羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「なんで嬉しいかって、そんなの、っ……俺が三浦さんのこと好きだからに決まってる……」
 言った。言ってしまった。言わなくても悟られていたんだろうけど、でも、これでいよいよ逃げも隠れもできなくなってしまった。
 目頭が熱くなって、たちまち涙が溢れる。泣きながら告白とか鬱陶しいから絶対に嫌だったのに、耐える暇もなかった。こんなの告白されて一番気が重くなるパターンじゃん。俺がされる側でもそう思う。どうやって断ろうか必死で考えないといけない。下手なこと言ったら傷付きますよ、みたいなアピールに思えて心底恥ずかしかった。
 なんかもう、消えちゃいたいな。
 潤んだ視界の中で三浦さんが揺れている。瞬きのたびに目のふちを涙が乗り越えて頬を通り過ぎ、顎の方へと流れていく。首まで伝ってきたからくすぐったくて、でもわざわざ手で拭う気力もなくてぼんやりしていると――いつの間にか、三浦さんがすぐ目の前まで来ていることに気付いた。
「みうらさん……?」
 ぐずぐずの涙声が恥ずかしい。どうにかこうにか涙を止められないかと無駄に深呼吸なんかしちゃったり。
 そしたら信じられないようなことが起こった。
 ぎゅっ、と正面から抱き締められたのだ。三浦さんに。
「……合ってる? 兎束さんの『好き』は、こういう好き?」
 そうだとしたらおれ、かなり嬉しいんだけど。三浦さんはそう言った。表情は見えない。体が硬直してしまって、一ミリも動かせない。
「な――何、言ってんの。からかってる? そんな、冗談……」
「冗談でこんなこと言わない。冗談扱いされるのは悲しいです。おれ、真剣ですよ」
 おれのことちゃんと見てよ、と言われて、急に体が動くようになった。ぱっと体を離して服の袖で涙をぬぐっていると、「うわ、擦ったら駄目ですよ」とすかさずティッシュが差し出されたので有難く使う。それはたちまち水分を吸い込んでぐちゃぐちゃになっていく。
 そうしてようやく正面から見つめた三浦さんの表情は、確かにこれまでにないくらい、真剣で痛切なものだった。
「――入社した頃からずっと、アンタのこと見てたよ」
 言い聞かせるような、念を押すような口調。信じられないような話。俺は一言も喋れなくなってしまう。
 そういえば三浦さんは同期ってだけで殆ど接点のなかった俺の名前を最初から覚えていて。いや、でも。ただ名前を憶えていただけだ。深い意味はないはずだ。
「おれ、本当は……本当は、兎束さんのこと、ずっと見てて」
 一瞬だけ言い淀んだ彼はなんだか苦しそうに見えた。直後に耳に入り込んできた言葉は、俺の感情を揺らすには十分すぎるものだった。
「……おれは、兎束さんが……羨ましくて。同じくらい、気に食わなかった……」
 きっと初めて、この人の口からこんな、マイナスの感情を向けられた。
 不思議と傷付いたとかはなくて、ただ純粋に理由が知りたいなと思う。俺が彼をきちんと認識するよりもずっと前から、彼が俺のことを見てくれていた理由が知りたい。
「気に食わなかった……っていうのは、俺のせい?」
「違いますよ。上手くやれてることに嫉妬してたんです。初めてまともに喋ったときに八つ当たりしちゃったの、後で謝ったでしょ。別にあれは一時の感情じゃなくて……本当にずっと、研修受けてたときからずっと、おれにはできないことがちゃんとできてる兎束さんが羨ましかった」
 そうだ、そういえば言われた。他人からの好意がコントロールできていて、人間関係が上手で、それを自分もしたかった、と。
「兎束さんのこと見てると、おれのやり方が悪いから上手くいかないんだって思い知らされてる感じがした……ん、だよね。上手くできてる人が近くにいると、ほら、勝手に責められてるような気分になっちゃって。兎束さん営業成績よかったから、見ないようにしてるのに結局何度も名前見る羽目になるし」
「そう……だったんだ」
「バカみたいですよね。だから兎束さんがネット繋がんないっつっておれのとこに来たときマジでイラついてたんですよ。兎束さんおれの名前覚えてなかったでしょ」
「うっ……ば、バレてた?」
「バレてますって。おればっか意識してるのが悔しかった。あと普通にメールは読めやって思ってた。こういう些細なミスをみんなに笑って許されてきたんだろうな〜とか考えて、気付いたんですよ。同族嫌悪だよこれ。だから余計にさぁ、なんでお前だけ上手くいってんだよみたいなね……ストレス溜まってたんですよね、猫被るの……」
 あー……なるほど、確かに俺が色々取り繕ってる状態と三浦さんの素って割と被ってるところがあるかも。うん。
 というか今三浦さん『お前』って言った! 言ったよね? 全然関係ないところで気持ちが盛り上がってしまった。やっぱり仲良くなる前の方が雑にしてもらえるチャンスあったのかも。まあ今後も隙あらばチャンスは狙っていくけど……。
 いつの間にか消えちゃいたい気分もすっかりどこかへ行ってしまって、さっきまで泣いていたはずなのにおかしいなと自分でも呆れてしまう。でも今は、俺の“好き”に対して嬉しいと言ってくれた彼の言葉の続きを聞きたい。
「俺のこと、今でも気に食わない?」
「……いじわる。気に食わないなって思いながら見てたけど、でも――だから――兎束さんはすごく努力家だって分かったよ。ほんとは最初から分かってたんだろうなって思います。認めたくなかっただけで」
 三浦さんは指を折っていく。いつか聞かせてくれたのと同じように。
「兎束さんはさ、字が綺麗だよね」
 意外に華奢で長い指。どんな風にギターの弦を押さえるんだろう。早く知りたい。
「字だけじゃなくて食事の仕方も綺麗。そういうのって自然とどうこうなるもんじゃないし、たぶん昔からたくさん練習してたんだろうなって……」
 入社前の内定者懇親会あったでしょ、そういえばあのときから食べるの綺麗だったなって後から思い出したんです、と言われて、三浦さんの観察眼に内心舌を巻く。この人、他人に対して確保してるメモリが多いというか……普通だったら見逃したり聞き流したりすることをしっかり覚えている。それこそ、俺なんかじゃ到底太刀打ちできないくらい。
「他人の食事の好みとかいちいち覚えてるのも、さりげなく誰かをフォローできるのも、きっと『当たり前』なんかじゃなくて……兎束さんがそうしようと思って毎日頑張ってるからなんだろうなって……」
 三浦さんが俺のことを褒めてくれるのが、前からずっと不思議でしょうがなかった。だって彼は俺よりもよほど自然体で人と関わることができて、人に好かれることもできて。仕事だって抜群によくできる。誰に後ろ暗く思うこともない。事情を知ってからは、好かれるのもいいことばかりじゃないっていうのも理解したけど……でも、やっぱり俺に向けられる褒め言葉は分不相応な気がしてた。
 今ようやく本当の意味で実感できた気がする。
 三浦さんが俺の何を見て、こんな風に言ってくれるのか。
 何かを頑張っているということが、三浦さんの中でどれだけ大きなものなのか。
 三浦さんは俺を見て柔らかく笑った。そして、「……アンタがもっと嫌な奴だったらよかったな」なんて言った。大丈夫、悪い意味じゃないっていうのはちゃんと分かる。
「はは、なんで?」
「そしたらずっと、アンタのこと気に喰わねえなって思ってられた」
「いやーそれはどうだろ、三浦さんって誰かにマイナスの感情持ち続けられる人じゃなくない?」
「……あーあ。ほんとさぁ……見れば見るほど、いいとこばっかり見つけちゃうから……」
 こんなに、ずっと、好き。
 三浦さんは涙混じりの声でそうこぼした。あんまり切実そうな響きだったから怯んでしまう。だってこれは――ただの同僚に向ける声にしては、少し、深刻すぎやしないだろうか。
 期待しそうになって、いやいやありえないだろ、と自分に都合のいい考えを打ち消す。同性に対して恋愛感情を伝えて、気持ち悪いと言われなかっただけでも御の字なのだ。そればかりか『嬉しい』とまで言ってくれた。彼は俺という人間に好意を持ってくれている。それは確か。
 ……『嬉しい』だってさ。この一言に必死で追い縋ろうとしている自分がいて笑える。
「三浦さん、あの、そんな風に言われちゃうとさ。俺頭悪いからまだ可能性あるんじゃないかって勘違いしそうになっちゃうよ……」
 そんなの嫌でしょ、困るでしょ、とまるで自分に言い聞かせるみたいに喋る。自分で言ってて自分で傷付く。効率よすぎるわ。
 流石にここまで言えば分かってくれると思ったのに、三浦さんはなぜか思い切り顔を顰めた。かと思えば、「ここまで言っても分かんないの?」と、まるで俺の気持ちを代弁するようなことを言った。
 それはこっちの台詞だよと反論するより早く、三浦さんが再び口を開く。
「何、もしかして兎束さんはさ、おれのこと好きだけどおれと付き合う気はないんですか? 釣った魚に餌はやらないみたいな?」
 え?
 ……え? え? 何それ、え、どういうこと?
「つ……付き合う、って、何」
「はい? 何って何が。セフレとかのがよかった? そうだとしたら悲しいです」
「待ってほんとに何!? 話が見えない!」
 俺の理解力がないというか、俺の頭が理解を拒否している感じがする。急激に血の巡りがよくなってきた脳みそをフル回転させてもう一度三浦さんを正面から見つめると、なんだろう、視界に映る彼はどう見ても――。
 目の前に、好きで好きで仕方ない人がいる、みたいな。
 そんな表情をしている。

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