羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 俺の予想通り、猫を被るのをやめた三浦さんはかなり好意的にみんなに受け入れられた。元々三浦さんと関わりの少なかった部署――営業とか管理本部とかコールセンターとか――の奴らは特に抵抗もなく、一時的に一緒に仕事をしてた開発部の奴らは、複雑そうにしつつもある程度の会話の後にじわじわ距離を詰めたらしい。
『三浦さんどう考えても陽の者じゃん! 騙された!』
『いや騙されたって人聞き悪……何? 陽の者って……』
『態度はクソ悪いけど同じ陰キャのよしみで「人との接し方難しいよね分かる分かる」って同情してたのに……』
『う。スミマセン態度悪くて。これからは仲良くしてほしいです』
『えっ素直じゃん……ほんとなんで陰キャぶってたの……ムカつくな……イケメンだし……』
『ぶってたっていうか、PCが趣味なのは別に嘘じゃないですよ。自作とかもするし。っつーかSEなんて全員陰か陽ならどう考えても陰じゃないすか』
『イケメンがPC自作できたらそれはもうただ機械に強くてかっこいいだけの人じゃん。オタクキモいとはならないじゃん。分かります?』
『めんどくせえこの人……』
『言っとくけど三浦さんの方が百倍めんどくさい人だったからね!?』
 ……とかなんとか。改めて思うんだけど、やっぱみんな素直な人は好きなんだよ。嫌いになる要素がない。これはちょっと面白い話なんだけど、元々あまり三浦さんに好意的な感情を持っていなかったっぽい、『今更何?』みたいな反応をしてた人の方が、時間が経つにつれて彼の人好きのする感じに抗えずぐでんぐでんになっていた。なんでだろ? やっぱりギャップにやられちゃうのかな。
 佐藤が気を利かせて直近で同期での飲み会を企画してくれて、案の定相当な質問責めに遭った三浦さんはそれでも楽々会話をさばいていたし。どうやら彼の中でかなりの心境の変化があったらしく、昔から過激な人に好かれやすくて散々な目に遭ってきたこと、前職もそのせいで辞めざるを得なかったこと、ヤケになって人間関係丸ごと拒絶してしまったこと……等々、ざっくりとみんなに説明していた。
『……実際みんなと接してもいないのに先回りで警戒しちゃって、おれ、かなり失礼でしたよね。スミマセン。嫌な気分にさせちゃった』
 今更都合がよすぎるかもしれないけど、できるなら今からでも仲良くしたいです。そう小さくなって呟いた三浦さんに真っ先に好意的な返事をしたのは意外や意外、三浦さんとは限りなく接点の薄そうなコールセンターの女子社員だった。
『わ、分かるよぉそれ……! 私もなんか、めちゃくちゃ変な人に好かれるの! ほんとに最悪だよね!? 顔がガキ臭いからナメられるし、待ち伏せとかストーカーとか怖いしさぁ……! 変に警戒心高まっちゃうよね!?』
 あっ、そこで親近感生まれちゃうんだ!? と思ったけれど、どうやら女性陣の中ではそこまで驚くことでもないようで。ガキ臭い、なんて謙遜してはいたものの、彼女は小柄で童顔、いかにも押しに弱そうというか優しそうな見た目をしていて、あー確かにこれは勘違い男に好かれそう……というのも理解できた。
『そ――そう! 先週まで普通に仲良くしてたじゃんみたいな人がなんか突如豹変して迫ってくんのすげー怖かったの! いやまあ知らない人が迫ってくんのも怖いけど!』
『うわーっそれそれ! 普通に社会人として最低限の愛想で挨拶しただけなのに妙に馴れ馴れしくしてきたり! おまけに「お前が勘違いさせるようなこと言ったんだろ」みたいな意味分かんないこと言う奴いるでしょお……殺してやろうかと思うもん……』
『殺……してやろうとまでは思わないけど、そっか、女の人だもんね。おれが感じてるよりずっと怖いし大変ですよね。何か困ったことあったら言ってください、おれ、絶対味方しますよ。自分で言うのもなんだけど、おれの見た目割と治安悪いでしょ。大抵の男はビビッて引くから』
『な、なんだよぉ三浦さんめちゃくちゃいい人じゃん! 同期なのに今までずっと声掛けなくてごめんね……!』
 彼女は一通り鬱憤を吐き出して満足したのか、『自慢みたいに受け取られちゃうこともあってなかなか言い出せなかったけど、超すっきりした!』と高らかに言ってビールをぐびぐび飲んでいた。『男性だと余計にそういう被害相談しにくかったんじゃない? まず信じてもらうのが大変そう』とも。
 やはりというか、自分の意に沿わない好かれ方をして困る――という経験は女性の方が多かったらしく、そういう部分で共感と同情を集めたらしい三浦さんは、これまでの妙に壁を作った態度に関しても、今までよっぽど大変だったんだね……みたいな感想と共に比較的あっさり許されたのである。俺としては、三浦さんがしょんぼりしてしまうような要素が減ってほっと一安心だ。
 ……もちろん、嫉妬もあるけれど。でも、想像していたよりもよっぽど冷静でいられてるのは、三浦さんが会社では真っ先に俺のところへ笑顔で駆け寄ってきてくれるからだろう。懐かれてる。懐かれてるよ……!
 三浦さんが隠し事下手、というか全然隠す気なさそうなので、もう大体の人に認知されてしまっている。後ろ暗いことなんて何一つないです! みたいな態度で俺に笑いかけてくる三浦さんは、はっきり言ってめちゃくちゃ可愛い。彼は、例えば佐藤とかに『ほんと兎束と仲いいね〜。大好きじゃん』とからかうような口調で言われても、全力全開の笑顔で肯定する。『当たり前でしょ。兎束さんですよ?』とかなんとか言って。いや、『兎束さんですよ?』は正直意味分かんないけど……俺だから仲がいいのは当たり前なの? どういうことなの?
 三浦さん、俺、勘違いしてたよ。これまでの三浦さんはまだ色々ブレーキかけてたんだね。三浦さんが本気で好意をぶつけてくれたらこんな感じになるんだね。
 今までだって十分好意を示してもらってると思ってた。でも更に上があった。嬉しすぎて怖いんだけど。
 どうしよう。もう普通じゃ満足できなくなっちゃう。
 というか……というかさ。
 三浦さん、めちゃくちゃ心臓に悪いから!

「兎束さん? どうしたの、大丈夫ですか?」
「ん? んー、大丈夫。ぼーっとしてた」
 今日は、年末にちらっと話してあった日本酒の美味しい店に二人で飲みに来てる。いい具合に腹も満たされて酒も美味しくて、三浦さんとこういう時間が過ごせるということが本当に嬉しい。
 三浦さんは今日はコンタクトではなく眼鏡をしていた。俺が、『たまーに眼鏡の三浦さんが懐かしくなるよね』みたいなことを言ったら、次の日からコンタクトの日と眼鏡の日を適度に交ぜてくれるようになったのだ。髪を切ってから初めて見た三浦さんは前髪をざっくり分けていたけれど、今日はゆるく下ろしててどっちもオシャレ。眼鏡でいい感じに引き締まった印象になってる。やっぱり眼鏡オンオフどっちも好き。
 ……ほんと、これで勘違いするなって方が酷じゃない?
 俺の些細な発言を覚えてくれていて、それで、生活スタイルを変えようとしてくれる。うっかり自惚れそうになる。俺って結構、かなり、特別、三浦さんに好かれてるんじゃない? なんて。
 痛い目見たくないから調子に乗らないように頑張ってるけど、どうしても俺の内心が囁いてくる。こんな態度ただの同僚にはとらないよ、とか。
 あーだめ、また勘違いしそうになってる。
 気を付けないといけないのに。三浦さんの傍にいたいならこれに慣れなきゃいけないのに。
 これまでたくさん他人に勘違いで追いつめられてきた三浦さんだから、俺までこういう気持ちを抱えてるってバレたらきっと傷付けてしまう。俺が純粋な気持ちで彼の傍にいたわけではなかったという事実で悲しませてしまう。彼の理解者としての俺を奪うわけにはいかない。信頼に応えないと。
 ……そう思うのに、今の三浦さんにだったら許してもらえる気がして、つい手を伸ばしてしまうのが俺だ。
「三浦さん、酔うと目元ふにゃってなるねー……普段目の印象割とキツめだから、ふにゃってるのこういうときしか見られないしちょっと得した気分」
 眼鏡のレンズやフレームに指先が触れないように、注意深く彼の目元を撫でる。ゆっくりと。嫌なら拒否できるくらい、ゆっくりと。三浦さんの目元が綺麗な赤に染まって、恥ずかしそうに目を伏せる彼は俺の手を拒まない。
「ん……兎束さん、かなり酔ってますね」
「そう? 案外シラフかもよ」
 そんなことないでしょ、と密やかに笑う三浦さん。なーんで拒否しないかなあ、と身勝手なことを思ってしまう。気持ち悪いって言ってほしい。俺がこれ以上弁えられなくなる前に。
「……嫌だったら嫌って言ってよ」
「嫌なことなんてないですよ」
「えー……三浦さん色々許しすぎじゃない? 俺に甘いよね」
「ふは、そうかも? 他の人と比べようと思ったことないんでよく分かんないですけど……兎束さんにだったら、何されてもいいです」
 何されてもいいとかそんな簡単に言うもんじゃないよ。アルコールで鈍った頭はきゅうきゅうと痛む胸をどうすればいいのか答えが出せなくて、俺は痛みを堪えながら「熱烈じゃん」とだけようやく言う。
 あのとき抱き締めたりしなきゃよかったかな。なんかもう、三浦さんに触りたくてたまらない。忘年会がもう遠い昔のことのように思えてくる。あの頃はちゃんと我慢できてたのに、最近は全然だ。
「兎束さんは優しいし、おれの嫌がるようなことはしないってちゃんと分かってるので」
「なに、めちゃくちゃ高評価」
「当たり前じゃないですか。兎束さんなんだから」
 ふにゃふにゃの安心しきった笑顔を見ていると愛しさで心臓が止まりそうになる。あのさ、相手が男とか関係なく、こんなに誰かのことを好きになっちゃって大丈夫? 際限なく気持ちが持っていかれて少し怖い。ここまで誰かに心を奪われたことなんてなかったし、誰か一人を想ったこともなかった。
 三浦さんは心の内側にするりと入ってくるのが上手い。無理やり押し入ってくるわけじゃなくて、気付いたら俺が彼を招き入れてしまっているのだ。依存してしまいそうでこれも怖いなと思う。彼を好きでいることは、たくさん甘くてたくさん楽しいけど、いつもほんの少しだけ怖い。こういうところが他者を夢中にさせる所以なのかも。たぶん、柔らかくて温かくて優しいだけの恋愛じゃこうはならない。僅かな焦燥感が俺を捉えてやまない。
「兎束さん、なんか難しい顔してる」
 どうしたの、と、優しい囁き声と共に彼が俺をじっと見つめてくる。俺の返答を待っている。
 こんな内心をぶちまけられるわけがないから、俺はまた「そう? 酒追加しようか迷ってただけだよ」なんて言って誤魔化してしまう。すると三浦さんは一瞬黙って、柔らかく笑う。「そっか」なんて言いながら。
 三浦さんは優しいからしつこく聞いてこないっていうのを分かってて誤魔化してる。ずるい俺。三浦さんは素直な人であまり疑うことをしない。『なんでもない』は許してくれないけど、言い訳をきちんと用意すればそれで納得してくれる。もしかしたら、俺が何一つ本当のことなんて言ってないってことに気付いていたりするのかもしれないけど――それを確かめる勇気なんてない。
 最近こういうことが多い。俺が三浦さんに恋い焦がれるたびに苦しくなって、平静を保てなくなって、三浦さんに違和感を気付かれて、本心を誤魔化す。
 嘘をついてでも一緒にいたい。この居場所を手放したくない。
 今日も彼は、俺が触れることを許してくれるから。
 俺に笑いかけてくれるから。

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