羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 今日の昼は三浦さんも一緒に佐藤から誘われて、最近ランチタイムが全席禁煙になったパスタ屋に来ている。前回誘われたときにメンタルやられてて断っちゃったから、今日は二つ返事でOKした。
 ……そういえば、三浦さんって佐藤にも割と“近い”んだよな。いや、俺と比べたら全然なんだけど。でも、他の大勢よりは確実に近い。ノリ合いそうみたいなこと言ってたし、もしかしてこういうタイプが好き? なんて若干モヤる。
 三浦さんはというと、なんだかげんなり顔……というか疲れたような顔でメニューを眺めている。まだ午前中しか終わってないのに。
「三浦サンなんかお疲れ? イケメンが翳ってるじゃーん」
「ええ……? あー、ちょっと午前中産業医面談受けさせられて……」
「産業医面談って残業多いと強制的にセッティングされるやつじゃん。そんな残業嵩んでんの?」
 佐藤の言葉に一瞬口を噤んで顔をしかめた三浦さんは、しぶしぶ……といった様子で口を開く。
「おれ急に髪切ってこんな風になったでしょ。残業のしすぎで頭おかしくなったと思われたみたいで本部長に面談ねじ込まれました。別にいいっつってんのに……」
「うわ反応に困る! 正直オレも初めは若干思ってたし」
「え、新事実なんですけど。そんなこと思ってたんですか」
「いやだってあまりにも様変わりするからさ!? 三浦サンがこんな典型的モテ男みたいな外見してんのこの世の不条理感じるもんオレ……」
「はァ〜? どこがすか。っつーかクソ失礼なんですけど」
「無自覚とは言わせねえよ!?」
「や、この歳になると普通にこう……もっと好青年っぽいタイプのがモテるでしょ。穏やかで優しくて安定してる感じの。おれ自分で言うのもなんですけどガラ悪そうだし」
「あーね。それはあるかも。三浦サンぱっと見女泣かせてそうな見た目してるもんね」
「いやさっきから失礼すぎませんこの人? 名誉棄損」
「飲み会断られ続けて傷付いた分くらいは仕返ししてもよくね!? マジで悲しかったんだからな!」
「仕様変更すぐ対応してあげたじゃないすか……まああれは仕事だけど……」
 三浦さんは「たらこクリームにしよ」とメニューを閉じる。佐藤はミートソース温玉のせ、俺はノーマルなたらこパスタ。店員を呼んでオーダーをしてからも、二人は会話を続けている。
 二人の会話を聞いていると、当たり前っちゃ当たり前なんだけど俺が三浦さんと会話するときとは全然雰囲気が違って驚く。なんか少し雑じゃない?
 佐藤も似たようなことを考えていたようで、「兎束〜! ねえ! 三浦サンお前と喋ってるときと全然態度違うんだけど! 優しくない!」なんて主張してくる。いや、優しくないっていうか、気安い感じに見えたんだけど。
「優しくないってわけじゃないと思う。気楽に喋れてる感じ」
「え〜……そうなの? 三浦サン」
「佐藤さんおれの幼馴染になんとなく雰囲気似てるんですよね。それでつい雑にしちゃうのかも、話しやすくて。スミマセン。気を付けます」
 問いかけに申し訳なさそうな声で返答する三浦さん。佐藤はというところっと態度を変えて、「えっそうなの? オレ話しやすい? じゃあ別に気を付けなくていいよ!」とたちまち笑顔になっている。さっぱりとしていて付き合いやすい奴なのだ。確かに俺も、居酒屋で喋るキイチさんを見たとき、ちょっと佐藤に雰囲気が似てるなと思った。
「でもやっぱり見てると兎束には特別甘いよね、三浦サン」
「ん、その辺りはちゃんと自覚あるんで大丈夫です」
「自覚あったんだ……まあそれもそうか……でも二人が仲良くなってよかったわ。兎束なんて最初の頃『三浦さんに嫌われてるかも』ってごちゃごちゃうるさかったのにな」
 おい、余計なこと言うなって! というか軽々しく“特別”とか言うな! 期待しそうになるから!
 案の定三浦さんは、「え、それっておれが態度悪かったから……ですよね……?」とほぼ確信に近いような疑問形で問いかけてくる。
 そう言われちゃうと確かにその通りなんだけど、その通りなんだけど……! でも、あれがなかったらたぶん俺はこの人のことを好きになってない。最初に優しく対応されてたら、新人の子がPCのセットアップ失敗したときも、『あの人は優しい人だからついでに色々教えてもらうといいよ。次からはスムーズにいけると思う』とかなんとか言ってたはず。となると俺は三浦さんの舌に埋まったピアスにも気付かないままだった。秘密を共有することもなかったし、きっと今ほど仲良くなれてなかった。
 色々な偶然が積み重なって、俺のこの気持ちは生まれた。しんどいことはもちろんあるけど、“好き”という気持ちをなかったことにはしたくない、と思えるようになった。だからそんな不安そうにしないでほしい。
「確かにあの頃は嫌われてんのかなって思ってたけど、今はそんなこと全然思ってないから安心してよ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。っつーかこれで実は嫌われてましたとかだったら人間不信になるし三浦さんの演技力に脱帽する」
「それは絶対にないから!」
「これ言っちゃうのもめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど三浦さん見てれば分かるよね……まあ……」
 演技だったら泣くよ俺。恋愛的な意味じゃなくても泣く。
 恥ずかしさを持て余している俺をよそに、三浦さんは「分かっててもらえてよかったです」なんて真面目な顔で言っていた。この人の照れどころも謎なんだよな。今はそのタイミングじゃなかったの?
 正面から「三浦サンって結構な人たらしだよね……」という佐藤の呆れたような声がする。それに関しては完全同意だ。
「それ、よく言われるんですけどいまいち原理は分かってないんですよね」
「んーなんだろね? 表情……仕草……いや、声? よく分かんない、なんかこう、全体的に?」
「ふわふわじゃないすか」
「しっかり説明できてたらオレが実践してるもん。変な人に好かれやすいのも分かる、好きんなっちゃうわこんなん。絶妙だよね」
 三浦さんは「好きになってもらえるのは嬉しいですけど変な好かれ方するのは困ります……」と言い、「おなかすいた」なんて調理場のあるらしき方角に視線をやっている。
 結局、パスタが届くまで二人の会話は思いの外途切れず続いていた。聞き役よりも話し役をすることの多い彼らなので自分の中で納得はしているけれど、やっぱりちょっと羨ましかった。

 佐藤は昼飯食って直接取引先に向かうとかで店の前で別れることになった。残された二人で並んで歩く。三浦さんの声は優しくて、ゆったりしてる。俺と話すときだけの声かも。佐藤と喋ってるときとは全然違う。
「佐藤に雑にするなら俺にもしてくれてよくない……?」
「え、どうしたんですかいきなり」
「だって俺の方が素での付き合い長いのに全然雑にしてもらえないなと思って。隙を見せてもらえたみたいで俺は割とぐっとくるんだけど」
 頭の中で、いやいや俺がぐっときたからってなんなんだよ、と自問自答を続けている。けれど、耳に飛び込んできた三浦さんの言葉に、すぐそれどころではなくなってしまった。
「雑じゃないって……それはそうですよ。兎束さんと喋るときはいつもより気を遣うので」
「えっ……う、嘘、気ぃ遣ってんの?」
 あまりにもショックな事実だ。いくら幼馴染に似てるボーナスがついてるにしても、最近ようやく三浦さんと喋り始めた程度の佐藤より気を遣われてるとかショックすぎるんだけど!?
 三浦さんは俺が顔色を変えた理由が分かっていないようできょとんとしていたけれど、「……俺、そんな気を遣わせるようなこと何かしちゃってた……?」とおそるおそる聞くと、慌てたように距離を詰めてくる。
「あ、違いますよ……!? 気を遣うって別に嫌な意味じゃなくて、……兎束さんには、おれの全部で優しくしたい、ので」
 今度はあまりにも嬉しい内容が聞こえてきた気がして、思わず三浦さんの唇の辺りを見守ってしまう。少し乾燥気味に見える唇は、白い息を吐き出しながら言葉を紡いでいく。
「おれ、兎束さんみたいに気の回る人間じゃないから……大体のことは誰かにやってもらう側だったし、喜ばせてもらう側になっちゃいがちだなって思ってて。でも、兎束さんにはおれも、何でもいいから喜んでもらえるようなことしたい、し……上手に優しくできたら、喜んでもらえるかな、とか……」
 いつもよりたどたどしくつたない言葉選びは、三浦さんがどれだけ思考を重ねて俺に向けて喋ってくれているのかがよく分かるものだった。所在なさげに彷徨う視線は少し不安そうで、でも、彼は言葉にすることを諦めたりはしない。
「別に他の人たちを蔑ろにしたいわけじゃなくて、兎束さん専用の優しさ? みたいなのをおれのこの辺りに確保しておきたい的な……んー」
 彼はコートの上から自身の心臓の辺りを何度か撫でて、もどかしそうに続ける。ぴったりの言葉を見つけようと悪戦苦闘している。
「……なんか上手く言えないんですけど。おれがこうやって頑張ることを続けたら、兎束さんの中でのおれの印象? 好感度? アップするかな、好きになってくれるといいな、って思う……ます、……んん。思います」
 あー恥っず、といつもの調子に戻って笑う三浦さん。なんでこんなガチで答えてんだろ、引いた? なんて言いながら。
 引かない。引くわけない。というか既にこんなに好きなのに、これ以上があったんだって感じする。
 ここまで大事に大事に扱ってもらったこと、きっと人生で初めてだ。
 さっき、一瞬でもショックを受けてしまった自分が恥ずかしかった。俺との関係がとても大切なのだということをこんなに真っ直ぐ伝えてくれる人、他にいない。俺がほんの一瞬隠しきれなかった不安に、真剣に向き合ってくれる人。
 喜びを噛み締めていたら、自然と言葉が口をついて出た。
「俺も――俺のぜんぶ使って優しくしたら、今より好きになってくれる……?」
 三浦さんはほんの少し目を瞠った。心臓がばくばくと煩くて、気持ちが渋滞して胸が詰まる。そのくせ口だけは冷静によく回って、まるでここだけ俺から独立してるみたい。
 ――彼はふんわりと口元を綻ばせると、蕩けるような甘い声で囁いた。
「既にかなり好きだと思ってたんですけど、まだまだ余裕で好きになれそうで自分でも驚いてます」
 俺も同じだよ、と言うことだけはどうにか堪えた。言葉は同じだけど、感情の種類は違うって分かってたから。それなのに心臓が温かい。ずっとこんな時間が続けばいいのにと思う。
 彼といると実感する。
 人間は、幸せで泣きたくなることもあるってこと。

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