羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「はー……おれ、何度も『好き』って言いましたよ。兎束さんと一緒にいるのは楽しいし、もっと一緒にいたいし、一緒にいられたら嬉しいって言った」
「え……だ、だって、三浦さんは誰でも好きじゃん。誰のことでも好きだし、誰にだってそういうこと言ってるんじゃないの……?」
 これまで散々心を乱されてきた言葉は三浦さんにとってはきっと深い意味なんてなくて、俺が勝手に舞い上がってるだけで、特別でもなんでもない。勘違いするな。そうやって言い聞かせてきたのに、三浦さんは呆れたような顔であっさりと言い放つ。
「誰にでもなんて言うわけないでしょ……バカ……流石にもうちょい節操あるわ……」
「え!? 嘘!?」
「初手で疑ってくるの酷くないすか? っつーかおれ博愛主義じゃないって前も言いましたよね。そもそもこうやって自分から? いく感じ? 初めてだったからいまいちどうすればいいのか分かんなくて……でも頑張って好きアピールしてたつもりだったんですけど」
「……え待って、じゃあ去年の飲み会のとき『声聞いたら顔見たくなった』みたいなこと言ってたのも……?」
「そんな台詞好きな人にしか使わないでしょ……ほんとに分かってなかったの?」
「お――教えてよ! そういうことはもっと早く!」
 勘違いしてたって思ってたのが勘違いだったってこと?
 最初から俺だけ特別だったってこと? あれもこれも全部相手が俺だから? 俺だけだったの?
 っていうか口説き文句かよって思ってた今までの全部、俺直球で口説かれてたの!?
 ばくばくと心臓が高鳴っている。これ以上ないってくらい。
「兎束さんて意外と鈍かったんですね。おれずっと空回りしてただけじゃないすか」
「いやっだってそれは……! 三浦さん、誰にでもそんな感じだと思ってて」
「ハ? 誰にでもこんなんだったらおれ何回刺されても足りないでしょ。流石にそれくらい分かりますけど。え、そんなことも分からないと思われてたんですかおれ? もしかしてこれまでのトラブルも大体自業自得だとか思われてたり? 傷付きました……」
「うわーっごめん! それはほんとにごめん! だよね流石にそれを無差別にやってたらまずいって分かるよね!?」
「分かりますよ。だからアンタだけだったのに。兎束さんは特別だったのに」
 体温が上がる。血が巡る。心臓はさっきから早鐘のように打っていて、こめかみの辺りまで熱くなってくる。
 思い出すのはこれまでの三浦さんのことだ。
 仲良くしたい、仲良くして、と言われたことはあったけれど、そういえば、仲のいい“友達”になりたいなんて言われたことは一度もなかった。
 ……え、ほんとに最初の最初からそのつもりだったんじゃん……めちゃくちゃ嬉しいんだけど!?
「なんだこれ……夢……?」
「いや夢って酷くない……? ちゃんと好きって伝えてたはずなんですけど……おれの記憶が正しければ……」
「ちゃんと覚えてるからそれは! 聞き流してたわけじゃないって!」
「えー……? 兎束さんもおれのこと好きになってくれてるんじゃないかなって思ってたのに、ほら、友達とか念押しされるし。なんかもうショックでした……というかてっきりあの時点でおれ一回フラれたんだと……」
「友達――あのときのあれが!? 待って待って待って何もかも! 誤解! 誤解だから!」
 つらいことも共有できるのは超仲良しの友達っぽいとかなんとか言ったやつだよね。キイチさんたちと初めて会った後の話だよね!? いつの話をしてんだよ!
 これまでの人生で一番ってくらいの勢いで弁解した。こんなに必死になったの初めてかもしれない。あまりにも自分に都合がよすぎて、本当に夢なんじゃないかと思う。
「なんにも言わずに勝手に振られるのやめてよ……」
「フラれるっていうか、牽制? これ以上寄ってくんな的な意味かと。でもどう考えてもおれのこと好き〜って態度だったから意味分かんなくて一時期混乱してました。おれも他の人から見たらこんな思わせぶりだったのかなそりゃトラブルにもなるわとか考えてみたり」
「そんで勝手にややこしくなってるし……」
 年明け辺りに微妙にぎくしゃくした空気になったの、三浦さんの過去とは全然関係なかったのかよ。無駄に悩んだわ。マジで。
「兎束さん、社内恋愛したくないみたいな話もしてたじゃないすか。おれにわざわざ言ってくるとかもうこれ完全に迷惑がられてるじゃん。あー流石に無理かもって……だから、諦めようかなって、思ったんだけど」
「そ……それは、その、だって、好きな人が自分に見えるとこで恋人作ってるとか想像するのも嫌で……」
「おれは兎束さんのことが好きなんだから、社内恋愛したい側じゃないとおかしいでしょ。そりゃ普通だったら職場内とかめんどいから絶対嫌ですけど」
「うぐ……そうだよね、そういう意味だよね今思えば! 今思えばね!」
 思い込みがひとつなくなると芋づる式に色々なことが見えるようになってきて、自分の言動が心底恥ずかしくなってきた。俺、もしかしなくてもこれまでずっと自分に嫉妬して情緒不安定になってたの? 恥じゃん。恥以外の何物でもないじゃん。
「……、敗因は話し合いをしなかったことだよなどう考えても」
「敗因? どっちの負けですか?」
「どっちも負けてるよ……どっちかがさっさと告白しとけば即話まとまってたじゃん絶対……」
「えー。別に改まって告白されなくても好かれてるって普通に分かるし、いちいち確認したりしなくないすか? おれ、『私たち付き合ってるんだよね……?』ってこれまでの人生で死ぬほど言われてきましたよ、告白された覚えのない女の子たちから」
「言いたいことは分かるけど三浦さんは女の子じゃないから全然分かんなかったかな! っつーかそれ結局ちゃんと告白挟まなかったせいでトラブルになってるじゃん!」
 拗ねたような表情で、「おれは普通に付き合ってるつもりでいましたよ。はっきり口にしなきゃ不安だったのは相手の方です」とぼやいている三浦さんを見ながら俺はこれまでのことを振り返る。
 そう、たぶん三浦さんが女の子だったら即気付いてた。思い返してみればあれもこれも全部好意百パーセントだ。付き合い始めるのにわざわざ好意を確認したりしないっていうのも分かる。ぼんやりとした、お互い好きだよね? という暗黙の了解。傍にいることを許されて、触れることを許されて、セックスだって許されて。そういうものを積み重ねて“恋人”というポジションになんとなく収まったりすることはある。
 でもそれは女の子との恋愛パターンだから! けっして同僚の男に当てはめていいもんじゃないから!
「三浦さんって、かなり男女わけ隔てない感じ……?」
「はい? どういう意味ですか?」
「んーと、男も女も三浦さんにとって同じラインに乗ってる、気がする……というか……だって俺の好意にも気付いてたっぽいじゃん、さっきの口ぶりからすると。男同士なのに、勘違いだろうなとか思わなかったの?」
「あー……? おれ昔からこう、男女問わず言い寄られる? 迫られる? こと多くて。だから同じラインっていうのはそうかも。おれを好きなのが男でも女でも普通に気付くと思う」
「初耳なんだけど!? 男女問わずだったんだ……」
「めちゃくちゃ力強く『友達』って言われたからあっこれもしかして好かれてるわけじゃなかった? 勘違いしてた? って後から思ったりはしましたよ」
「いやそれは……せめて仲のいい友達ポジションではいたかったというか……俺は俺でショック受けてたからねあのとき。全然色よい反応がこなかったから、友達にすらカウントしてもらえてないのかと思って無駄に悩んだからね」
 もしかして同性間の恋愛に全然抵抗感なさそうなのもそれが理由か。今だけ三浦さんに過去言い寄ってきた男たちに感謝したいんだけど……!? いやでもまさか付き合うとこまでいった!? だとすると嫌!
「……待って三浦さんもしかして男と付き合ったりとかしたことって」
「気になります?」
「気になる……」
「告白されたこともセックス誘われたことも一応あるんですけど、全部断ってますよ。男抱いたこともないし」
 ほっとしてしまった。別にこれまで付き合ってきたどんな子だって、元彼とかそういうの気にしたことなかったのに。
 三浦さんは楽しそうに笑って、「露骨に安心してるじゃないですか。かわいい」と目を細めた。うわっ好きだ、と思ってしまった。うー、悔しい。
 なんだかだんだん恥ずかしくなってきてしまった俺とは対照的に、三浦さんは普段の調子を取り戻してきたらしい。甘えるような声で俺の顔を覗き込んで、内緒話みたいにして言う。
「ね、仕切り直そっか」
「仕切り直す……?」
「勘違いでこんがらがっちゃいましたけど、というか大体おれのせいですけど……ほら、今日ホワイトデーですよ。元々こっちが本題でしょ。おれ、頑張ってお返し用意したんです」
 バレンタインのとき本当に嬉しかったから、とふにゃふにゃの笑顔を向けてくる三浦さんにときめきで心臓がぎゅうっとなった。お返しのために頑張ってくれたとか嬉しすぎる。三浦さんが用意してくれたものならなんでも喜べる自信があるけど、なんだろう? やっぱりお菓子? あ、三浦さんのおすすめのチョコレートとかかも?
 どきどきしながら三浦さんの出方を窺う。彼は「ちょっと待っててくださいね」と言って部屋を出て、十秒もしないうちに戻ってきた。後ろ手に隠せるくらいのサイズ、割と軽そうだしかさばらないやつっぽい? 小さい箱に入った高級チョコが本命、対抗でチョコ以外のお菓子、大穴でアクセサリー……とか……?
 数秒の後、ぱっ、と目の前に差し出されたのは、どの予想も裏切るものだった。
 四角くて薄い、透明なプラスチックのケース。長くて華奢な指先がケースの側面に入り込むと、パキッ、という音を立てて蓋が開く。中身はもちろん――CDだ。真っ白で何も書いてない、CD。
 嘘、これって。期待していいの?
 まるで疑問に答えてくれるみたいに、三浦さんはこれ以上ないってくらい熱っぽい瞳で俺のことを見て、優しく囁く。
「――おれの心臓あげる」
 蕩けるような甘い声だった。
「ぜんぶ食べてね」
 タイトルも何も書いてない真っ白なそれ。ジャケットもない本当に素のままのCDで、でも、俺にはこれの中身がなんなのかちゃんと分かった。
「これ……三浦さんの曲?」
 当たり、と言って三浦さんは笑う。
「おれの中の、おれしか知らない深いところから切り取って兎束さんにあげる。おれが作って、おれが歌って、おれが編集したやつ。この世で一枚だけをアンタにあげる。……受け取ってくれる?」
 まるで誘惑するみたいな眼差しだった。言葉の意味をゆっくりと咀嚼して、じわじわ体が熱くなっていくのが分かる。
「あ――愛の告白みたいに、聴こえるよ、それ……」
「ハ? そうですけど」
「『そうですけど』!?」
「そうですよ。っつーかこんなん告白するより恥ずかしいわ。裸見られる方がまだマシ」
「そ……そこまで……」
 でも兎束さんには知っててほしいと思ったんです、と小さく言った三浦さんからCDを受け取る。きっと百グラムにも満たないけど、心情的にはかなりの質量を感じた。だって……だって、これは、三浦さんそのものみたいな、それくらい意味のあるプレゼントなんでしょ? 心臓くらい大事なんでしょ?
 あ、と思う間もなく視界が滲んで、ぱたり、と透明のプラスチックケースに水滴が落ちた。「えっ」三浦さんがおろおろしているのがなんだか面白くてつい笑ったら、余計に涙がこぼれてくる。
「先に言っとくけど、っ嬉し涙、だから」
「……嬉しいって思ってくれるの? 泣くほど?」
「当たり前じゃん……こんなに嬉しいプレゼント、初めて貰っ……」
 とうとう最後まで言うことすらできなくなって、俺は嗚咽を噛み殺す。三浦さんはというと、数秒迷うようなそぶりをして、けれどしっかりと俺のことを抱き締めてきた。こういうところ、ポイント外さないというかなんというか……好きにならない方が無理だろこんなん。
 三浦さんは、俺が落ち着くまでずっと俺のことを抱き締めていてくれたし、俺のことを見ないでいてくれた。やがて涙も止まって、ほのかに香るシャンプーの匂いに鼓動を早くする余裕すら出てきて、そんな中でぽつりと三浦さんの声を耳が捉える。
「ごめんね」
 三浦さんから俺の表情が見えないということはその逆も然りだ。ぎゅう、と強くなった腕の力には敢えて逆らわず彼の言葉に耳を傾ける。
「たぶん……つらいことたくさんあると思うんです。おれのせいでつらい思いさせる。どれだけ気を付けてても、絶対なんて言えないし……おれの気付かないところでまた兎束さんに気を遣わせちゃったりするかもしれない。嬉し泣き以外で兎束さんが泣くとこなんて見たくないけど、おれの問題に巻き込んじゃったり、とか……可能性はゼロじゃないから」
 ああ、この人は今、きっととても誠実に話をしてくれているんだな、と思った。
 別に三浦さんのせいじゃないのに、三浦さんの傍にいることで起こるかもしれない色々なことを心配しているのだ。その素直さが愛しいと思うし、失われてほしくないと思う。
 この人を、あらゆる悲しいことから護ってあげたい。
 いつでも笑っていてほしい。
 どれだけ傲慢な願いかなんて言われなくても分かってるけど、それでも思う。三浦さんの笑顔が曇ったり、翳ったりすることがありませんように、って。
 三浦さんは自分の頬を俺の顎の下辺りにすり、と寄せて、「でもね、ここまでちゃんと分かってるのに、考えられるのに……もうきっと、おれからは手放せないです」と潤んだみたいな声を出した。
「――だからごめんね。たくさん後悔してね」

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