羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ココアを飲み切った三浦さんに、「ホワイトデー、頑張って考えますね」と言われて、今更ながらそのことに思い至った。そうだ、バレンタインってお返しの文化があったんだった。俺が変なこと言い出したから逆に面倒事増やしちゃったかな。別にお返しとか気にしなくていいのに。
 ……いや、そりゃお返ししたいって思ってもらえるのは嬉しいよ。めちゃくちゃ嬉しい。でも、それを強制したくはないなと思う。
「あの、そんな気にしなくてもいいからね?」
「え、なんで? 気にするっていうか、おれがお返ししたいんですよ。迷惑……でしたか?」
「いや迷惑なんてことないけど全然! 嬉しいけど!」
 俺の力いっぱいの否定に三浦さんは驚いたようだった。目を丸くして、けれどすぐに笑顔になる。
「おれ、きっと兎束さんが想像してるよりもずっとずっと喜んでます。もしかして伝わってない? 結構分かりやすいって言われること多いんですけど……」
 ちょっと恥ずかしそうに視線を逸らすその仕草に胸が詰まった。三浦さんの言う通り、彼は分かりやすい。気持ちを表現することも惜しまないタイプだ。さっきのはただ、俺が不安になってしまっただけ。迷惑がられてないか保険をかけてしまっただけ。そんなわけないのは見てれば分かるのに。
 失礼なことしちゃったなと反省する。伝わってないかも、なんて一瞬でも思わせてしまった。
「三浦さん、変な遠慮しちゃってごめん。お返し……楽しみにしててもいい?」
 三浦さんはにこっと笑って、「楽しみにしててくれるの? 嬉しいです」と言ってくれた。屈託のない笑顔だった。
「でも兎束さんって甘いものそこまで好きって感じでもないですよね?」
「あー、そうかも? 別に嫌いじゃないしあれば食べるけどね。あとはやっぱ疲れたときとか無性に食べたくなる。コンビニのさー、アーモンドチョコ? あれ美味しい」
「ん、おれナッツ系詳しくないんですよね……残念」
「そうだったんだ。チョコならなんでもいけるのかと」
「好みはありますよ。おれは普通に甘くて口どけのいいチョコが好きです。アルコール使ってるとテンション上がる。だから兎束さんのチョイスすごいなって思いました、おれ何も言ってないのに」
「べた褒めされると照れるから! そっかー、俺はナッツとかドライフルーツとか色々入ってるやつが割と好きかも」
 どうやら三浦さんは、色々と具材……具材? の入ってるチョコは、チョコではなくその具の方を食べている気分になってしまうからあまり選ばないらしい。なるほど、確かにアーモンドチョコとかって最後に口に残るのチョコじゃなくてアーモンドだもんな。
「んんん、んー……兎束さんってミニマリスト目指してたりします? 家に物が増えるのいや?」
 え、もしかして物くれようとしてる!? 何を!?
 驚きと期待で一瞬返事が遅れてしまったせいで、三浦さんは慌てたように「あ、えっと、スミマセン。忘れて」と言葉を引っ込めようとする。いや待って、驚いただけ! 驚いただけ!
「謝らなくていいから……! 三浦さんがわざわざ、形に残るもの候補に入れようとしてくれたことにびっくりしただけ」
「……びっくりしただけ?」
 三浦さんは、「早とちりしちゃいました」とはにかみながら俯いた。うわー、もう、好きだ……。
「いやでも、確かに急に重すぎましたね」
「それを言われちゃうとこんな本気度高いチョコを用意しちゃった俺の立つ瀬がないからさ……」
「嬉しかったからいいんですよ、それは」
 妙に真面目くさった顔で三浦さんが言うものだから思わず笑ってしまう。「俺も、三浦さんがくれるものだったら部屋に置いときたいなって思うよ」素直にそう言ってみると、俯きがちだった耳がほんのり赤くなっているような気がして気分がよかった。
「じゃあ、ミニマリストは目指してない?」
「目指してないって。まあ確かに三浦さんの家みたいに大きなコンポとかPC何台もとかあるわけじゃないけど」
「分かりました。んっと、兎束さんのPC見てもいい? ノートですよね?」
 急にどうしたんだ、と思ったけれど別に断るほどのことでもないので、ノートPCのケースを持ってきて三浦さんに手渡す。殊更丁寧な手つきで俺のPCケースを受け取った三浦さんは、すぐに中身を確認した。ちなみに、何の変哲もない内容だと思う。本体と、外付けのドライブと、電源コード。
 彼は三秒ほどケースの中を眺めて「ありがとうございます」とすぐさま返却してきた。
「え、どういう意味? 何かの儀式……?」
「そうですね、ホワイトデーの参考にしました」
「今のが!? なんなんだ……」
 俺には想像もつかないようなものをお返ししてくれようとしてる? ……も、もしかしてプログラミングの課題とかをお返しにしようとしてたり……!? いやでもPCのメモリとかじゃなくて外装を確認するのはやっぱりよく分からないな。
 内心戦々恐々としつつ、まあ俺が色々考えたって無駄だよなとすぐに気持ちを落ち着かせる。さっきは変なこと考えちゃったけど、たぶん三浦さんは、一生懸命俺の喜びそうなお返しを考えてくれるだろうと思う。そのくらいは思い上がってみてもいいだろう。だったら俺は、ホワイトデーまで楽しみに待つだけだ。
 気付けば家に帰ってきてから随分と時間が経ってしまっていて、俺は、緊張の中で三浦さんに夕飯をどうするかの打診をしてみる。この近くは歩けばそれなりに飲食店があるし、お酒が飲める場所もある。選択肢は少なくはない。でも、もしよかったら、という前置きで、こう言った。
「三浦さんが嫌じゃなければ、俺が軽く作ろうかなって思うんだけど……」
 もしかしたらチョコを渡すときより緊張してるかもしれない。自炊能力はそこそこだと思ってるし人に振る舞ったこともあるけど、好きな人にというのは初めてだから。
「えっ……兎束さんが作ってくれるんですか? わざわざ?」
「うん。ほら、宅飲みしたいねみたいな話したじゃん前。コース料理みたいなのは流石に無理だけど、普通の家庭料理とか、ちょっとつまみ作るくらいならできるから」
 嫌じゃなければ、なんて言いつつ実は色々と食材を買ったり下ごしらえしたりして準備は万端なのであった。あーやだやだ、下心が丸出しで恥ずかしい。だって外食だと人目があるじゃん。どうせ一緒にいるなら二人きりがいい。成就しない片想いをこじらせている身としてせめてもの我儘だ。
 だって三浦さん、こういうとき絶対快諾してくれるじゃん。めちゃくちゃ喜んでくれる人じゃん。期待させてよ。
 俺の祈りが通じたのか、三浦さんは俺にまったく懸念を抱かせる隙もない笑顔で「嬉しい! ほんとに?」と大喜びしてくれた。いや、想像の五割増くらいで喜んでくれてる……俺を甘やかさないでくれ……。
 陽のオーラが一層増した三浦さんと勢いのままに酒を買いに行って、「せめて酒代くらいは全額持たせてください」と頼み込まれて、帰ってきてからも「あの、横で見てていいですか?」「手伝えることありますか?」「黙ってた方がいい? 話し掛けてもいい? 集中できなくなっちゃいますか?」って俺の周りをちょろちょろする三浦さんに心臓を鷲掴みにされて、心臓の過剰労働を感じながらも夕飯は完成した。
 夕飯っていうか、つまみかな。もう何度も三浦さんと一緒に飲んでるし、彼の注文の好みもそこそこ分かっているつもり。肉をメインに何品かとポテトサラダに出汁巻き卵、調理の手間のかからない刺身。あとは前に三浦さんに貰ったリンゴをデザートに出してあげよう。バターで焼いてシナモン振って、バニラアイス載せる。手軽で美味しい。
「兎束さん、料理上手だったんですね……」
「人並みだってば。ありがとう」
 いただきます、とお行儀よく手を合わせた三浦さんは、出汁巻き卵を一切れ口に入れたかと思えば口元を綻ばせた。
「美味しいー……」
「三浦さんってほんと美味しそうに食べてくれるよね、全部」
「え? 美味しいから美味しい顔になるのは当たり前じゃないですか?」
「いやー、ここまで次も作ってあげたくなる反応ができるのってすごいと思うよ」
「そうですかね……なんか、あの、年齢不相応にはしゃいじゃって若干恥ずかしいみたいなところはあるんですけど……」
 そんなことない、かなり長所だよそれは。恥ずかしがらないで自信持ってほしい。
 三浦さんはお酒飲むときは白米がいらない派。俺は米がないと夕飯足りなくなっちゃうから、ちゃんと食べるようにしてる。自分でも出汁巻き卵を食べてみて、とりあえず人様に食べさせても怒られるような味ではないな、と一安心。普段は小食気味な三浦さんが、今日はしっかりめに食べてくれているのも嬉しい。
「三浦さん、美味しそうに食べてくれて嬉しい。ありがとう」
「みんな美味しいって言いますよ、これなら。おれだけが食べさせてもらうんじゃちょっと勿体なかったですね」
「そう? 俺は三浦さんに食べてほしかったから作ったんだよ」
 うかれてついそんなことまで言った。三浦さんはやっぱり嬉しそうに、「全部美味しいですよ、ほんとに」と眉尻を下げて笑う。
 ……さて、デザートもあるよってどのタイミングで言えばいいかな。
 きっと三浦さんはまたあのきらめく笑顔で喜んでくれるから、俺は高鳴る胸の鼓動を全身で感じながら、彼が食事をするのを幸せな気持ちで見守っていた。

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