羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 週末にホワイトデーを控え、どこかそわついた空気のまま日々は過ぎていった。じりじり、じりじり。もどかしいような、その日を迎えるのが少し不安なような……不思議な気分。
 三浦さんは相変わらず部署を超えて色々な人と親しくしているようで、荷物が嵩張るから、と少しずつホワイトデーのお返しを配っている。一日じゃ配れないくらいに貰ったんだな、なんて、分かっていたはずなのに複雑な気分になってしまった。俺だって同じようにお返しを配っているくせに随分と勝手な話だ。
「兎束さん、最近考え事多いですね」
「え? うわっ、ごめん。何か言ってた?」
「いや、別にそういうわけじゃないですけど……なんだか難しそうな顔してるので」
 どきっとする。俺はけっして感情が顔に出るタイプじゃないと思ってたんだけど、どうしてだか三浦さんには分かってしまうらしい。まあ、考え事の原因が恋煩いだというところまでは流石に分からないだろうし、その相手が三浦さんだってことは尚更だろうから、まだ全然誤魔化しの利く範囲だとは思うけど……。
「はは、そんな顔してた? よく見てるね」
「体調不良とかじゃないですよね……?」
「平気だって。今日も健康」
 そんな風に言いつつ、メンタル面の調子はあんまりよろしくないんだよなあ……と内心苦笑いする。
 俺はまだ三浦さんに酷いことを言ってしまったのを引きずっていて、自分の限界みたいなものがもうすぐそこに迫っているらしいことに必死で気付かないふりをしている。どこまで耐えられるだろうか。あんな八つ当たりをしてしまった時点で手遅れな気はする。
 いっそ転勤の辞令とかが出ればよかったのかもしれないけど、そしたらもう一緒にご飯食べに行ったりできないな、と思うとそれも嫌だ。
 よく考えたら、割と前からこんな感じだったな。三浦さんのことが好きで、平静を保てなくなって、それを指摘されて誤魔化す。
 前は頑張って言い訳を用意してたけど、最近はそれすらしんどい。
「三浦さん、めちゃくちゃ心配してくれるじゃん」
「それは……だって、兎束さんなので」
「え。俺そんな病弱キャラに見える? 割と体力には自信がある方だったりするんだけど」
 三浦さんは微かに笑って、「病弱だろうが健康だろうが、兎束さんのことは心配しますよ」と言う。
 何、俺だから心配してくれるってこと? 相変わらず、期待を持たせるような物言いをする人だ。本人に自覚はないんだろうな。
 まだ何か言いたげにしている三浦さんの様子が気になったけれど、俺が突っ込んで聞くのもなんか変だよな、と我慢。やがて三浦さんが口にしたのは、そんなに言いよどむような内容だっけ? というもので。
「兎束さん。これ、一緒に食べません?」
 小さな、けれど素材のしっかりした箱。なんだこれ、お菓子?
 話を聞いてみると、どうやら待ち伏せ騒動のあのCAの子に貰ったものらしい。そういやお菓子持ってくるみたいなこと言ってた気がするな……色々やらかしたからあのときのことまとめて記憶から排除しちゃってたや。
「俺最初に居合わせただけなのに貰っちゃっていいのかな」
「大丈夫ですよ。『兎束くんと食べなね』って言ってましたし」
 その割には三浦さんだけのときを狙って渡しに来てるじゃん……という気持ちと、いやいや俺は大体の場合業務で社外に出ているから遭遇できないのは当たり前だろ落ち着け、という気持ちがせめぎ合っている。それに、俺は殆ど無関係だしな。三浦さんと同列にお礼をされても逆に恐縮してしまう。
 ……人の口調を真似しているからにしろ、三浦さんに『兎束くん』って呼んでもらえたのは収穫だったかもしれない。お菓子よりもそっちが嬉しい。
 定時後で人が少ないのをいいことに、三浦さんの席のところまで行ってささやかなおやつタイムだ。会社で勉強会してた頃が懐かしい。あの頃はまだ三浦さんのことが好きだって自覚してなかったけど、よく考えたらあの頃から色々口実作って三浦さんと喋ってみたかったんだろうなというのが思い返された。必死で接点ひねり出して、恥ずかしすぎる。
 俺が羞恥に負けそうになっている一方、三浦さんは「二人ではんぶんこにしましょうね」と箱に貼ってあるテープを剥がそうと悪戦苦闘している。色々雑な人だとは思ってたけど、もしかしてこの人、そもそもこういう包装の類を綺麗に取るのが苦手なのか……?
 黙って見とくのもアレなので俺が代わりに剥がした。三浦さんって、日常のこまごまとした部分で変に苦戦してることがたまにある。仕事はめちゃくちゃできるのに。
 個包装を破って中身を確認してみると、どうやらチョコレートを挟んだクッキーのようだ。「ん。おいしい」と三浦さんはさっそく味見をして嬉しそうにしている。俺もひとつ貰って食べてみると、なるほど確かに美味しかった。チョコレートの割合多めで、ラングドシャっぽいクッキーは二枚の隙間をチョコレートガナッシュで埋めるみたいにして接合してある。中にはフルーツのペースト? ソース? っぽいものが入っていて、かなり食べ応えのあるお菓子だった。
「んむ……ちょっと一緒に通勤しただけなのにこんなおいしいの貰って逆に申し訳なかったかも」
「いや、ちょっととかいうレベルじゃなかったと思うけど……? 三浦さん、残業ある日はわざわざ駅まで行ってまた戻ってきてたじゃん」
 あれを“ちょっと”で片付けちゃうって、自分の労力軽めに見積もりすぎじゃないかな。人助けの精神が育ちすぎだよ。
「コンビニで食料買うついでって感じでしたし、駅までそんな歩くわけでもないし、その辺りはあんま気にしてなかったです。まあ十分くらい休憩してもばちは当たらないでしょ」
「貴重な休憩を他人のために使えるのがすごいよ。かなり親しい人が相手だったとしても毎日はちょっと面倒じゃん?」
「え、あれ、そうですか?」
 戸惑ったような、少し不安げな表情をされてこっちが驚いた。もしかして俺言葉のチョイス間違えた? 今のは全然嫌味とかじゃなくて、純粋にすごいなって思ったんだけど。
 なんだか焦ってしまった俺は、やめておけばいいのにさっきまでの言葉を新しい会話で上書きしようとしてしまう。
「なんでそんな顔するの。人に優しくできるっていいことじゃん」
「いや……またなんか、変なことしちゃってないかなって。今更なんですけど」
「別にあの子は色々勘違いするタイプじゃなさそうだし平気じゃないかな」
 三浦さんはほんの少しだけ黙って、「おれが心配してるのは、そういうのじゃなくて……」とたどたどしく呟く。
「何? どういうの?」
「……んん。なんでもないです。平気そうならよかった」
 またこの人は気になることを……。
 いや、でも、三浦さんって元々含みのあることは言っても言いかけてやめるみたいなことはそんなになかった……気がするんだけど。こんな風になったの最近になってからじゃん? 俺の気のせい?
 なんとなく、お互いの間に流れる空気みたいなものが変わってきている、ような。具体的にどう変わっているのかは説明できないけど。
「三浦さん、大丈夫? 何か心配事?」
「心配事……」
 三浦さんは俺の言葉を復唱して、ふっと眉を下げて笑った。
「兎束さんがおれと一緒にいてちゃんと楽しいかどうかが今一番心配かも」
「え、謎の心配されてるんだけど。俺そんなつまんなそう……?」
「いや、おれが勝手に心配してるだけっていうか、なんだろ、必要以上に不安になっちゃって駄目ですね……いつも兎束さんのこと考えちゃうから」
 どきっとする。喜んでいいのか微妙に分からない感じの内容と抱き合わせにされたけど、好きな人が自分のことを考えてくれているというのは抗えない甘い響きがある。おまけに『いつも』だなんて。
 ……俺、もう期待したくないな。
 三浦さんからの好意的な言葉を聞くたびに、嬉しいけどみじめだ。
 どす黒い感情が浮かびそうになって慌ててそれを打ち消した。「三浦さんは一緒にいると楽しい人だって言ったじゃん。そんな心配することないって」努めて明るく言うと、三浦さんはまだ少し何かに迷っているような表情をしていたけれど、クッキーの最後の一口をぽいっと口に放り込んでもぐもぐと咀嚼して、残っていたクッキーの半分を俺の目の前にそっと並べた。
「おいしかった! ありがとうございます、兎束さん。一緒に食べてくれて」
「俺こそおすそ分けしてもらっちゃってありがとね。っつーか半分も貰っちゃっていいの?」
「いいんですよ。そういう約束なので」
 そんな約束をしていたのか、と驚いた。
 それと同時に、ああこれ微妙に話題を変えられたというか、話を誤魔化されたな、と直感的に思った。んー、やっぱり少し様子がおかしいな。
 でも、俺に彼を問い質す筋合いもないんだろうな。
 喋らなくて済む口実を作るために、俺もクッキーの残りを口に入れる。彼と過ごせるホワイトデーは楽しみなはずなのに、自分が平静でいられるかどうか分からないことが不安で、明日が来てほしくないような気持ちになってしまった。

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