羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 同期の女子が会議室を昼食用に予約していたらしく、若手で適当に集まってランチタイムが始まろうとしている。三浦さんは昼休み開始直後に急ぎ足でオフィスの外に向かっていたので何か用事があるのかな? と少し残念な気持ちで見送ったんだけど、十分と経たず再度会議室の前を通ったのを佐藤が捕捉して引っ張ってきた。三浦さんは俺を見るなり、「あ、兎束さんもいる」と笑った。
「三浦さん、なんかさっき急いでたけどどうしたの?」
「今日はキッチンカーが来る日だったんですよ。早めに並んでおかないと割と待つんで」
「え、キッチンカーとか出てるんだ? 知らなかった……」
「まあ来始めたの最近ですし。美味しいですよ、タコライスとタコスのお店」
 当たり前みたいに俺の隣に座ってくれることをじんわり嬉しく思いつつ、三浦さんが袋から紙のパックやら何やらを取り出すのを眺める。どうやら今日はたくさん食べる日のようだ。かぱ、とコーンスープが入っていた容器の蓋を開けて、ちょっと嬉しそうにしているのが可愛いなと思う。
 女性陣の会話が盛り上がっていたので、俺も買ってきた弁当を食べつつ耳を傾ける。どうやら、バレンタインのチョコレートを代表で誰が買いに行くか……という話をしているようだ。やはりというかなんというか、こういうのは若手の仕事になるらしい。上の代の人たちにさせるわけにはいかないけど新人に任せるのも可哀想……という感じ。買い出し担当のうちの一人らしき女子が、「せっかくだし自分用のチョコも買っちゃお〜っと。おつかいだけっていうのも味気ないよね」なんてうんうん頷いている。行き先は俺がこの間行ったのとは違う催事場のようだった。
 すいすいとスマホの画面を操作して出店ブランドを調べているらしい彼女が、「んん、自分の好みだけだと毎年代わり映えしないチョイスしちゃうんだよなぁ」とぼやく。新規開拓を狙っているらしい。
「ねー三浦さん、適当にどこか指さしてよ」
「はい? おれですか?」
「うん、適当でいいから。このままだと今年も去年とまったく同じチョコ買っちゃいそうなんだよね」
 おそらく隣にいたからというだけの理由で巻き込まれた三浦さんは、「どこのブランドが好きなんですか」と質問している。いくつか挙げられたブランド名を聞いて、数秒思案して、「じゃあ、……こことか?」と彼はその女子のスマホの画面を指した。
「あれ、もしかしてちゃんと考えてくれた系?」
「だって割といい値段するのに好みじゃなかったら悲しいじゃないですか。ここのトリュフ美味しいですよ、アルコールの風味がしっかりしてる」
「へー意外! 見た目じゃなくてブランド名でチョコ認識できてる男の人初めて見た」
 彼女はとても驚いた表情をしていたけれど、三浦さんはあっさりとした様子で「確かに割と詳しい方ではあるかもですね」とだけ返した。三浦さん、もうかなり同期の奴らとは喋れてるっぽい。それが改めて分かってなんとなくほっとした。
「詳しいのって、やっぱり大量に貰うから?」
「いや『やっぱり』って何? 普通にチョコが好きだからですけど……まあ大量に貰ってたからっていうのも否定はしません」
「やっぱりで合ってるじゃん! でも貰いすぎて困ったりしないの? 持ち運びとか」
「高校のときが一番量やばかったですけど女子が持ち運び用の大きい袋用意して詰めるところまでやってくれてたんで困ることはなかったですね。幼馴染に荷物持ち手伝ってもらってました」
「うわ、貴族……? いいなあわたしも美味しいチョコを合法的に貢がれたい。生まれ変わったらイケメンになりたい」
「ホワイトデーのためだけにバイトしなきゃならなくなりますよ」
「待ってウケる兎束と同じこと言ってるんだけど」
 うけないでほしい。というか変なとこから飛び火したな! 俺に!
「俺そんな話したっけ……?」
「してたしてた。みんなも覚えてるでしょ?」
「あー覚えてるわ。男の人って一人で何人にもお返ししなきゃいけなくて大変そーっていつも思う」
 斜め前から佐藤がすかさず、「いや、それはめちゃくちゃ貰ってる一部のモテる男だけだから! この二人みたいな!」とツッコみつつ笑っている。しかし、「いやー、アンタみたいなのも割と貰うタイプでしょ。分かってんのよこっちは」「義理チョコたくさん貰ってそう」「その中に混ざった本命に気付かなそう」「分かるわー」とすぐさま女子たちにツッコミの反撃を食らっていた。いい感じに話が逸れて一安心だ。佐藤、ありがとう。お前の犠牲は忘れない。
 また変に話の矛先がこちらに向いても困るので、目立たないよう適当に相槌を打ちつつ、控えめに会話に参加するに留める。いつの間にか、バレンタイン一色だった話題はすっかり切り替わった。
 やっぱりこういうときも三浦さんのことが気になってしまう俺である。どうやら先ほどチョコの話をした流れで隣の女子との会話が続いているらしい。ちらりと横目に見てみると、彼女は妙に改まった態度で口を開くところだった。
「……あの、ずっと気になってたんだけど三浦さんのピアスそれいくつ開いてるの……?」
「最近数えてないから分からないすね」
「いやピアスホールは数えてないからって増減しなくない? 待って今数えるわ今」
 同期の女子が手を伸ばしたのを見て、いやいやいやいや、と他人事ながら焦る。けれど三浦さんは特に拒否する風でもない。そうだよな、三浦さんこういうとき拒否する人じゃないもん……。いやでも、触るのはちょっとアウトじゃない? 同性でも耳は遠慮しない? 異性なら尚更じゃない? 彼女、そういや割と気軽にスキンシップとる人なんだよな……!
 もやもやしている間に、綺麗に整えられた指先が三浦さんの耳たぶに触れる。ぴくっ、と彼の肩が微かに揺れた。
「いち、にー、さん、し、ご……待って、片耳だけでこれってやばいでしょ」
「おれが自分で開けたやつひとつもないですよでも」
「え、どういうこと?」
「最初の両耳ひとつずつは幼馴染が開けてくれたんですけど、それ以外は……あー、歴代の恋人? が開けたいって言うので」
「…………三浦さんの恋人たち怖くない?」
「まあ耳たぶにそこまでこだわりないんで……なぜか頑なに開けたがってたし……最終的に耳にスペースなくなって舌にまで穴開けられたときはちょっと泣くかと思ったけど」
 若気の至りでオッケーしちゃったんですよね、と、起こったことに対してあまりにも軽すぎる感想だったので少し怖かった。そんな俺の心を読んだかのように、「いや怖! というか三浦さんが流されすぎてて怖い!」という頷くところしかない感想が聞こえた。わ、分かる……。
「二人目の人を許しちゃったのが全ての敗因なんすよ、幼馴染にピアスホール開けてもらった〜って言ったらなんか……対抗心? みたいな? ピアッサーで寝てる間にバチンッてされました」
「待って待ってしかも同意じゃないの!? 許したとかじゃなくて犯罪じゃん! 警察は!?」
「怪我したわけじゃないし別にいいかなって……綺麗に開いてたし寝てるとこ狙われたから痛いんだか痛くないんだかよく分かんなかったし……」
 この人対人絡みのやばい話がどんどん出てくるな。事前にある程度三浦さんの性質について知ってる俺ですら寒気を覚える。そのうち誘拐とか監禁とかされちゃいそうなんだけど。いや、寧ろ経験済みかもしれない。
 ……にしても三浦さん、前から思ってたけどかなり被害者意識が薄め……?
 なんだろう。自罰的……ではなくて、優しい……とも、たぶん違う。今までも違和感はあったけど、三浦さんって自分を害されることについて感慨があまりなさそうに見える。というか、そもそも“害”だと認識していないっぽい。許容範囲が極端に広いのだ。
「彼女できるたびに『前の彼女には開けさせたのに私は駄目なの?』ってめちゃくちゃ言われてぇ……なんかもう断る方が面倒だったんで。いやでも後半になればなるほど無理なのは仕方なくないですか? スペース的に。これ以上余った土地はありませんみたいな」
「こわー……」
「いやなんで引いてんですか。笑ってくださいよ」
「これを笑い話にするメンタルは持ち合わせてないって! ホラーじゃん! 女の怨念じゃん!」
 女の怨念の数のピアスホールじゃん……と怯えている女子に、律儀に「最初のふたつは除外してください」と言っている三浦さん。否定するとこそこなの?
 というか、三浦さんのピアスホール、キイチさんが開けたんだ……そっか……。
 また張り合っても仕方ないところに引っかかってしまっている俺は、「三浦さんが平気そうな顔してるのも怖いよー……私だったらトラウマになる」という彼女のぼやきに内心で同意する。けれど三浦さん本人は、事もなげに笑いながら言った。
「えー? だっておれ、昔からずっとそんな感じだったんで」
 ――あ。
 そっか……そういうことか。
 三浦さん、半分を諦めてるんだ。周りの人が傷付けられるのは必死に回避しようとしてるけど、残りの半分――自分のことは諦めてるんだ。というか、慣らされてしまったんだと思う。昔からずっと、周りが三浦さんのことを“そういう”風に扱ってきたから。
「…………身の安全に気を付けてね、ほんと」
「はは。ありがとうございます」
「はあ……昼休みがホラーで終わろうとしてるよー……」
「人の過去をホラー扱いしてくるこの人……クソ失礼……」
「仕方ないじゃん! ほら、兎束も私に同意してる顔だって! 見てみな!」
 ぱっ、と三浦さんが体の向きを変えてこちらを見つめてくる。俺はというと、見られることに緊張しつつも、許容範囲の広すぎる三浦さんにもそうなった理由はあるんだよな……と変に気落ちしてしまう。もっと自分のことも大切にしてほしいのに、実際彼の“嫌だ”と思う気持ちが麻痺してしまっているなら、すぐに変わるのは難しいというのも痛いほど分かってもどかしかった。結局、ただ見つめ返すことしかできない。
「いや、これはおれのことを心配してくれてる顔ですよ」
「三浦さん謎に兎束に対して甘いよね!?」
「そうですね、兎束さんなので」
「あっ、最後の最後でちょっと和んだかも。仲良くていいね」
「でしょ。羨ましい?」
 その台詞を口にしたときの三浦さんの表情は俺からは見えなかったけど、その表情を目にしただろう女子がなんとも形容しがたい、むず痒そうな顔をしたのは分かった。
「うぉあ……ほんと甘いね、ごちそうさま……」
 え、何、なんかめちゃくちゃ勿体ない表情を見損ねた気がするんだけど。どんな顔してその台詞言ったの、三浦さん。
 もう一度振り向いてくれないかな、とちょっとだけ念じてみた。別に本気で気持ちが通じるなんて思ってたわけじゃなかったのに、三浦さんは当たり前みたいに俺の願いを叶えてくれる。
「心配してくれてありがとうございます、兎束さん」
 彼の振り返りざまに見えた表情は、眉のちょっと下がった淡い微笑み。どきどきと煩くなる心音を頑張って無視しながら、俺は平静を装って「何かあったら、すぐに言わなきゃだめだよ」と言った。
「心配くらいいくらでもするから……一人で抱え込まないでね」
 三浦さんは、「……優しいですね」と囁いた。でもそれは『一人で抱え込まないで』に対する返事ではなかったから、俺はまたなんとも言えない気持ちになってしまった。

prev / back / next


- ナノ -