羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 三浦さんはデザートまで綺麗に食べ切って、「はー……めっちゃ食べた。ごちそうさまです」と満足そうにため息をついた。確かに、普段の彼を考えるとかなり食べてくれた方だ。俺も久々にがっつり料理できて楽しかった。
 片付けくらいはせめて手伝いますと言われたのでとりあえず食器だけ下げてもらった。けれど一人暮らし用のキッチンは成人男性が二人並んで作業ができるほど広くはない。三浦さんには悪いけど、おとなしく待機しておいてもらおう。

「三浦さーん、お待たせ……三浦さん?」
 皿を洗ってキッチンを整頓して、想定よりも少し時間がかかってしまったので急いで部屋に戻ると、何やら三浦さんが小さく縮こまっていたのでぎょっとする。そんなに飲んでた感じしなかったけど、具合悪くなっちゃった?
 数歩近付いて、ん? と足が止まった。三浦さんは、俺が用意した大きなクッションをぎゅっと抱き締めて、ベッドの側面に崩れるみたいに寄りかかって、すやすやと寝ていたのだ。
 うわ睫毛長いなと一瞬現実逃避して、ふつふつとひとつの感情が込み上げる。
 ――あんたを好きな人間の家で無防備に寝るな!!
 理不尽にもそう思ってしまった。この人、警戒心ゼロ、というかマイナスなんじゃないだろうか。今日初めて来た他人の家でよく寝られるな。
 というか絶対お腹いっぱいになってはしゃぎ疲れて寝た感じだよね。人の気も知らないで……なんなんだほんとに……。
 どんどん理不尽な感想が浮かんでくる一方で、もしかして疲れちゃったのかもしれない、このまま寝かせておいてあげたいな、みたいな気持ちもある。でも正直、今の俺にはそれがただの親切心なのか、あわよくば泊まっていってほしい下心なのか判別ができなくなっている。
 いや、真面目な話をすると泊まりはナシだ。布団なんてないし。何より俺の身がもたない。三浦さんの意識のない今ですら、心臓がこんなにも煩いのに。
 せっかくなので、息を潜めて三浦さんを観察する。相変わらず綺麗な顔だ。ものぐさの割にそれなりの手入れをされている顔。人に注目されることが多くて手入れが習慣付いたのかもしれないし、ひょっとすると元カノに手入れしろと言われたのを今でも律儀に守っていたりするのかもしれない。普段はカサついていることもある唇は今は料理の油分で潤っていて、思わぬ作用につい笑ってしまった。……にしても、眼鏡もなしで目閉じてると童顔に拍車がかかるな。大学生っつっても通用しそう。
 いつの間にか、吐息がかかるほど近付いてしまっていることに気付く。
 もし今この瞬間三浦さんの目が覚めたら、俺はどう言い訳をするつもりなのだろう。本当に隠す気があるのだろうか。無意識にしたってこんな不用意に近付いて、三浦さんに気持ち悪いとか思われたら傷付くくせに。
 自分の体をゆっくり離す。大丈夫、コントロールできている。まだ――大丈夫。
 ふ、と緊張で詰めていた息を吐いた。
 ……よく考えたら三浦さん今コンタクトじゃん。コンタクトで寝るのって確かよくなかったよな。早く起こさなきゃ。
「三浦さん、起きて」
 軽く揺すると、ぱちっと目が開いた。「んぅ……? ……うわ! あれ、おれ寝落ちてました?」寝起きの瞬間から元気だ。発音も明瞭だし意識もはっきりしてる。羨ましい限り。
「スミマセン、手伝いもしてないのに。ちょっと今日あんまり眠れてなくて」
「え、大丈夫? もしかして体調悪かった? 気付かなくてごめん……」
 自分の楽しいことばっかりで三浦さんのこと見えてなかったのかも、という可能性に心臓の辺りがひやりとした。けれど三浦さんは慌てたように首を振って、「んっと、緊張してた……ので」と照れ笑いしながら呟く。
「そういやチョコ貰うときも言ってたな、緊張してるって……なんで? こういうの貰い慣れてるっぽいのに」
「なんでだと思います?」
「質問に質問で返すのはちょっとずるくない? なんだろ、自分の好きな味じゃなかったときにどうしようか考えてたとか? 三浦さん態度に出るもんな」
 何の気なしの発言だったのだが、予想外に微妙な顔をされてしまった。「兎束さん大丈夫? 何か嫌なことありました? おれでよければいつでも相談乗りますよ」あれ、もしかして引かれてる!? 一般的な思考じゃないのかこれ……。
 どうやって外面を取り繕うか考えてばかりの人生だったから、こんな心配そうな顔をされてしまうと若干気まずい。というか、確かに三浦さんだったら変に誤魔化したりしないか。失礼だったな。
「ごめんごめん、降参。教えてよ」
「えー。もうちょっと考えてほしいです」
 三浦さんは、「あとちょっとだけでいいから、おれのこと考えて」と言って微笑んだ。さっきまでの幼い口調とは違う、どこか切なさを感じる声。
 考えてるよ。たぶん三浦さんが想像してるよりずっと三浦さんのこと考えてる。そして、それに気付かれていないことに安心してる。一生気付かないでいてほしいけど、言ったらどんな反応するかなって思ったりもする。
「……じゃあ、もうちょっと仲良くなったら教えて」
「もうちょっと?」
「うん……もうちょっと」
 いつかの三浦さんを真似してそう言ってみると、「お互いの家を行き来するの、割と仲がいいと思うんですけど」と笑いながら返された。
「そうだね」
「もっと仲良くなれそうですか?」
 ふと、泣きたくなってしまった。三浦さんとの関係はここで行き止まりだったから。
 進む先なんてきっとない。
 普通だったら、そのことに不満を抱いたりしない。
「……なれるといいな」
 ぽつりと呟く。叶わない願いを込めて。そして、三浦さんに何か言われる前に努めて明るい声を出した。
「そういえば、ホワイトデーがこんなに楽しみなの人生初めてかも。期待しちゃおうかな」
「――、あんまりハードル上がると厳しいかも……ですけど」
 一瞬の間を置いて、なんだか意外な反応がきたので「えっそんな深刻な感じにならなくていいよ」と思わず突っ込んでしまう。自信満々に『任せて!』って言うかと思ってた。
「一応言っとくけど高級品とか用意する必要ないからね……?」
「そういう方向性じゃないです。んー……兎束さんがおれのこと好きなら気に入ってくれるかも?」
「なーんだ。それなら絶対気に入るじゃん。変に勿体ぶるからなんなのかと思った」
 そんな風に言い切ってから、三浦さんの瞳が驚きに見開かれたのでぎくっとする。うわやばい、今完全に思ったまま全部口から出た。どうしよう、三浦さんに影響受けてる気がするんだけど!
 かと言って今から訂正するのもおかしいし、というか訂正する部分がないし、誤魔化すのもなんだか嫌だったのでやけっぱちでにこーっと笑ってみる。
「あー……これでおれの聞き間違いっていうか勘違いだったらとんだ恥晒しなんだけど……」
「え? 何が?」
「なんでもないでーす。空振りしたらせめて思いっきり笑ってください」
「気になるなぁ……」
 これ以上詮索するのもなんだし、一ヶ月後を楽しみに待つことにしよう。
 いつまで“次”の約束ができるかな。
 今の俺は、それを考えるのが怖くて、その不安を心の奥底にそっと押し込めた。

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