羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「兎束さん、チョコどうぞ〜」
「わ、ありがとうございます。大事に食べるね」
 今週は、やっぱりというかなんというか呼び止められることが多かった。営業部の女子からは、全員に配る用の気軽な感じのチョコ。他部署のそれなりに仲良く喋る女子からは、友達感覚でその子のひいきにしてるっぽいブランドのチョコ。取引先の社員さんからは少し価格帯の上がったお歳暮的なチョコ。同期女子からはまた別で貰ったりして、お返しどうしようかなと頭の中で計画を練る。
 まあ、入社してもう数年経つしほぼ恒例行事って感じ。お礼を言うのもホワイトデーに合わせてお返しを選ぶのも慣れたものだ。
 恒例じゃなかったのが、どうやら今回のチョコのやり取りから三浦さんも面子に数えられるようになったらしいこと。
 つい頭を抱えたんだけど、どう考えても俺と一緒にいるから声掛けられる頻度も上がってみんな三浦さんの素に気付いちゃってるんだよな……!
 別に同期でもなんでもない接点なんてゼロっぽいところからも「あっ三浦さんいた〜!」と声が掛かっていて驚く。いつの間に知り合ったんだろう、と軽く探りを入れてみると、たまたま帰りにエレベーターホールで一緒になったとか書類の提出のときに何課か分からなくて聞いたとかそういう些細なところから知り合いになっていたようで。本当に、少しのきっかけさえあれば短時間でここまで仲良くなれちゃう人なんだな……と感心する。誰とでも仲良くできるタイプの人っていうのは世の中それなりにいると思うんだけど、三浦さんは一定ラインまで親しくなる速度が群を抜いていると思う。なんだろう、警戒心を解くのが上手いのかな。
「三浦さん、髪切ってから今日までの間で既にチョコ貰えるくらい仲良くなってるのすごいね……」
「そうですか? よく分かんないです。おれ会って二時間くらいでチョコ貰ったことあるし、兎束さんだってそのくらい仲良くなるの余裕でしょ?」
「いやいやいやちょっと待って、二時間って何」
 またうっすらやばいエピソードが聞けちゃう予感なんだけど。
 案の定三浦さんは特に感慨もなさそうに、至って普通の出来事ですよという感じで話し始める。
「ほら、おれチョコ好きでしょ。バレンタインの催事とか予定が合えば行ったりするんですよ。で、たまたま平日の開店直後に行ったとき人気ブランドの列に並んで」
「並んで……?」
「並んでる途中で前にいた女の人に話し掛けられたんです。暇だったから並んでる間ずっと喋ってて、結局その日一緒にチョコ見て回っておすすめ交換して帰りました」
「そ……れは、ナンパされたというやつなんじゃ……?」
「えー? 違いますよ。連絡先も聞かれてないし。好きなものが一緒だとなんだかんだ盛り上がりますよねー」
 うーん。たぶんそれ、相手の子は連絡先聞かれるの待ってたんじゃないかなー……とか俺は思うんだけど。どうですか。
 聞かれるのを待ってたというのは考えすぎにしても、三浦さんが聞いたらきっと喜んで連絡先教えてくれたと思うよ。それは確実だよ。
 こういう話を聞けば聞くほど、放っておけないなあ……! という気持ちがどんどん強固なものになってくる。たぶん三浦さんはいまいち自覚できてないけど、この人かなり危なっかしい。一人にしておくのが不安というか……「目の届かないところでとんでもない事態に発展してそう」感がある。
「……まあ、想像してたよりはマイルドな話でよかった……」
「え、なんなんですか急に」
「いや、寝てる間にピアスホールブチ開けられてたのと同レベルの話されたらどうしようかなって思ってたから……」
「ピアスホールに関してはおれの中ではまだマシというかかなりマイルドですよ」
「うわやっぱり? 三浦さんの反応からしてたぶんそうなんだろうなとは思ってたけど……あー、もー、気を付けてね……?」
 気を付けます、と素直にこくりと頷く三浦さんは可愛かったけれど、たぶん気を付けた程度じゃ改善しないんだろうな……。
 というか、それを考えると三浦さんがこうして見た目を変えて素のままで過ごしてるってかなりギャンブルだよな、リスク管理的には。俺と違和感なく一緒にいたいから、って嬉しすぎることを言ってはくれたけど、身を脅かされる危険と天秤にかけるには軽すぎるような気がして申し訳ない。
 だって俺は、三浦さんと一緒にいられるならどんな陰口だって我慢できたよ。
 まったく気にしないっていうのは無理だろうけど、でも、陰口叩かれてることを三浦さんに絶対悟らせないくらいの努力は惜しまなかったと思う。三浦さんと一緒にいることについて口出しされたら、言い返すくらいはしていたかもしれない。
 三浦さんと一緒にいるためなら八方美人を捨てるくらいのことはきっとした。
「あのー……三浦さんさ、大丈夫? 色々。猫被るのやめてから、何か嫌なこととか起こったりしてない?」
「してないですよ。なんで?」
「俺と一緒にいても意外って言わせないため、って言ってたじゃん、前。俺あれすごく嬉しかったけど、そのせいで三浦さんが傷付いたりとか、悲しかったりとかするのは嫌だなって」
 俺の言葉を受けて三浦さんは、「あー、もしかして気を遣わせちゃいました? スミマセン、適当に別の理由でっちあげとけばよかったですかね」と申し訳なさそうな顔をする。
「理由はおれが知ってればいいことですもんね」
「や、そんな全然! 知れてよかったよ。これは大げさに言ってるとかじゃなくて、本当に嬉しかったから……」
 ほっとしたような顔を向けられてとくとくと心臓の鼓動が速くなっていく。なんか、こうやって話してるだけでぽかぽかしてくる感じ新鮮だな。あったかい。
「兎束さん、心配しないで。一応髪切る前にキイチに相談したので!」
「え? そうなんだ」
「うん。『今なら大丈夫っしょ〜』ってすげー適当な返事されてぶっ飛ばしてやろうかなって思った」
 でもあいつは、おれが真剣に答えてほしいときはちゃんと答えてくれるから。三浦さんはそう言ってふにゃりと表情を崩す。
「だから兎束さんも安心していいですよ」
「……ふ。はは、そっか。キイチさんが言うなら安心だな」
 この人の笑顔を見るとなんだかこっちまで笑顔になってしまうから不思議だ。……いや、不思議でもなんでもないんだろうな。だって好きな人が笑ってたら嬉しい。きっと、ただそれだけの話なんだ。
「というか三浦さん、それ以上チョコ貰ったら持ち帰るのきつくない?」
「兎束さんの方が貰ってるじゃないですか」
「俺は持って帰る用の紙袋用意してるもん」
 チョコを抱えたまま「えー」って顔をしてる三浦さんはやっぱり可愛い。「昼休みに百均行くんでお昼ついでに付き合ってくれません?」なんてこちらの表情を窺ってくるのも可愛い。
「もちろんいいよ。にしてもそんな大量だと今日から食べ始めないと賞味期限危なそうだね」
 ふわふわした気分のまま何の気なしに発言をしたのだが、心底不思議そうな顔で「え? なんで?」と返されたので俺の方が首を傾げてしまった。
「『なんで』って……賞味期限切れるのはまずいじゃん」
「あ、そうじゃなくて。今年のチョコは、兎束さんから貰ったやつを最初に食べるって決めてるので」
 一瞬返事に間が空いてしまった。三浦さんはこちらをからかっているという感じでもなく、ただ純粋に、事実として、俺からのチョコを最初に食べると言っているようだった。
「……そんなに楽しみにしてくれてるの?」
 いかにもたっぷりの“溜め”を作って返事しましたよという風に咄嗟に取り繕ってはみたが、正直成功したかどうかは分からない。だって、三浦さんは間髪入れずに「楽しみですよ、もちろん」って笑ってくれたから。
 どうしよう、俺の返事を不自然に思われたりはしなかっただろうか。
 不安な気持ちと、嬉しいという気持ちと、あとは三浦さんにチョコを渡した女の子たちへの僅かな優越感。どうにもならない感情がない交ぜになって胃の中に溜まっていくような気がする。
 三浦さんが俺のことを他より優先させてくれるたびに嬉しい。
 たとえ深い意味はなかったとしても、それでも嬉しくなってしまうのだ。
 俺は、自分の部屋に置いてある綺麗にラッピングされたチョコレートたちのことを思い出す。自分なりにたくさん悩んで、頑張って選んで、買ってきた。今の俺にできる精一杯をあれに込めた。
 どうか、ほんのちょっとでもいい、三浦さんの記憶の端っこに残るバレンタインになったら――俺にとってこれ以上のことはないだろう。

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