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メモリーオブ騎士学校vol.1



*会話文多め
kobakoの内容をまとめたもの+αです。


▼天国と地獄

「ねーせんせい」
「何だ」
「この本でさ、スカイロフトが『楽園』とか『天国』とか言われてるのって、女神様がいるから?」
「……珍しいな、お前がそんなことに興味を持つなんて」
「なんていうか……自分の住んでる場所がそんなふうに言われてるの、変な感じがしたから」
「まあ、そうだろうな。その本がそんな表記をしているのはお前の言う通り女神様がいるからだよ。正確に言えば、女神様が登場する神話を考察して書かれた文章だからと言うべきかな」
「ふぅん……。……ねぇせんせい、もう一個質問」
「ん?」
「『天国』がスカイロフトを指すならさ、」
「ああ」
「──『地獄』はどこにあるの?」
「────」
「天国が空にあるなら……もしかして大地にあるのかな。……んー、やっぱりどこにも書いてない」
「──そう、だな。大地のことは、それこそ神話上の名前しか存在が伝わっていないからな。お前の予想通りかもしれないし、そうでないかもしれない」
「そっかー。……予想通りじゃなかったら、例えばどこにあるんだろ」
「さあな。私も考えたことがないな。……むしろ、お前がそこまで興味を持ったことに驚いているくらいだよ」
「……ん、言われてみれば何でだろ。何故かすごく気になった」
「……そう、か」
「意外な場所……だとしたら、実は地獄もスカイロフトにあったりするのかな」
「……恐ろしいこと考えるな、お前。あと先に言っておくが、次また夜の脱走をしたら掃除当番の回数、倍にするからな」
「む……せんせい、わたしの顔から余計な情報まで読み取りすぎ」
「絶対探しに出るつもりだっただろう。あとは日頃の行いの問題だ」


▼模擬戦のご褒美

 ──今日の模擬戦。
 成績最優秀の生徒はゼルダちゃんが焼いたクッキーを食べる権利が与えられるらしい。

「おうおうおう鳥ナシィ!」
「うげ、バド」
「相変わらず露骨に嫌な顔しやがる……けど今日はんなことどうでもいい。ちょっと耳貸せ」
「何なの……」
「今日の模擬戦、オレ様に勝ちを譲れ」
「は、なんで?」
「ゼルダのクッキーのために決まってんだろ? もちろんただでとは言わねえよ。掃除当番三回交代でどうだ」
「どーせわたしと代わった後ラスとオストに割り振るんでしょそれ」
「うるせぇ! そっから先はおめぇには関係ねぇよ! 乗るか乗らないか、そんだけ答えろ!」
「ふぅ…………見くびらないでよ、バド」
「!?」
「わたしはそんなことで買収される人間じゃない。わたしにだって、意地があるから。……何より、」
「鳥ナシ……お前、」
「──わたしだって、可愛い女の子が作ったクッキー、めちゃくちゃ食べてみたい」
「は」
「クッキーの香りになんかプラスでいい匂いしそうだし、味も五割増しくらいで絶対美味しいと思う。あときっとゼルダちゃんから手渡しでもらえるし。不埒な輩にその権利を渡すくらいならわたしは死ぬ気で剣を振るう。それはもう全身全霊で」
「真顔でそれっぽいこと言ってっけどお前今のとこオレ様より不埒だかんなッ!!」
「ていうわけでいつも以上にどんな手段使っても勝たせていただくのでそのつもりで」
「やっぱりお前とは早いとこ決着つけなきゃならねぇらしいな鳥ナシッ!! ゼルダのためにも!!」

 結局優勝は当然のごとくリンク君なのでした。


▼ガールズトーク

「……食べたかったな、ゼルダちゃんのクッキー」
「そこまで落ち込まなくても、リシャナにならいつでも作ってあげるわよ。……ねえ、それより、」
「ん?」
「──リシャナの好きなタイプってどんな人なの?」
「え、ゼルダちゃん、どうしたのいきなり」
「だって、いつもわたしばっかり聞かれてるもの。だからリシャナにもお返し」
「ええ……好きなタイプ……なんだろ……」
「やっぱりアウール先生みたいな大人の人?」
「せんせいは好みとは違うかな、保護者だし。んーー……」
「…………」
「──安心できる人、かなぁ」
「安心……一緒にいて落ち着くってこと?」
「うん、そだね。根無し草みたいに生きてるわたしでも、この人のいるところならいつだって帰りたいって……そう思える人、かな」
「────」
「と、思ってみたりしたんだけど、変……?」
「……ううん、素敵だと思う。リシャナに好きな人が出来たら、すっごく応援するわ! どんな人でも!」
「悪い人に捕まったら止めてほしい気もするけど……でもゼルダちゃんが応援してくれるならわたしもすっごく頑張る。可愛い女の子の応援がもらえるならいくらでも頑張っちゃう」


▼無意識に泣かせてるタイプ

「せんせいって学生時代モテたの?」
「お前……また唐突に訳のわからないことを聞いてくるな」
「ふと気になっちゃって。リンク君がクラスで日々モテてるの見たらせんせいにもそんな頃があったんじゃないかなって気がして」
「……自分では考えたことも無いから知らないな。興味も無かった」
「えー、ほんとに? 絶対三人くらい女の子泣かせてると思ったのに」
「お前の発想はどこから出てくるんだ……」
「……泣かせた女の子の存在、ホーネル先生に聞いたら教えてくれるかな」
「…………それを聞いたら二度と朝起こしてやらないからな」
「!! それはだめ!! でもやっぱりせんせい、女の子泣かしたことあるでしょ!?」
「何故そうなる!?」


▼クラネ先輩とキコア先輩

「やあ、リシャナ君じゃないか!!」
「っ……き、キコア先輩……に、クラネ先輩。こんにちは」
「今すっごくびっくりしたでしょ、リシャナ。また脱走計画でも練ってたんじゃない?」
「そ、そんなこと無いですよ? 授業終わったので、大人しく帰ろうとしてたとこです。クラネ先輩たちこそ、そんなに大荷物でどうしたんですか?」
「明日の卒業式の準備よ。先生に頼まれてね」
「卒業式……って、明日だったんですね。何か手伝いましょうか?」
「ううん、この荷物運んだら終わるから大丈夫よ。……と言っても、キコアくんが手伝ってくれたからなんだけどね」
「クラネさんの力になれるなら、お安い御用さ!」
「キコアくん……」
「…………ほーーーん」
「な、なんだい、リシャナ君、何かふしだらな想像をしていないか……!?」
「いえ全く。キコア先輩がしてるような想像は微塵も。……ゼルダちゃんに報告しとこうかなとだけ」
「ど、どういうことだい!!?」


▼ある意味危険人物

「まあ夜の脱走はするんですけど……よいしょ……はい、着地」
「うわ、誰だっ!?」
「ひっ!!?」
「え……リシャナ?」
「な、なんだ、リンク君か……びっくりした……」
「こっちこそびっくりしたよ、いきなり上から人が飛び降りてくるなんて」
「ごめん、この時間ここ通る人いないから完全に油断してた。……でもなんで、リンク君がこんなとこにいるの?」
「見回り当番の手伝いだよ。明日卒業式の先輩たちが準備で忙しくて人手が足りないみたいでさ。……もしかしてリシャナは、例の脱走の真っ最中?」
「なんでわたしが脱走常習犯ってこと、みんなに知られてるんだろ。……真っ最中と言えば、真っ最中だねぇ」
「そ、そうなのか。怖くないのか? 魔物もいるのに」
「日差しやロフトバードに比べたら全然怖くないかな。強いて言うなら、怖いのはバレた時に真顔で怒るせんせいくらい」
「アウール先生が怒るところって、やっぱり想像つかないんだよな。バドたちにも怒るっていうか諭すってかんじだし」
「そうそう、それでも正論で諭されるから反抗は出来ないんだけど。 ていうか……見回りの手伝いってことは、わたし今リンク君に怒られる立場ってこと?」
「そういうことになるかな。……怒っておく?」
「え! い、いや、えっと……ま、またの機会に……」
「はは、冗談。あくまで手伝いってだけだし、衛兵の人たちには言わないでおくよ。リシャナが万が一怪我して帰ってきたら、その時は怒っておく」
「う、うん、ありがとう。…………たしかに、これはモテるな」
「?」


▼脱走なう

 そんな一悶着があったけれど、わたしは無事夜のスカイロフトへと足を踏み出した。

 息を潜めて寄宿舎からなるべく離れ、周りに細心の注意を払いながら家々が立ち並ぶ通りを抜ける。
 そうして数分足を動かし続け人気のない島の裏手側までたどり着けば、ようやく安堵の吐息がこぼれ落ちた。

「……ふう」

 腕を伸ばして大きく深呼吸をすると、濡れた草の匂いが鼻孔をくすぐり心地よい解放感が身を包む。
 やっぱり、夜の方が肺に入る空気が美味しく感じる。日差しで温められた空気の匂いが好きだと言う人も多いけれど、わたしは夜の澄んだ空気の方が好きだ。それに、目に映る景色も。

「よっ……」

 草を踏み分け自身の体より一回り大きな岩を乗り越えれば、スカイロフトの景色を一望出来るちょっとした高台に出る。
 わたしはそこに腰掛け、眼下に広がる夜の風景を見渡した。

 まず目に入るのはスカイロフトを見守る女神像。……あれは別に、見えなくてもいい。
 そのまま視線を下ろせば安らかな静寂が纏う夜の街。淡い灯火のような家の明かりは、少しだけ胸の奥がきゅっとなるけどすごく綺麗だ。

 そして、天を仰げばすぐそこに広がる満天の星空。視界にそれだけを映せば、翼を持たないわたしでも空を飛んでいるような気になれる。

 わたしにも優しい安寧が与えられて、わたしにも澄んだ空気が与えられて、わたしにも広い空が与えられる。

 ──朝が来るまで、あたたかな闇に満たされたこの世界はわたしの庭だった。


「……ん?」

 しばらく空を見上げ続け凝ってしまった肩を揉んでいたその時、視界の端に何かが映り込んだ。わたしが座る岩の陰、両手で抱えられる大きさの何かの塊が落ちている。
 暗がりに転がるそれの正体は遠目で見るだけでは掴むことが出来ず、わたしは深く考えずそこに近づく。そうして目を凝らしてその姿を見つめ、

「……あ」

 ──それが魔物の死体であると、ようやく気が付いた。


▼たどる行く末

「……しんじゃってる」

 そこにあったのは液体のような固体のような、ゼリー状の塊。たしか以前読んだ本に名前が載っていた『チュチュ』という魔物の亡骸だ。
 生体を何度か目にしたことはあるが、それに比べると見て取れるほどに表面が固まっており岩の一部のようにも見える。

 目立つ傷はない。……おそらく寿命だろう。
 スカイロフトに大きな魔物がいないのはほとんどが短命だからだと聞いたことがある。この子もきっと例外ではないのだろう。

「────」

 わたしはその場にしゃがみ込み、じっと黙祷をする。やがて息をこぼし、この子を埋めるための地面を探した。

 こんなところまで衛兵がやって来る可能性は限りなく低い。が、わたしはどうしても魔物の死体を彼らに見つけられたくなかった。
 ──彼らに見つかったなら、その死体は“どこか”へ持って行かれてしまうからだ。

「……ここでいいかな」

 数メートル離れた場所に柔らかな地面を見つけ、一つ呟く。次いでわたしは途中で拾った太めの木の枝で土を掘り返し始める。

「…………」

 湿った土の匂いを嗅ぎながらわたしの脳裏に浮かぶのは、過去に見た魔物たちの亡骸を運ぶ衛兵たちの姿だった。

 スカイロフトに現れ、衛兵に駆除された後の魔物たち。当然、その死体は放っておけば他の生き物たちと同じく腐り果てていく。
 故に衛兵たちは切り裂いた亡骸を一度は兵舎へ持ち帰り、部分的に素材として活用するらしい。

 だが使用された体の残り、もしくは素材として使えなかった亡骸。それらの行方は、衛兵たちしか知らない。
 わたしが今しているように土に還しているならまだいい。しかしわたしは見たことがある。

 ──魔物の亡骸を埋めるわけでも捨てるわけでもなく、女神像のもとへと運ぶ人間の姿を、見たことがある。

「────」

 その時の光景が脳裏に過ぎり、小さく顔をしかめる。
 女神像に近づくことが出来ないわたしには、そこで衛兵たちが魔物の亡骸をどうしているのか知る術がない。
 たまたまそこに埋めに行っただけなのかもしれないし、見間違いだった可能性すらある。……けれどそれ以来、わたしがこうして魔物の死体を見つけた時はすぐさま土に埋めるようにしている。

「……おやすみなさい」

 掘った穴に固くなった亡骸を埋めて、誰の耳にも届かない言葉を紡ぐ。この子の魂が、せめて『天国』に行けるよう祈りながら。

 穏やかに吹いた風はわたしの前髪を緩く撫でる。夜はもうじき、朝焼けに飲み込まれていく。


 ──明日は、卒業式だ。


▼卒業式

「──古の時代。この学校の前身となった騎士団では、次のように騎士の在り方を述べていた」
「『騎士は公正で寛容、深い忠誠を尽くしいかなる時も武勇優れたる者であれ』──と」
「無論、これは大きな争いのない今の世においても必要な在り方だと言えるだろう」
「今日をもって騎士学校を卒業する諸君。向かう先で剣を手にする者もそうでない者も、その心に曇り無き鋼と折れぬ翼を持ったまま未来へと歩んでいってほしい」

「──卒業、おめでとう」

 *

「あ、リンク君」
「……リシャナ?」
「どしたのこんなところで。さっきまで卒業生と話してなかったっけ?」
「ああ、ちょっと疲れたからここで休憩してたんだ。そっちは?」
「わたしは卒業生に知り合いいないし、やることもないから散歩してた」
「そうなのか」
「……元気ないね」
「ん……そういう訳じゃないけど。……やっぱりいろいろ考えちゃうよな、卒業する先輩を見てると」
「あー、わかるかも。……リンク君は騎士学校を卒業したら、騎士になるの?」
「んー、まだ決めてないな。それも良いと思うし、アウール先生みたいに騎士学校で後輩に剣技や鳥乗り教えるのも楽しいと思うしな」
「たしかにリンク君なら向いてるかもね。生徒からすっごく懐かれそう」
「はは……ゼルダにはこの間、寝坊癖が治らないと無理だって言われたけどな」
「リンク君には厳しいんだねぇゼルダちゃん。微笑まし」
「どっちにしろ、まだ実感なんて湧かないよな。未来のことなんてさ。……そんなに遠くない話なのにな」
「──そだね」

「あ、リンク君、向こうでゼルダちゃんが呼んでる」
「ん……本当だ。リシャナも来るか?」
「わたしは人混み苦手だからもうちょいここいる。行って来なよ、リンク君」
「ああ、またあとでな」
「うん、あとで」


「────」

「──わたしは、」

「騎士学校を出たら、どこに行くんだろうね」


▼仲良いわけではない

「おっとォ鳥ナシじゃねぇか!! 相変わらずのシケた目してやが……ん……な、」
「…………バド」
「ん、んだよ、マジでシケた目ぇしてんじゃねぇかよ。張り合いねぇな」
「うん……今日はいつもみたいなテンションだけでどうにかする張り合い方は出来ないや、ごめんね」
「そもそもテンションだけでどうにかしてたのかよ今まで……!」
「……そだね」
「そだねじゃねぇ……よ……」
「…………」
「……あ、あー、その、なんだ」
「……?」
「どーせそのシケた目じゃ人も寄ってこねぇだろうし? つかお前そもそも友達いねぇだろうし? 器のでかいバド様が話聞いてやらねぇこともねぇぞ?」
「────」
「な、なんだよ、そこまで驚かなくていいだろうがよ」
「……友達いないは否定出来ないからだいぶ余計」
「うっせぇな!! それはオレ様には関係ねぇっての!!」
「……でも、」
「あ!?」
「せっかくだから、今日だけはそのバド様のおっきな器にあやかろうかな」
「てめぇ、やっぱり半分馬鹿にしてんだろ!!」
「してないしてない」


▼ホーネル先生

「あ……ホーネル先生」
「リシャナ? ……空を眺めてたのか?」
「うん。本当は外出たかったけど……卒業式で人が多いし、今日は学校の中で大人しくしてよって思って」
「それがいいな。……あんまり脱走ばかりしていると、またアウールに怒られるぞ?」
「わかってまーす。しばらくはしないつもり」
「はは、そうしておきな」
「…………ねえ、ホーネル先生」
「ん?」
「いつもわたしが勝手に外に出るから鳥に襲われてるだけなのに、なんでせんせいは愛想尽かさないんだろうね」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか?」
「気にするよ。……迷惑ばっかかけてるし」
「あいつはそうは思っていないよ。……むしろ、お前を自由にさせてやれないことを悔やんでる」
「わたしに鳥がいないのも襲われるのも、せんせいのせいじゃないのに」
「ああそうさ。──それにお前のせいでもない」
「────」
「だから、誰も悪くないんだよ。……二人とも、気にしすぎだ」
「……うん」


▼未来の在り方

「──見つけた」
「……せんせい」
「式の途中から姿が見えなくなったと思えば……。……一応、在校生にはまだ解散の指示は出していないぞ。校内にいるとは言え、せめて指示が通る場所にはいておけ」
「ごめんなさい。人混み、ギブアップだった」
「まったく……。……しばらく休めば、立てそうか?」
「……いてくれるの?」
「五分だけだぞ」
「……ありがと、せんせい」

「──せんせいが卒業した時って、騎士学校の先生になることは決まってたんだっけ?」
「……ああ、決まっていたな。運良く、今の校長が声をかけてくれたんだ」
「そっか。……たしかにせんせいのことだし、成績優秀でいろんな人に目つけられてそう」
「聞こえの悪い言い方をするな。……声をかけてもらえたのは、本当にたまたまだよ。あの頃の私は、ロフトバードの扱いもまだまだ半人前だったからな」
「……それは意外かも」
「騎士学校を卒業したと言っても、鳥乗りや剣技……もちろん人間としてもまだまだ未熟なところばかりさ。誰であっても、な」
「……うん」
「だから──卒業は終わりじゃないんだ」
「────、」
「お前もいつか、ここを卒業する時が来る。だがそうだとしても、お前が帰りたいと思った時はいつでも帰って来ればいい。生徒としてでなく、ここで育った者として」
「…………」
「ここに帰ってきたとして、もしまた脱走をしでかすなら、当然その時は今と同じように叱るがな」
「…………せんせい、」
「ん?」
「…………ずるい」
「……俺はお前の教師で、後見人だからな」
「…………そう、だね」


▼資料室

 たまたま気が向いて、その本を手に取っただけのはずだった。

「──魔族」

 誰もいない資料室に一つ声が落ちる。
 わたしの手にある本には、長い爪を持ち凡そ人と違う禍々しい姿をした生き物の絵が載っていた。

 姿形は様々。鋭い牙や爪を持ち、人を食う種族も多く、そのほとんどが暗闇を好む。
 群れを持つ種族、個体で生きる者。寿命や生き方はそれぞれだが、彼らは皆その根底を一族の王──魔王に帰依させているという。
 魔王の存在は伝承で語り継がれ、女神同様、実在したか否かは定かでない。だがいずれにせよ、魔族を統べる上位の者が存在していた可能性は高いと言えるだろう──。

「…………」

 民俗学者の注釈を流し読みし、わたしはふと思った。

 雲の下の世界がもし実在していたとして。この本に書いてある通り、亜人や人間の一族が存在していたとして。
 ──それらにはほぼ必ず、長と呼ぶべき存在がいる。
 社会を築くために、あるいは統率を取るために必要な上位の存在。この本にも書いてある通り、魔族も例外ではないはずだ。

 それならば魔族にも、長がいるのだろうか。

 魔王が長だという見方もあるかもしれない。実在するなら、の話だが。
 一方で魔族の存在は物語上の話ではない。空にも小さな魔物は住み着いているし、この本にも一部の魔物については事細かに記されている。……そして、それ以前に。

「────」

 魔族に、長がいるとするならば。

 本来、わたしが従うべきは──。

「…………やめよ」

 震える唇でそれだけを呟き、思考を断ち切った。
 それでも胸のどこか奥深いところで何かに引き寄せられる感覚を覚えて、わたしは瞼を伏せる。
 目に見えない自身の奥底、そこに自分も知らない感情が存在を疼かせている気がして。


『────』


 誰かの声が、優しくわたしを呼んだ気がした。


 *

 *

 *


▼「XXXX」

「──あと、少し」

 小さく鳴動する紫紺の光を前に、無意識な呟きが落ちる。
 目先の地面に広がる陣は淡い光を放ち、一年間に渡り溜め続けた魔力が満ちてきたことを表していた。

 そこから視線を持ち上げれば、真上に位置する分厚い雲が目に映る。そしてその先に存在する──自身の手に落ちることが定められた命を見遣る。

「…………」

 この魔力が限界まで満ちた時。それを使い果たし、成し遂げる結果がここまでにかけた労力に見合うかどうかは定かでない。
 むしろ手にしたモノが強い反抗を見せたとすれば、飼い慣らすまでにさらなる手間がかかることだろう。

 ──だがそうであったとしても、これから為すべきことに変わりはない。

「……楽しみだね」

 この先の未来を奪われる、哀れな少女。
 せめてものの情けに、手にした命は尽きる最期の瞬間まで使い果たしてあげよう。

 意識せずとも唇は微かな期待に歪む。そこに滲む感情は、ある意味親愛と呼べたのかもしれない。
 その姿を脳裏に映し、刻むようにワタシは紡ぐ。


「──リシャナ」


 いずれ我が元へ帰る、その名前を。



さてさて本編と絡んだ内容をいくつ見つけられたでしょうか。

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