もう、誰も悲しませたくない。
 それが出来るのであれば、『勇者』でも何にでもなってやる。女神が示す『運命』へ、いくらだって服従してやる。

 
 たとえそれが、騎士になるという夢を捨てることを意味するとしても。


 *

 *

 *


「────」

 森だ。大地、フィローネの森。
 どこか遠くを旅していた意識がようやく戻ってきた感覚だった。リンクは地面に寝そべったまま四方に広がる曇り空を眺めていた。
 今の今まで見ていたのが自分の過去の回想だったことに気づき、長く長く息を吐き出す。
 
 “精神の試練”と称し、突きつけられた過去。たしかにその記憶は、全ての始まりと言えたのかもしれない。
 自分という人間の記録をまざまざと見せつけられた、そんな奇妙な感覚だった、

「──おい、リンク!!」
「……!」

 鋭い声音で名前を呼ばれ、むくりと上体を起こす。見ると、バドが大股でこちらへ近づいて来ていた。
 バドは数日前に空から大地へとやってきた。ゼルダを追い、雲海に空いた穴をくぐって降りて来たらしい。
 肩で息をしているバドは立ち上がったリンクをキッと睨みつける。

「おめぇ……鳥ナシのこと、知ってやがったな!?」
「────」

 会話から察する。バドはどこかでリシャナと会ったのだろう。
 ラネール砂漠で戦った後、彼女はギラヒムに連れられどこかへ消えたが、どうやら今はフィローネの森にいるらしい。ギラヒムに連れられて来たのか、もしくはこの辺りに拠点があるのか。

「どういうことなのか、説明しろ!!」

 黙ったまま何も言わないリンクに苛立ちを募らせたのか、バドに無理やり胸倉を掴まれる。
 間近に迫った同級生の怒りの形相に、奥底の自分が首を傾げた。

 ──バドは、何に怒っているのだろう。

 だって、

「……どういうことも、何もないよ」
「あ!?」
「『運命』には、従わないといけないんだ」

 返された言葉に、今度はバドが目を丸くする。言われていることの意味がわからないのだろう。
 驚きと共に緩んだバドの手からするりと逃げ出し、リンクは乱れた服を整えながら静かに続ける。

「全部、女神様が決めた。『勇者』の役割のことも、この世界の未来も……『半端者』の末路も」
「は……?」
「『運命』に従っていれば、みんな幸せになれる。ゼルダもきっと、助けられるはずなんだ」

 大きく見開かれたバドの目の中に、自分の姿が映る。その表情はひどく無感情で、自分のことなのに得体の知れない何かが潜んでいるような気もして、

「おめぇ、何言ってやがんだ……!?」

 リンクは薄く微笑むだけで答えない。緩く首を振り、もう一度だけ同級生の顔を見つめて、

「だからバド。全部、任せてほしい。必ず何とかするから」
「……!!」

 バドは立ち去るリンクを何も言えず見送り、地面へ片足を叩きつける。
 リンクの背に眠る白銀の剣は、主を見守るかのように沈黙を保ち、ただそばにいた。

 日が落ち、森の奥へと進むリンクの足元に伸びる影が濃くなる。
 黒く黒く、深い穴の底のように淀み、それはリンクの足元にじっと潜む。そして赤い瞳がその後ろ姿を見つめて、やがて、


 ──“影”が、生まれた。




お話の中で出てきたエピソードは↓にて詳しく語ってます。こちらも合わせて読んでいただけましたら、他のキャラの思っていたことがよりわかる、かも?
HD発売カウントダウンSS-アウール/メモリーオブ騎士学校 vol.1/メモリーオブ騎士学校vol.2/過去編