羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「はー……やばい、まだ微妙〜に興奮残ってるわ……」
「え、大丈夫? 酒入れすぎた?」
「いや、バンド演奏つきでちゃんと歌って人に聴かせたの久々だったんで……酒のせいじゃないですよ。強いて言うならライブ酔い?」
 あの後。あまりにも恥ずかしすぎたから穴があったら入りたい気持ちだったんだけど、キイチさんがそれはもう明るい雰囲気で『よっし、じゃあ打ち上げ行くか〜!』って言ってくれてどうにか平静を取り戻せた俺は、なぜだか四人の打ち上げに交ざることになった。俺が行くのおかしくない? って思わず聞いちゃったんだけど、三浦さんの誕生日のお祝いも兼ねてたらしくてつい言われるがままに同行してしまったのである。
 四人はみんなそこそこお酒がいけるくちだったのと、びっくりするくらいフレンドリーに接してくれたので俺にしてはかなり珍しいことに居心地の悪さを殆ど感じなかった。まるで昔からの友達みたいにたくさん喋って、なぜだかたくさんお礼を言われて、競うみたいに俺からもお礼の言葉を返して。
 気付いたら、あっという間に二時間以上経ってた。驚きすぎて思わず何度もスマホを確認してしまったくらいだ。
 今は、三浦さんと二人きり。前にキイチさんたちと飲んだときと同じように、『兎束さんはこっち』と手を引かれて夜道を歩いている。
「……三浦さんの友達って、みんな、いい人たちだね……」
「そうでしょ? おれが色々……迷惑かけちゃっても怒らないで逆に心配してくれて、どうすればいいか一緒に考えてくれる奴らなんです。おれが同じだけのものを返せてるかたまに不安になるんだけど……」
 どうだろう。なんとなくだけど、キイチさんたちも俺と一緒なんじゃないかな。三浦さんのことが好きで、ただ笑っていてほしいからそういう風にしてるんじゃないかな。俺はそう思うよ。
「というかキイチさんたちに事前に色々話してた感じ?」
「いやー……話すまでもなくバレてたというか……」
「えっそうだったの!?」
「スミマセン、おれ隠し事できないんだよね昔から……なんでか分かんないんだけどほんと全部バレる、特にキイチに隠し通せたことがない」
「なんでっていうか、うん、三浦さん素直だし反応分かりやすいしね」
「……そ、そんなに?」
「うん。そんなに」
 んえー、と変な呻き声を出している三浦さんはちょっと不憫だ。俺も三浦さんの友達には上手く隠せる気がしないから早めにバレててよかったよ、とフォローしてみると、ほっとしたような顔をされた。もしかしたら俺に怒られるかもって不安だったのかな。誤解が解けてよかった。
 そのままゆっくり歩いて、やがて駅が見えてくる。少し遠回りしたけれどたった数分の差だ。ここで解散になっちゃうかな、って名残惜しい気持ちをどうにか宥めていると、三浦さんが方向転換して再び大通りから外れた道に入っていく。
 俺はそのとき、確かに喜びを感じた。だって、まだ一緒にいたいって思ってくれたってことだ。だから何も指摘せずに半歩先を行く三浦さんの後を追う。
「……兎束さん、こういうときは怒らなきゃ」
「んー……怒る理由がないときって、どうすればいい? 三浦さんが動くのがあと五秒くらい遅かったら俺が先に動いてたよ」
「なんなの、本当に調子に乗っちゃいそうなんだけど。というか、それならもうちょっと待ってみればよかった」
 三浦さんはそう言って恥ずかしそうに笑う。ああそっか、三浦さん、いっつも先に言わせちゃってごめん。俺、三浦さんが俺の半歩先を行ってくれることに安心してるんだよ。
 でも、だから、今くらいはちゃんと隣に並ぶよ。
 前のめりに歩調を速めて、体の左側を三浦さんに触れ合わせる。彼は少しだけ驚いたような顔をして、歩調を緩めてくれた。
 しばらくの間無言で歩いた。静かに、ゆっくりと。やがて裏通りを選んで歩くのにも時間の限界がきて、どちらからともなく視線を合わせる。……もう戻らなきゃ。
「ね、兎束さん」
「ん? 何?」
 道を戻り始めてすぐ。顔を覗き込まれて、どうしたんだろうと心音を速めながら答えた。どうしたんだろう、なんだか可愛い感じの雰囲気だ。言いたいことあるよ、って瞳が主張している。
 ほんの少し、一呼吸を置いた後に、髪の毛が風になぶられる音すら分かりそうな近距離で心地よい声がした。
「……今度はお泊まり会したいです。駄目ですか?」
 ふ、と口元を柔らかく綻ばせて、甘えるような視線と口調で聞いてくる三浦さん。この人は、俺が断らないのを分かっててこんなことを言うのだ。『今度は泊まるね』って言ってくれればいいのに、わざわざ『駄目ですか?』と聞いて、俺に『いいよ』と言わせたがる。
 答えようとした唇が震えた。もう自分じゃどうにもならないくらい顔が熱くて、きっと俺は今酷く情けない顔をしていると思うのに、三浦さんはそんな俺のことを心底愛おしそうに見つめてくる。
「っい……、……いい、よ」
「やった。おれ、どっちの家でも大丈夫ですよ」
 四月になったら兎束さんの誕生日もお祝いしたいです、なんてにこにこしながら話してくれる三浦さんは俺とは違ってかなり余裕があるように見えて少し悔しい。俺だってもっと三浦さんを焦らせてみたいし、恥ずかしそうに眉尻を下げて真っ赤になっている彼を見てみたい欲だってある。これから一緒に過ごしていく中で、三浦さんの、他には誰も知らないような表情をたくさん見たい。俺だけのものにしたい。
「……三浦さん。俺からもひとつお願いがあるんだけど」
「いいですよ。なんですか?」
 承諾がワンテンポ早くない!? まだ何も内容話してないけど!?
 あまりの危なっかしさに心拍数を上げつつ、気を取り直して俺は言う。
「三浦さんの誕生日当日にさ、今度は二人っきりでお祝いしようよ。平日だし仕事終わってからになっちゃうけど」
「え、いいの?」
「もちろん。定時帰りできそうならどこかで外食でもいいし、遅くなりそうなら俺が作って待っててもいいよ。ちょっといいとこのケーキ予約してみたりとか」
 ぱぁっ、と三浦さんの表情が途端に明るくなる。目がきらきらしてて、まるでプレゼントを目の前にした子供みたいだ。
「で。その日をお泊まり会にしよう」
「すごい、今から楽しみになってきました……!」
「はは。なるべく早めに仕事上がれるといいな」
 相槌を打ちつつ、俺は内心でぼやく。あのさ三浦さん、俺今、かなーり直球で“そういう”お誘いをしたつもりだったんだけど。これ絶対伝わってないよなぁ。というか、三浦さんもしかして本当に何の下心もなく『お泊まり会したい』って言ったの? 純粋に? なんなんだよもう、余裕たっぷりとかじゃなくてもはや小悪魔じゃん、その振舞いは。こっちの心を惑わしてくるじゃん。
 我慢できなくて思わず笑ってしまったら、不思議そうな顔で首を傾げられた。「どうかしました? 楽しいことあった?」楽しいこと、あったよ。今まさにかなり楽しい。
「微妙に通じてないっぽいからもう全部言っちゃうけど。恋人の家に泊まりたいって、つまりそういうことだからね?」
 三浦さんは「え? はい」とたぶん何も考えずに返事をして――次の瞬間固まった。
 急に立ち止まってしまったものだから俺も少し慌てて道の端に寄る。何かを言おうとしてけれど言葉にならない様子の彼の、街灯に照らされた耳が、みるみるうちに赤く染まっていくのを目撃した。何事か必死で考えていたようだったけれど、最終的にこぼれ落ちてきたのは風に掻き消えそうな声だ。
「あ、ぅ、あの……えっと、考えなしでごめんなさい……」
 別にそれが目的で泊まりたいって言ったわけじゃなくて、と小さい声で頑張って説明しようとしてくれている三浦さんにきゅんとしてしまった。だめだこれ、全部可愛く見えちゃうなほんと……付き合いが深まるほど年上なのが嘘みたいに思えてくる。というかこの人、恋愛経験に乏しいわけでもないだろうに動揺が激しいな。この辺り突っ込むのは流石に性格が悪いかもと思ったんだけどつい「そんな動揺する?」と聞いてしまって、そしたら「だって、兎束さんが相手だから……変なこと言っちゃって嫌われたら悲しい」と返ってきた。うわあ。可愛いポイント加点していいかな。反則だろ。
 別に全然、それが目的で泊まりたいって言ってくれてもよかったんだよ。
 そう伝えたらどんな顔をするだろうか。もっと焦ってくれたり、するだろうか。
 俺はひっそりと妄想を楽しむ。これ以上はやりすぎだ。俺がさっき恥ずかしがった分は今ので仕返しできただろうから、今日のところは満足って感じ。
「三浦さん三浦さん。よく見て、俺謝ってほしそうな顔してないじゃん」
「んう……それは、うん、そうかも」
「寧ろこっちがごめん、可愛くてついからかっちゃった」
「!! ……兎束さんおれにだけ時々いじわるじゃないですか?」
「俺、好きな子いじめたくなっちゃうタイプだったのかもね」
 三浦さんの目つきが変わった。あ。からかいすぎた。そう思ったのも束の間、彼は急に距離を詰めてきて――目をつむる暇もなく、そのままちゅっと唇が触れる。
「え!? ちょっと……!」
「お返しです。おれの誕生日――覚悟しててね」
 それはもう魅力的な笑顔と共に囁かれて、危うく体の芯がふにゃふにゃになりそうだった。完全に、調子に乗って返り討ちにあった俺の負けだ。夜の気温も物ともしないくらい頬が熱い。ここ外なんだけどとか言ってる場合じゃない。というか三浦さん、不意打ちしてきたくせに周りにひと気がないのは事前確認してるっぽいんだよ。そういうとこちゃっかりしてる。
 ……あーあ。これからもこうやって、最終的には負け越しちゃうんだろうな。
 そんなことを考えながらまた笑みがこぼれる。
「三浦さーん、待って、せっかくだから駅まではゆっくり歩こう? もうちょっと一緒にいようよ」
「じゃあ、あっちの大通りに出るまで手握ってていいですか?」
「はは、それ聞いちゃうの?」
「『いいよ』って言ってほしいんです」
「……いいよ」
「嬉しい。ありがとうございます」
 華奢な指先が優しく俺の手に絡んでくる。ひんやりとしていたから、俺の体温で少しでも温まればいいな、と思ってその手を握り返した。
「あー……どうしよ、兎束さんのことおれほんとに好きなんですけど」
「そこは俺も三浦さんのこと好きになりすぎちゃってどうしようって思ってるから、お互い様じゃない?」
「そうなの? 兎束さんもおれのこと考えてどきどきしてくれる?」
「――してるよ。もうずっと前から」
 今更すぎて思わず笑った。そんなの、とっくの昔にそうだったよ。ずっと好きで、焦がれてた。
 絡んだ指先から体温が溶け合って、ふたり、同じ温度になっていく。
 俺はこれからも彼の言動にどきどきさせられてばかりなのだろう。彼の言葉ひとつ、仕草ひとつで心をかき乱されて、馬鹿みたいに分かりやすく反応して、真っ赤になって。些細なことで不安になったりもして、呆れ顔でなぐさめてもらったり。もちろん彼が悲しんでいるときには傍で寄り添いたいし、彼と並んで歩きたい。きっとこの先、何度だって三浦さんと「好き」を伝え合うことになる。
「……三浦さん、好きだよ」
「おれも好きです。ずっと……好き」
 そうしてそれを心底幸せに思いながら、明日もこの人を好きでいるのだ。

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