羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 次の日、午前九時過ぎ。始業前だけど、突然社内サーバーに接続できなくなった。
「三浦さーん! なんかおかしくない?」
 出社したばかりの三浦さんをつかまえた営業部の数人が、口々に事情を訴えている。三浦さんは最初首を傾げていたけれど、自分のPCを起動させてすぐに「あっやば」と何かに気付いたような声をあげた。
「あー……申し訳ないです、おれのミスですね。後で全体にお知らせ投げますけど、とりあえずすぐ復活させるんで」
 どうやら、先週の祝日にサーバー停止からのメンテナンスというスケジュールを組んでいたのを解除し忘れていて、今週も同じタイミングでサーバーが停止……ということだったらしい。サーバーはすぐに再起動されて、始業前には問題なく作業できるようになった。
「三浦さんがこんな凡ミス珍しい。調子悪いのかな? 先月まとめて有休とってたよね確か」
「あの人残業普段から多いしねー。人増やしてあげればいいのに」
「でも今のタイミングで半端な人員増やしても彼の負担が増えるだけじゃん? 逆に足引っ張っちゃいそう。もう一人くらい三浦さん並にできる人がいればね……」
「いや……三浦さんレベルの人が一人この会社にいるのもちょっと謎なくらいだし追加は無理でしょ……前にいたとこも超大手じゃん。なんでやめちゃったんだろうね」
「まあお陰でこっちは楽できてるけどね……」
 珍しく出社勤務らしい開発部の女性社員――俺たちの少し上の代の人たちがそんな風に話をしている。……そっか、三浦さんが入社するよりも前のサーバー管理は開発部が分業してたんだっけ。
 やっぱり、事情を知らない人たちにとっては三浦さんの能力と会社のレベルが釣り合ってないように思えるんだな。
 彼が人に好かれすぎる性質のせいで散々苦労をしてきたというのは十分に説明してもらって少しは理解できてるつもりだけど、あの性質がなかったらきっと俺は三浦さんに出会っていないし、こうして彼を好きになることもなかった。出会えてよかった、って思うのに、そう思ってしまうことが彼のこれまでの苦しみをよしとしているみたいにも思えてなんだか複雑な気持ちになる。
 もし三浦さんのことを好きになっていなかったら、どうしてたかな。
 きっと今も適当に人間関係をそつなくこなして、何か言われて傷付いたとしても気付かないふりで笑って流し、虚しさを抱えて生きていたんじゃないだろうか。
 俺、三浦さんのお陰で変われたことがたくさんあるのに。それなのに、あんな酷いこと言った。
 おまけに、あんな酷いことを言っておいて、謝ったらまだ許してもらえるんじゃないかなんて思ってる。
 謝るなら絶対に早い方がいい。でも、どうやって話すかまとまらない。
「三浦さん」
「あれ、どうかしました? サーバーもう繋がると思うんですけど」
 始業のチャイムが鳴るまでの数分。何もまとまっていなかったけれど勢いのまま三浦さんの席まで行ってみると、三浦さんは驚いたような顔をしていた。驚いてて、でも、少し不安そうな顔。
「や、サーバーはちゃんと繋がるようになったよ。正常。サーバーじゃなくて、三浦さんは大丈夫かなって」
「あー……最近ちょっと睡眠時間足りてなかったっていうか、完全に自己管理サボってました。ご迷惑おかけしちゃってスミマセン」
「謝らなくていいって! 三浦さん働きすぎじゃん。先月有休まとめてとってたけどあんまり休まらなかった?」
「寧ろその連休で生活リズムがゴミになりました」
「そんな夏休みの大学生みたいな……」
「実際それに近いかも。とにかく仕事が原因の睡眠不足じゃないので……最近はそこまで激務でもないですよ、ほんとに」
 三浦さんは俺をじっと見て、用事はこれだけ? と首を傾げる。俺は喋る内容を整理してから来なかったことを早くも後悔しつつ、始業時間が迫っているので非常に焦っていた。やばい、早く何か言わないと。
「え、っと、……お昼予定なければ一緒にどうかなって!」
 たちまち彼の表情が柔らかくなって、なんだかむず痒い気持ちになる。だってこんな、たかだかお昼に誘った程度で嬉しそうにしてくれる。酷いことを言ってしまったのに俺が謝るまでもなく笑いかけてくれる。謝るタイミングを探っているこちらとしては微妙に罪悪感が刺激される状況だ。
「もしかしてそれでわざわざ誘いに来てくれたんですか? ありがとうございます。メッセ送ってくれればよかったのに」
「三浦さんだって最初は直接誘いに来てくれたじゃん。ほら、初心に返る的な」
「ふは、なんすかそれ」
 三浦さん、まるで昨日のことは忘れてしまったみたいに振る舞っているけどきっと違う。敢えて触れないようにしてくれてる。申し訳なくて心にちくちくと針を刺されている気分だ。何の説明もできていない自分が不誠実で嫌になる。けれど正直なことを言うなら、俺のこの気持ちを打ち明けることはしたくない。だってそしたらきっと今度こそ――これまでみたいには、できなくなるから。
 始業のチャイムが鳴って、俺はそそくさと自分の席へと戻った。三浦さんは、やっぱり最後まで笑顔のままだった。

「そういえば、ホワイトデーのお返しの話なんですけど。今年ってバレンタインもホワイトデーも休日でしたね」
「あ、ホワイトデーも休みなんだっけ?」
 そこそこ広いイタリアンレストランの四人席をゆったり使ってランチタイムな俺たち。三浦さんが当たり前みたいにホワイトデーの話を出してきたから、その話まだ有効だったんだ、と内心でほっとした。
 だったら尚更早く謝りたい。三浦さんが俺と一緒にいることを選んでくれているうちに。
 そんな風に思いながら、俺は「そっか、じゃあ――」と言葉を続ける。
「今度は三浦さんの家に行く番じゃない?」
「……いいんですか?」
「前回俺の家来たじゃん。順番ね」
 こくり、と頷く三浦さん。これはOKってことだよな。よかった。三浦さんは珍しく言葉少なだったけれどどことなく嬉しそうに見えて、そのことを可愛いなと思う。今ならこの勢いに乗って謝ることができそうだ。
「あの、三浦さん。なんか昨日はごめん、変な空気にしちゃって」
「え? いや、別にそんな……謝らないでください。これまで人間関係でトラブル起こしまくってきたくせに職場恋愛とか、地雷原に突っ込むみたいなもんですしね。兎束さん、忠告しようとしてくれたんでしょ」
 うわああ、ただの嫉妬で八つ当たりな俺の最悪すぎる発言を限りなく善意にとってくれてる……! 罪悪感で潰れそうだ。忠告なんてご立派なものでは全然ない。というか、三浦さんに対してそんなことできるような立場じゃないし。そもそもトラブルが起こるのは三浦さんのせいじゃない。彼がトラブルの中心にいるというだけの話で、彼が起こしているわけではないのに。
 俺が曖昧に苦笑いしている間にも、三浦さんは穏やかな口調で喋り続ける。
「兎束さん的にはおれがこういう風に思ってるの嫌かもですけど……ここを嘘ついたり誤魔化したりしても仕方ないかなって」
 図星を指されて内心ぎくりとしている俺をよそに、三浦さんは、「おれって諦め悪かったみたいです」と小さな声で言った。
 どういう意味だろう。というか、なんで俺が嫌がるって思った? もしかして、職場で騒ぎを起こされたら面倒とか俺が考えてるって勘違いしてる感じ? 
「あの、三浦さん。俺別にトラブル起こされるのが嫌とか思ってないよ。三浦さんが気を付けてるの知ってるし、三浦さんのせいじゃないってちゃんと分かってるから」
「え? あ、ありがとうございます……?」
 三浦さんが首を傾げながらお礼を言ってきたので、なんだか微妙に会話が噛み合っていないような気がしつつもこれ以上この話を掘り下げるのが気まずくて話題を一旦打ち止めにしてしまう。
 ちゃんと謝れたのにすっきりしない。当たり前だ、俺は、謝りはしたけど理由は説明できていない。どうしてあんな酷いことを言ってしまったのか打ち明けることができないし、なんなら三浦さんがどうしてあそこまで傷付いたのかも分からない。確かに彼は感情表現が豊かな人だけど、俺なんかの言葉であんな……泣きそうな顔をする理由は、想像できなかった。
 三浦さんの昨日の表情を思い出して苦しくなった。胸に何かつかえているみたいな、息がしづらい感じ。好きな人にあんな顔させたくなかったし、好きな人に嘘ばかりついているのが苦しい。
「――兎束さん? 大丈夫?」
「っ……、大丈夫。ごめん、ぼーっとしてたわ」
 じっ、とこちらを見つめてくる三浦さん。誤魔化されてくれないかな、と緊張で体がほんの少し強張った。数秒待って、三浦さんが静かに微笑む。
「大丈夫なら、よかった」
「う、うん。大丈夫、ありがとう」
 返事をしながら、鉛のような重さを呑み込む。報われない苦しみから必死で目を逸らした。
 ホワイトデーまであと二週間もない。三浦さんはホワイトデー当日までの間、俺のこと考えてくれたりするのかな。バレンタインのときの俺みたいに、プレゼント選びで悩んでくれたりするのかな。
 ……ちょっとでもそんな風に思ってくれるなら、泣きたいくらい嬉しいかも。

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