羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 味のよく分からないままに食事を終えて、ケーキはやっぱり全部食べきれなかったから明日にとっておいて、テレビの音をBGMに喋っていたら夜も更けて、あっという間に風呂まで済ませてしまった。なんならこっそり準備までしてしまった。いつどのタイミングでくる……!? とさっきから心臓はばくばく鳴りっぱなしだ。
「兎束さん、お風呂ありがとうございます」
「順番、ほんとに後でよかったの?」
 お風呂の順番後がいい、って言われたから俺が先に入ったけど、お客様なのに。
 可能な限り体を綺麗にしてから浴槽に浸かったからそんなに汚くはないはずだけど、髪の毛が浮いてたりしないかしっかりチェックしてから出たけど、やっぱりちょっと気になる。裸眼だったらたぶん何も見えないんだろうけどなー、三浦さんコンタクトしたまま風呂入るし……。
 三浦さんは既に髪の毛も粗方乾かしていて、ふわふわの毛束を目元にかからないようよけてから「後がよかったんですよ」と言った。
「ほら、おれってあんまり体温高くないでしょ」
「え? うん」
「お風呂出てすぐはあったかくても時間経つとどうしても指先の温度とか戻っちゃうし、そしたら――」
 兎束さんが冷たくてびっくりしちゃうかな、って。
 そんな言葉が終わるか終わらないかくらいで唇を塞がれた。舌が温かい。シャツの隙間から三浦さんの手が入り込んできて、脇腹からアバラにかけてを優しく撫でた。風呂に入ったばかりだからか温かく、肌に吸い付くようなしっとりとした感触の指先だった。
「っみ、うらさん」
「兎束さんのベッドって広いですか? 一緒に寝られる?」
「……三浦さん、細いから。くっついたら寝られるんじゃない……?」
 本当は、ちゃんと来客用の布団も用意したけど。でも、期待を込めてそう言った。そしたら三浦さんは俺の期待通り、「じゃあ……ぎゅってくっついて寝よっか」と甘く囁いて微笑んだ。

「一応予習っぽいことはしてきたんですけど、何か変なことしてたら教えてください」
 三浦さんはどんな風に恋人を抱くんだろうって思ってた。今その答えが目の前にあって、正直、緊張している。
 気恥ずかしさを承知で言うなら、常に体のどこかで三浦さんの体温を感じているというのは喜びに満ちた状態だった。彼は、まるで俺の体の輪郭を少しずつ確かめるみたいに指先を這わせた。長くて華奢な指が肌の上を丁寧に滑っていくのはそれだけで気持ちよくて、その上三浦さんが触ってくれているとなれば興奮もひとしおだ。
 それだけじゃない。三浦さんは、「兎束さんって筋肉の付き方も綺麗」「ね、気持ちいいですか?」「大好き」「兎束さんにも好きって言ってほしいです」なんて、俺に触れている間ずっと、俺と愛し合うための言葉を声にした。俺はたまらない気持ちになって、三浦さんにお願いされるままに「好き」と言った。何度でも。もちろん、お願いされなくたって言ってる。三浦さんを好きという気持ちが体の中で渦巻いて、「好き」という言葉で発散しないと次から次へと溢れてきそうだった。
「ん……三浦さん、ちゅー、しよ。したい」
 俺の口からこぼれた言葉を呑み込むようなキスをされる。舌が絡んで、ちゅ、と軽く吸われる。上顎を舌で撫でられて、その刺激にぞくぞくっと体が震えた。吐息まで呑み込まれてしまいそうでそのことが幸せで思わず泣きそうになる。
「兎束さん……きもちい?」
「っ、言わせないで、よ……っ」
「なんで? 恥ずかしいから?」
 どうにかこうにか頷くと、目元に唇が触れた。「かわいいね」やばい、顔が熱すぎる。言うのと言われるのとじゃ恥ずかしさも段違いだ。
「っ……みうらさん、は、大丈夫?」
「え? 何がですか?」
「あんまり好きじゃないって、言ってたし……」
 注意深く三浦さんの表情を観察する。嫌々触っている風でもないし、ディープキスも平気そう。でも、俺の希望的観測で平気そうに見えてるだけ、かも……?
「なに、セックス好きじゃないって言ったのそんな気にしてたんですか?」
「んん……それは、まあ、うん」
 三浦さんはちょっと眉を下げて、余計なこと言ってごめんね、と謝った。
「通ってた中学が割と放任っつーか奔放っつーか、そんな感じで……」
 キイチさんから聞いたのと大体同じような話が三浦さんの口から語られる。過激な女の子に迫られたこと。“そういう”行為の対象として見られて驚いたこと。服を脱がされそうになって怖かったこと。必死で逃げて、泣きながら帰って、キイチさんに心配されたこと。
 そして、誰かに性的に迫られるのはそれっきりでは終わらなかったということ。
「あ、流石にある程度歳いってからはそんなあからさまにキョヒったりはしてないですよ? 最低限こなしてたというか、迫られて引いちゃったら驚かれたりショック受けられたりみたいなこと割とあって……」
 たぶん例のごとくおれがまた思わせぶりな態度に見えてたんじゃないですかね、なんて、彼は冗談めかした声音で言った。セックスは第一印象が最悪だっただけだから今は大丈夫、とも。
「だからまあ、兎束さんは気にしないで……んっ」
 聞いていられなくなって口を塞いでしまった。本当は気付いてた。三浦さん、自分からするのはいいけどされるのはちょっと抵抗あるんじゃないかな。
 今日、玄関のところで初めて俺からキスしたときになんとなく分かってしまったのだ。ほんの少しだけ体が強張る感じ。ぬぐいきれないぎこちなさ。俺が抱かれる方選んだの、そりゃまあ俺自身の欲にまっしぐらな選択ではあったけど結果的に正解だったかも、って思った。
「ん……ぅ、兎束さん……?」
「……俺、自分で言うのもなんだけど、割と手先は器用なんだよね」
「え? はい」
 突然訳の分からないことを言いだしたように見えているだろう俺に対して小首を傾げている三浦さんを、ぎゅっと強く抱き締めた。肌の触れ合った部分からじわりと熱が移っていく。
「三浦さんが……自分からこういうことしたいって思えるように、気持ちよくて嬉しいことだって思えるように、俺も頑張るよ」
 抱かれる側を選んだけれど、それは全てを任せっぱなしにしたいという意味じゃない。俺だって三浦さんが気持ちよくなってるとこ見たい。十回に一回でいいから、プログラミングやギターで夜の時間を過ごすのも好きだけど、俺とこうして肌を合わせるのも悪くないな、って思ってほしい。
 ピアスホールをなぞるように耳たぶへと触れる。ほんの少しだけ肩が揺れて、腕を優しく掴まれた。気恥ずかしそうな視線が俺を貫く。
「あの……兎束さん? また微妙にすれ違ってる感あるんですけど、おれ別に無理して合わせてるとか嫌々セックスに付き合ってるとかじゃないですからね?」
「さ、流石にそこまでは思ってないよ?」
「近いことは思ってるでしょ。もう。勝手にネガんないで」
「えっ普通に怒られた……ごめん……」
 三浦さんはまた俺にキスをして、拗ねたような声をあげる。超至近距離で。
「兎束さんはもうちょっと、自分が特別だってこと自覚してほしいです」
「とくべつ……」
「そう。特別。おれが自分からキスしたいなって思うのもセックスしたいなって思うのも兎束さんだけですよ」
 とん、と三浦さんが五本の指を俺の胸の辺りに置いた。
 あ、どうしよう。さっきからずっと心臓ばくばくいってるのバレそう。
「三浦さん……は、俺が、……俺からキスされたりとか、ほんとに平気? 一瞬固まってるの分かるんだけど、大丈夫かなって。嫌なこと思い出したり、しない?」
 言葉に棘がなくなるように、出来る限り柔らかい声を意識して尋ねてみた。すると三浦さんは驚いたような顔をして、気まずそうに俺から視線を逸らす。
「それは……だって、緊張するから」
 答えが予想外すぎて「はい?」と場違いな相槌を打ってしまった。
「え、何その反応……言ったじゃないすか、おれそんな経験豊富じゃないんですよ。好きな人にキスしてもらうの普通に緊張するの。自分からするならタイミング計れるけど。あとはまあ、あんまりがっつくとカッコ悪いでしょ」
 え!? 昔のトラウマどうこうじゃなくてまさかの緊張してただけ!?
 ……俺また考えすぎで空回ってただけ!? なんか色々壮大なこと言っちゃった気がするんだけど!
 恥ずかしくて穴があったら入りたいくらい顔が熱かったのだが、三浦さんはそんな俺の頬を両手で挟んでむにむにと揉んでくる。楽しそうに。
「正直さっきから興奮治まんなくて変な感じなんですよね。今もさー……こんな、ほっぺたもちもちしてるのかわいいなーとか思ってるのに、抱く気が萎えないのが驚き。だってこれ性的興奮からかけ離れた光景じゃないですか。そのうち全然関係ない場面でその気になっちゃいそうで怖いんですけど。もしかして好きな人が相手ならこれが普通なの?」
 普通なの? と疑問形で言ったくせに、三浦さんは俺に答える暇も与えずまた唇を合わせてきた。舌で舌を擦って、舐めて、吸って、丹念に俺の咥内を探った。痺れるくらい、気持ちいい。
「ん、ふ、……んむ」
「キスだって、口が疲れるからそんなに好きじゃなかったんですよ、元々」
「っふ、はは、なにそれ……口が疲れるって。三浦さんらしい」
 キスしすぎて唇ぽってりしてきちゃったよ。三浦さんがこんな風になるのは俺の前でだけなんだって思うとどうしようもない優越感が湧き上がってくる。俺もしかして、ただ三浦さんとエッチするのを楽しみにしてればよかったってこと?
「三浦さんって……俺のこと大好きだよね」
「そうだってもう何度も言ってるじゃないですか」
「好きな人から言ってもらう『大好き』は何度聞いても嬉しい」
「じゃあ、今日もいっぱい言いますよ」
 だから兎束さんもいっぱい好きって言ってね、と。
 甘えるような声が愛しくて、俺は衝動のままに「好きだよ」と言って彼の鼻の頭にキスを落とした。

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