羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「ひゅー、オーディエンス近っ! MC誰やる!?」
「キイチでしょ」
「キイチよろしく」
「やっちゃえキイチ」
「イエーイ! 今日はぁ、オレらが……主にアキラが! お世話になりまくったミナトくんのためにバンド復活してまーす! 超夢あるねー、キミのためだけみたいなっ」
 一週間後、都内某スタジオにて。
 集合場所として教えられたそのスタジオには一人で行った。三浦さんたちは先に現地入りして最後のリハをするらしかったから。俺は夕方、そこそこ日も傾いた頃の現着だ。
 そのせいなのかは分からないけれど、俺が着いた時点でかなり熱い空気が出来上がってて、俺は初めて足を踏み入れる音楽スタジオの目新しさや体の奥に響くような音の振動に圧倒されていた。申し訳程度に用意されたパイプ椅子に座ってぱちぱちと拍手をしてみる。
 前情報で担当の楽器は知識として持ってたけど、こうして生で見てみるとやっぱりみんなさまになってる。音楽素人の俺にもぱっと目を惹く華やかさがあるのが分かるし、かっこいい。
 キイチさんは、ギター。スリムな赤いボディが綺麗だ。タキさんは、ドラム。叩く場所が多すぎて目が回りそう。今日初めましての――確か、三浦さんに『イノ』って呼ばれてた人は、ベース。大変申し訳ないことに、ぱっと見ギターと区別がつかない。えーと、確か弦の本数が違って、リズムをとるための楽器なんだっけ。ちょっと調べた。
 そして、三浦さんはというと。ギターと、その横に――キーボード?
「え、三浦さんキーボードも弾くの!?」
「うおっ、アキラ言ってなかったのかよ」
「うん。黙ってたら面白いかと思って……兎束さん、おれ実は楽器の方のキーボードの扱いもそこそこ上手いんですよ。びっくりした?」
「びっ……くりした……」
 そっか、小さい頃から音楽仕込まれたって言ってたっけ。これもしかしたらキーボード以外にもまだ弾ける楽器隠してる可能性あるな……。
「キイチぃ、見事にグダってる。お前MC下手になってね?」
「うるせえぞベース! 仲間外れずる〜いっつってきゃんきゃん言ってたくせに!」
「そりゃ言うだろなんでオレだけ省いてんだよ! っつーかタキ、ドラムあんま走んなよな」
「お前が遅いんじゃないか?」
「遅くねえわ!」
「あーもーこれじゃ一生始まんねえから! お前ら始めるぞー、始めちゃうからなー」
 本当に昔からの親しい仲なんだろうな、とその気安い掛け合いに和んでいたのも束の間、空気がぴりっとした緊張感を含んだものへと変わる。お互いに目配せして、きっと俺には分からない合図もあって、キイチさんが強く音を鳴らしたところから――それは始まる。
 三浦さんが、『――おれの歌、生で聴くともっとすごいよ』と言っていたのは誇張でもなんでもなかった。本当にすごかった。人間の声ってこんなに響くんだ……って思ってしまった。そりゃプロには同じくらい上手い人もいるんだろうけど、こんなに間近で、おまけに好きな人が歌っているとなるともう至高と言って差し支えないだろう。甘くて、柔らかくて、けれどハリのある声。俺が一番好きな声だ、って自信を持って言える。
 そもそも、楽器の音からして違う。音は空気の振動だって言うけど、劇的に実感できた。空気が震えてるのが肌で分かるんだよ。こんなに近いと音が大きすぎて耳が痛くなっちゃうかなってほんの少しだけ心配してたんだけど大丈夫そう。これがいわゆる音圧ってやつ? びりびりする。
 生演奏聴いたの、大学のときに行ったライブ以来かも。他の観客のざわめきみたいなものがない分、熱狂して騒ぐ感じじゃなくて自分の中だけで大切に消化できる感じ。
 一曲目は三浦さんが投稿してる中でも古い部類の、確か再生数が一番多かったやつ。あ、もしかして俺が知ってる曲をメインに構成してくれてるのかな、ってなんとなく察する。だってこのメンバーでだったら、それこそ高校大学時代に作ってる曲だってあるはずなのに。そっちの方が演奏も慣れてるはずなのに。そういうところきっちり配慮してくれるんだなぁ、って有難く思う。
 というか三浦さんキーボードも上手いな……これは確かに小さい頃から習ってる人だよ。
 予想通り二曲目も俺の知っている曲で、三浦さんのアカウントを教えてもらってから『特にこれとか好き。あとこっちも。他にもね……』って感想を伝えたやつの内のひとつだった。覚えててくれたのか。
 彼は本当に、俺との時間を大切にしてくれていたのだ。
 こんな些細なことまで覚えていてくれて、俺の“好き”を大切にしてくれて。
 きっと受け取り損ねた好意がたくさんある。俺が気付けなくて取りこぼしてしまったもの。三浦さんは最初から、行動も言葉も惜しみなく尽くしてくれる人だったのに。
 演奏に聴き入りながら、これまでのことが次々記憶の底から湧き出してくる。色々あったな。たくさん悩んだし、マイナス思考で疲弊したこともあった。でも今俺は、こんなにも幸せだって思ってる。
 ――三浦さんが、キーボードからギターに楽器を持ち替えた。
 これが最後の曲だ。新曲って言ってた。
 曲の入りはこれまでのよりずっと静かで、どきどきしながら聞いているとある一点で急に音圧が上がる。最新の投稿曲は聴いたときに珍しい雰囲気だなって感じたけど、これは一転かなり“らしい”というか……彼の作った曲だというのがすぐに分かるような曲調だ。サビの音運びがかなり素直な感じでキャッチー。勘のいい人なら一回、普通の人でも数回聴けばサビだけなら口ずさめるんじゃないかな、って思う。
 なんだろう、こう、すごく三浦さんっぽいのだ。三浦さんの作る曲っぽいというか、三浦さん自身っぽい曲。素直でとっつきやすくて、すぐに親しめるような――きっとこの曲を歌うのは楽しいだろうな、この曲が傍にあると気分が上がるだろうな、って思わせてくれる曲。それでいて所々意外性もあるというか、くるくる表情が変わる。聴いてて飽きない。
 ああ、そうだ。俺は三浦さんのこういうところを好きになったんだ。
 この曲には三浦さんのいいところがたくさん詰まってて、だからこんなに魅力的なんだ。
 じわじわと、温かいものが込み上げてくる。
 ねえ三浦さん。もしかして俺、ちょっとは期待してもいいのかな。この曲、俺のために作ってくれたのかも、って。
 最後に繰り返されるサビを聴きながら、俺はじっと三浦さんのことを見つめる。まるで最初からそうなる予定だったみたいに目が合って、こちらに向かって笑う三浦さんが本当に楽しそうに歌っていたから――俺もつい、笑顔になるのを止められなかった。

「っはー! やば! 本番が一番よくね!? 我ながら!」
 演奏が終わって。絶対に順番が逆なんだけど、今更自己紹介をしてもらった。なんだろ、ライブとかでさ、MCがバンドメンバーを順番に紹介していって、短いフレーズだけ弾いてもらうみたいなのあるじゃん。あれあれ。
「まずはー……我らが作詞作曲とギターボーカル時々キーボード! でも今更こいつ紹介する必要ある? アキラでーす!」
「三浦明楽でーす。いえーい」
「ゆるいなぁ。本名フルネームだと新入社員の紹介してるみたいなんだけど! えーっと次はぁ、ドラムのタキ! 黙って延々練習してるタイプ! 硬派だね〜!」
「滝征士郎です。どうぞよろしく」
「そんでー、ベースのイノ! いのりちゃんって呼ぶと怒るから気を付けて!  ベースだけど速弾きが得意! 合わせやすいから助かるわー」
「唯島伊則。『いのり』のイントネーションはカボチャじゃなくてパセリだから!」
「聞いての通りの庶民派! はい、最後はオレね!」
「待って待って、お前の紹介はおれがしたげる。キイチはねー、こんなんだけどバンメンの中で一番勉強できるし面倒な事務手続きとか全部やってくれてんのもこいつ。いつもありがとね!」
「何急に! 照れる! 佐渡希一っていいまーす。意外性で攻める男だよオレは!」
 どうしよう、こういうのすごく青春っぽいな……! さっきまでとは別の意味で気持ちが高揚する。俺もそりゃ、部活やってた頃はこういうこともあったけど。彼ら四人の空気に触れると、まるで自分まであの頃に戻ったような感覚になる。
「あの……兎束湊です。今日はなんか、俺が我儘言っちゃって……でもあの、めちゃくちゃすごくて! びっくりした! 我儘言ってよかったなって思った!」
「いいわー年下、きゅんときちゃうわー」
「これまでアキラが連れてきた中で一番レベル高いじゃん。っつーか一番マトモそう。やっぱヤバイ女よりはマトモな男だよな」
「こらっ! アキラの元カノが大体全員ヤバかった話はやめなさい!」
「いやお前が全部言ってる……」
「アキラのことは最終的にキイチがどうにかすりゃいいだろと思ってたけど、お役御免になりそうでよかったじゃん」
「えっお前そんなこと思ってたの!? 裏切りじゃん! 死ぬときは一緒だよって言ったじゃん!」
「言ってねえわ。オレは生きます」
 待って、もしかしてもしかしなくても三浦さんこの人たちに余すところなく事情話してる!? 恥ずかしいんだけど!
 でも三浦さんの昔からの友達に隠し通せる気もしないし、逆に堂々としてていいんだって思えば……うーん……アリなのか? 受け入れ態勢が完璧すぎる。抵抗されなすぎて俺まで感覚麻痺しそうだ。
「っつーかアキラ、最後に演った曲まだどこにも出してないやつだよな? これめっちゃいいじゃーん、投稿しねえの? まあかなりやりたい放題だったけど」
「あ、分かる。オレも好き。でも永遠に左手忙しいのはなんなんだよ! 休憩できんのラスサビ前だけじゃん。指攣るかと思ったわ」
「久々に暗譜きつい曲だった。俺も好き」
「あのさあもうちょい素直に褒めらんねえの……? 曲作るとき難易度妥協しなくていいからお前ら大好き。ありがとね」
「はいはい大好き。そういやまだ曲名も決まってないっつってたよな? 練習ンとき」
 あ、そうなんだ。だから貰ったCDにも曲のリストがついてなかったのかな。
 三浦さんはこくりと頷いて、「でもさっき決めた」と得意気に笑う。ふふん、って。可愛いな。
 じゃあここで発表しろよとキイチさんに促されて、三浦さんはさらりとそれを口にする。
「曲名は――『あなた以外愛じゃなかった』」
 キイチさんの視線が一瞬こちらを向いて、やがて気恥ずかしそうな笑みと共に三浦さんへと言葉が投げかけられた。
「オレら、結局お前の壮大な告白に付き合わされた系?」
「そうかも? 作曲覚えたての中学生みたいな告白してんのウケるよね」
「失敗したら確かに大ウケだけどなあ……」
「失敗期待すんなや。おれの幸せ祈ってるんじゃねえのかよ」
「いや逆に五分五分ならこんな冗談言えねえだろが。成功するって分かってるからこういうことも言えるってワケよ。っつーか実際どうなの? そこんとこ」
「それは兎束さんに聞いてみないと」
 いやいやいやここで俺に振るの!? 公開処刑!?
 何かの間違いでもいいからスルーしてくれないかなと神頼みしてみたけど、キイチさんはにまにま笑って駆け寄ってきたかと思えば「ミナト、どうなの? 成功した?」とこちらを肘で小突いてくる。うわーっ、なんか全員こっち見てる気配がするんだけど!?
 どうしようか迷っていると、三浦さんと目が合った。
 ふっと眉を下げて、まるで大切なものを愛でるみたいに、優しく笑う彼は――こっちも思わず笑顔になるくらい、幸せそうに見えた。
 三浦さん、今幸せなんだね。よかった。ずっとそうしていてほしい。これから先も三浦さんに悲しいことが何一つ起こらなければいいなって思う。そのために俺ができることならなんでもしたい。それで、今みたいに笑ってるとこ、ずっと傍で見ていたいって思うよ。
 こんなに誰かの幸せを願ったことはない。三浦さんのその幸せを形作るものの中に俺も含まれているなら、本当に本当に嬉しい。
 ねえ三浦さん。
 ずっと笑顔でいてね。
 大好き。
 俺は自然と綻ぶ口元もそのままに声をあげる。もちろん、聞いてほしい人の方をしっかり見つめて。三浦さんが俺を愛と呼んでくれたことに応えるために。
「――――大成功に決まってるじゃん!」

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