羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 その日の就業間際、なぜか三浦さんプラス営業部の何人かと一緒に上司に呼び出された俺は、小さな会議室の中で、普段顔を合わせることは滅多にない開発部側の部長の上機嫌な笑顔を見つつある報せを受けた。
「急な呼び出しで戸惑ったかもしれませんが、ここにいるみなさんは昇格が決まったため集まってもらいました。おめでとうございます」
 メンツが謎すぎたけどそういうことか。周りが年次上の人たちばっかりだから何かと思った。
 昇格の説明と、来年度も頑張れという激励を受けて、定時になったので解散――かと思いきや、上司に呼び止められる。
「標準モデルよりも早めに昇格推薦したからプレッシャーもあるだろうが、引き続き励んでくれ」
「あ……ありがとうございます。想定より早くてちょっと驚きましたけど、頑張ります」
「お前は成績もきっちりあげてるし、優秀な若手はさっさと昇格させておかないと下が詰まるからな。来年辺りメンターをやってもらうことも考えている」
 うわー忙しくなりそう……と思いつつ上司との会話を続ける。意識の端で、どうやら三浦さんも残って開発部長と何か話をしているらしいことを把握した。会話が途切れたところに、同じように話を終えたらしい三浦さんを上司が目に留める。
「ん? そういえばここは同期だったか」
 なんだか覚えのある流れだなあ、と俺は頷いて「そうですね」なんて無難な返事をする。上司が三浦さんと話していると、開発部長も話に交ざってきた。
「そう、三浦くんは院卒だからもうすこし早く昇格させたかったんですけどね、技術力は申し分ないですし」
 上司が、「ああ、割と前から話出てましたね」と相槌を打ったので、一応学部卒と院卒でその辺りの扱い違ってくるんだなー、とぼんやり思う。
「情シスは部署自体がちょっと特殊なのでチーム精神とかの項目で評価がつけにくくて。ちょっと前に社内ツールをリビジョンアップしてくれましたけど、あれは営業側のフィードバックを受けてのことですよね? こちらにも報告入っていましたよ。評判も上々でしたしそこを加算しておきました」
 三浦さんは、そつのない受け答えでお礼を言っている。佐藤、ファインプレーじゃん……。あの頃まだ三浦さん猫被ってたし、猫被るのやめてからだとたぶん今回の推薦のための評価加算に間に合わなかった。
 上司たちが会議室から出て行くのを見送って、俺は隣にいた三浦さんに声をかける。
「昇格おめでとう」
「兎束さんもおめでとうございます。なんか思ってたより早くて驚きましたね」
「そう? 三浦さんは普通に分かるけど。在宅勤務申請アプリ作ったりとかめちゃくちゃ仕事してるじゃん。割と前から昇格の話出てたって言ってたし」
「仕事っていうか……社内ツール作ってたのはあれ別に本来の業務じゃないですよ。不便だったんで勝手に作りました」
「えっそうだったの」
 驚いた。本来の業務じゃないのにあんなに色々作ってたのか。仕事熱心すぎない?
「まあ片手間で作ったやつですし……本来の業務だったらもうちょいクオリティ詰めますって。ツール独り占めしとくのもアレなんで公開してただけ。ツールとして承認された後の作業は業務に含まれてますけど」
「ほんっとにただ作るのが好きなんだね……」
「趣味ですからね。在宅勤務の申請のやつもさー、いちいち上司に在宅申請して許可出たら自分の予定登録して、って聞くからに面倒そうだったから上司の承認で自動的に予定が登録されるようにしといたのにおれは全然在宅勤務できないし。世の理不尽を感じます」
「はは……でもほら、出社勤務者と在宅勤務者が一覧で分かるようにリストされてるの分かりやすいなって思うよ。出社してても便利だよ」
 俺は、会話をしながら、こうやって同じタイミングで昇格できてよかったな、なんて思っていた。だってほら、こういうことができるから。
「せっかくだし昇格祝いしない?」
「ん、いいですね。美味しいもの食べる会とか?」
「そう。美味しいもの食べる会とか」
「焼肉か寿司がいいです、お祝いっぽいので」
「その二択なら寿司かなー」
 喋りつつ、定時過ぎたし今日は早めに帰ろうかな……と思いながら会議室を出る。
 そしたら、今まさに会議室に入ってこようとしていたらしい女性とぶつかってしまった。
「うわっ、すみません……あれ?」
「う、兎束くん……! あの、三浦さんがここにいるって聞いて」
 そこにいたのは、いつだったかの同期飲みで三浦さんと盛り上がっていたコールセンターの子だった。俺の後ろから、「いますけど、おれに何か?」と三浦さんが顔を出す。
「あのっ、三浦さんもう帰る?」
「帰っても大丈夫。どうかしました?」
 ほっとしたような顔になった彼女が言うには、定時になったから帰ろうとしたら外に出たところで男に付きまとわれて、慌てて会社に逃げ帰ってきたらしい。三浦さんは、ものすごーく嫌そうな顔をした。
「うわー、最悪。知り合いですか?」
「全然違う! というか、たぶんこのビルの清掃に来てる派遣社員さん? っぽいんだよね。前からちょっと嫌な感じだったんだけど、じーっと見られるだけで話し掛けてくるわけでもなかったの。でも今朝突然挨拶されて! 無視するのもなんか……なんか自意識過剰っぽいじゃん?」
「無視していいですよそんなの、明らかやばい奴じゃないですか。現に無視しなかったから調子に乗って待ち伏せとかしてるんでしょ」
 なんだか大変なことになってきたな、と思いつつ、立ち去るタイミングを完全に逃してしまったのを感じる。協力できることがあれば俺も何かする、って感じでいいかな。まあ、男が二人がかりで出張っていかなきゃいけないとしたらかなり事態が進行しちゃってる気がするけど。
 こちらも嫌そうな顔をしている彼女は、「変に冷たくしたらそれはそれで逆恨みされたりするから……」と疲れたような声を出す。
「まだビルの入り口のとこにいるっぽいんだよぉ、三浦さん一緒に来てくれない!? なるべく強そうな感じで!」
「なるべく強そうって何、おれ筋肉そんなないですよ。あー待って、確かデスクにピアス入れっぱにしてるからそれ取ってきます」
「なんで職場のデスクに……!?」
「や、前に諸事情でピアスつけられるだけつけて出社したことがあったんすけどー……耳が重くて外しておいたら全部忘れて帰ってそのまま」
 あれっ、もしかしてそれ俺のせいだったりしない? 諸事情、俺のことじゃない?
 三浦さんは、「待っててね」と言ってさっさと自席の方へと歩いていってしまった。二人残された俺たちはなんとなく顔を見合わせる。
「……、三浦さんって優しいねぇ……」
「そうなんだよね、優しいんだよあの人」
 しみじみと呟いた。きっと彼女は、前に三浦さんと話したときに彼が『困ったことがあったら助けます』みたいなことを言っていたのを覚えていて、それでここまでやってきたのだ。三浦さんならきっと助けてくれると思って、頼ってきた。
 ちりっ、と胸が嫌な感じに騒ぐ。
 彼女はきっとすごく怖い思いをして、助けを求めてきたのに。俺が複雑な気持ちを抱く隙なんてないはずなのに。
「お待たせしました。兎束さんスミマセン、ちょっとこれ持っててくれませんか?」
「え? うん」
 手のひらを差し出すと、ジャラッと雑にピアスが転がる。三浦さんは慣れた手つきでどんどんピアスを装着していって半分ほどのピアスホールを埋めると、スマホのインカメラで自分の耳を確認した。
「よし、こんなもんでいっか。兎束さん、念のためなんですけど、おれたちが通った後そいつが変な動きしてないか確認してくれません? 駅まで送ったら会社戻るんで、待っててもらえると嬉しいです」
 分かった、と頷く。一緒にエレベーターを使って一階まで降りて、遠ざかっていく二人の背中をビルの自動ドアの内側から見守った。ビルの前の道には不自然に立ち尽くしている男が一人。……あの人かな。なんてことはない、普通そうな、俺たちと同じくらいの歳の男だった。
 三浦さんの陰に隠れるように歩く彼女は俯きがちで、ああ、やっぱり気丈に振る舞ってはいても不安なんだ、と分かる。距離の近さにも何も言えない。何も。大変なことが起こっているのに、三浦さんにはああいう感じの子がいいのかな、なんて変な想像ばかりしてしまう。
 男は特に変な行動をするでもなく、三浦さんを見て逃げるように駅とは反対方向へと走っていった。念のため外に出て行く先を確認してみたが、問題なさそうだ。
 さて、俺はこれからどうしよう。ここから駅までは五分くらい、三浦さんはまた戻ってくると言っていた。
 少し考えて、俺は道路の目の前にあるコンビニに入る。ここの前の道を通らないと駅には行けないから、もし男の気が変わってこちら側にやってきたりしたら適当に足止めしてみよう。

「兎束さん!」
 道の向こうから三浦さんが駆けてくるのが分かったのでコンビニの外に出る。どうやら彼女は無事に帰れたらしい。
「お疲れ三浦さん。大丈夫だった?」
「問題ないです。なんかスミマセン、巻き込んじゃって」
「いや何言ってんの、三浦さんだって巻き込まれた側じゃん」
 それもそうでしたね、と笑う三浦さんの息が少し上がっていて、もしかして急いで帰ってきたのかな、と少し不思議に思う。そういえば俺、なんで待っててって言われたんだっけ?
「この後も何かするんだっけ?」
「え? なんでですか?」
「『待ってて』って言わなかった? 俺なんで待っててって言われたの?」
 はた、と三浦さんの動きが止まる。
 ……え、フリーズしてない? 俺何か変なこと言った?
 どんどん不安になってきて意味も分からず謝りそうになった瞬間、三浦さんが小さな声で呟く。
「や、あの、スミマセン。完全に無意識だったっていうか、一緒に帰ろうかなって……確かに兎束さん先帰ってても全然よかったですよね。うわー……無意味に残らせちゃった……」
 急いでましたか? と申し訳なさそうな顔をされて慌てて首を横に振る。嬉しくなるからそんなこと言わないでほしい。俺にとっては無意味なんかじゃないよ。三浦さんが俺に対して何か思ってくれたなら、それは全部意味を持つよ。
 というか、三浦さん忘れてるかもだけど半分残ったピアス俺に預けたまんまだからね。この人仕事以外だと割と抜けてるとこあるよな……。
「……はは。じゃあせっかくだし、一緒に帰ろうか?」
「! う、ん」
「何、歯切れ悪くない?」
「反省会中なんです。分かって」
「そうなの? 俺は嬉しかったりしたんだけど、反省しちゃう?」
 三浦さんは俺の言葉に黙ってしまった。そして、「嬉しくなっちゃうから甘やかさないで……」と小さく漏らした。
 いや、その反応はずるくない? いくらでも甘やかしたいよ。
 気分の高揚をしっかりと自覚する。ついでに、自分の性格の悪さも。
 俺は、三浦さんがあの同期の彼女を駅まで送っていった後、俺のところに戻ってきてくれたことが嬉しい。そのまま帰るのではなくて、俺と一緒に帰ることを選んでくれたことが嬉しいのだ。
 結局俺も三浦さんに“選ばせて”、その結果に喜んでいる。
 あーあ。全部分かっててそれでもこんなに嬉しくなっちゃうんだから、ほんとに手遅れなんだろうな、色々。

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